自分の仕事じゃない

講座の宿題にご協力くださる方、このたびはありがとうございます。
私は、数字を読むことはもうすでにできる。今はさらに深めていく段階です。
じゃあファシリテーターとして何を学んできたかというと、それは「伝え方」そのもの。
これは数秘だけでなく、例えば型紙の事を伝えるにしても活かされるもの。
セッションでも活かされていくものだと思うのです。そしてこのブログでも。
8月は他にも2つ、自分を高めるために学びに行く予定があります。

先日、頭に浮かんだ「自分の仕事じゃない」という言葉。

パートナーシップでも、子育てでも、起業でも、つまり全ての事において
「自分が」どうありたいのか、が基準となってくるという話はよくしているのですが、
そのために、他人ではなく「自分に集中してください」ともよく伝えています。
人をコントロールしようとしても変わらない、答えは全て自分の中にある。
自分が自分のなりたいように変われば、自ずと、
人を含めた、自分から見える風景がすべて変わるんだよ、と。

だから自分に集中してください、と。

でもこの「集中」って具体的にどうしたら良いか、イメージしにくい言葉かもしれません。
自分が何をしたいのか、したいならそれをする。
自分は今どう思うのか、わかってほしいならそう伝える。悲しいならそう伝える。
自分はこれを、したいのか、またはしたくないのか。
そんな「自分」を軸において、行動を決めるし実際にそう動くと良いでしょう、という事です。

そしてその上で大切にすることがあります
自分の仕事であるか、仕事でないのか、という事を明確にする。ということです。

子どもが宿題を予定通りに終わらせない事を、何とかしようとする(自分の仕事だと思う)と
苦しくなりますが「これは私の仕事じゃない」と思って、自分のしたい事に集中します。
よく「放っておけばよいんですね?」と言われますが、それだと、放っておこうとする、放っておくことを意識する、
というイメージで捉えがちになるんです。それだとちょっと伝わり方が曖昧になるんですね。
言い方の問題なのですが「放っておく」と言いながら子どもに視線を送りつつ「放っているよね、私」じゃなくて!
放っておくとか関係なく、もう自分に集中しといて!という感じです。
そしてもっとイメージしやすいと思うのが「子どもが宿題やろうがやるまいが、そもそも自分(私)の仕事じゃない」
と思う事です。完全にこっちの仕事じゃない、と、手を放す事です。
「放っておく」だと「私が、放っておく」になるので、「子どもを放っておく私」を意識しちゃうんです。
つまり自分に集中しつつも、風景の中に子どもが存在する感じとでも言いましょうか。
それよりも、子どもの宿題そのものに背を向ける方がより自分に集中しやすく、
子どもが宿題をしようがしまいがどちらでも、本当に良くって、私には関係なくって、と思えた時、はじめて
「結果的に」子どもが宿題をするわけです。

それと、子どもが宿題しない時は、親もたいてい、しようと思っている何かを同じく放置しています。
親がその仕事を片づけると、不思議と子どもも自分の宿題します(投影されているので)
だから、宿題しない子どもにフォーカスしてしまう時は、自分が「していない事はないか」を見るようにします。
で、自分の仕事に集中する。いずれにせよイライラしなくて済みます。

好きでもない、やりたくもない自分の仕事を増やすとどうなるかというと、
「この仕事をまず終えよう」と思うけれども、好きじゃない仕事なので全然取りかかれないのです。
取りかかりたいけどやる気が起きない、と、時間ばかりが過ぎていくので、
そのあとやろうと思っていたことまでもが、いつまでたってもつっかえたまんまで処理されないで積まれていく。
結局何1つ進まないので、余計な仕事を抱える事は、全体をストップさせ、流れを悪くするので非合理的なのです。

やりたくない事は、そもそも自分の仕事じゃないので、とっとと手離すことが肝心です。
自分がしないと掃除する人いないんですけど、という場合は、
まずは「掃除をするのは自分だけ」という思い込みがあり、それを現実化していますが、
家族に頼めばよいと思うんです。
で「いや、本当に、言っても誰も掃除してくれないんで」と仰られるかもしれませんが、
家族も、お小遣いあげればやってくれるかもしれない。
もしくはダスキンに頼めばよいんです。
そうすると今度は「でも、お金かかるから」と返ってくる。
つまりそこで「お金がかかるから自分でやろう、誰もやってくれないし」と決めて、あなたがその通りしているだけなのです。
掃除が嫌になるたびに引っ越しをしていたという葛飾北斎のような方法で掃除を回避する方法もあるし、
いくらでも方法はあるのです。
「それは極論だから」と仰るのなら「極論を避けて自分でやることにしたのですね」となるわけです。
珍問答のようですが、つまりはどういう流れでも、状況から自分がそう「決めた」に過ぎないのです。
「自分の仕事にした」というだけなのです。不本意でもね。

もうどうあっても掃除したくない!!!死ぬほど掃除が嫌い!!!と言う人は、
そこを外注するお金をもったいないと思わないのです。
親としてのプライドが保たれなくても、断固拒否するんです。
その分、できる事はさっさと気持ち良くできるんです。
不満を言いながら自分でする場合は、人に良い顔したいか、何か失いたくないものがあるのです。出し惜しみです。

掃除をするのかしないのかが問題なのではなくて、
自分のしたくない事をどれだけ「自分の仕事じゃないから」と、真剣に向き合えるか、が
結果として不満が残るか、それを残さないかのポイントなのです。
「誰かやってくれないかなー。掃除やだなー」と心の中で思うだけでは、誰もそれを察してくれないし、
伝えないのに「どうせ私がやるんでしょ」と、自分でやる事を決めておきながら不満になる。
曖昧にしておくから、自分の気持ちは処理されないままで、嫌な事をする羽目になる。
嫌な事だからなかなか腰が上がらないし、その先にある事もできなくなる。
時間がない、結局できなかった。どうして私ばっかり。いつものパターンです。
同じ毎日が同じように現実化していきます。
嫌な事を後生大事に握りしめていると、握りしめた前提(嫌なことは私の仕事)で
物事が現実化していきます。手離さない限り、もれなく毎日同じように。

物事だけでなく「ついついやってしまうお節介」なんかも、あとでどっと疲れるくらいなら
そもそもあなたの仕事じゃないのです。
「じぶんの仕事じゃない」とその場で判断して、その通り行動できるか、なのです。

暑い毎日、したくない事を回避するだけで、気分的にも涼しくなることでしょう。


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by 4cubes | 2016-07-30 15:01 | 潜在意識 | Comments(0)

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