責任

どどどどーっと連続投稿していますが。
そういうタイミングなのでしょうか。

どんな選び方をしても「選ぶ」という事は、何かしらの責任を伴います。
数秘でLP9だと責任を取りたくないという深層心理から「選ばない」場合が多いのですが、
それもまた「自分で選ばないという事を選ぶ」という意味でもあり、意図してもしなくても
いずれにしても責任は確実に発生しているのです。

主婦で家族もいるのに、好きな勉強のために海外に行きたい、と思ったとします。
でもそんな事言い出せない、という気持ちも同時にわきます。
言ったらどう思われるか、非常識じゃないか、わがままではないのか。
行っても成果がなかったら申し訳ない、とか。
もちろん色々出てきます。

そこで、自分の想いを封じ込めることを選ぶと、
「封じ込めることで起こり得るリスクを引き受ける責任」が発生します。
封じ込めている限り、相手と対峙しない事の責任をずっと引き受け続けるという事。
相手と対峙しないのは、イコールで、行きたい自分と対峙していない事、でもあります。
行きたい気持ちを抱えたまま暮らしていくということ。
「わかってもらいたい」不満が蓄積されていくこと。
でもそれは言い出せていない自分への不満でもある事。
自分を責める。もしくは相手を責めるか、他の事にすり替えて攻撃する(かもしれない)。

行きたいという想いを放つことにも責任は発生します。
「わがままだと思われるかもしれないリスク」嫌われるリスクです。
どう思われるかわからない。
非常識だと人格を否定されるかもしれない。
何の役にたつ?と聞かれても、納得してもらえるように自信持って答えられない。
だってただやりたいだけだし。行ってみたいだけだし。。

どちらを選択してもリスクや責任はついてきます。
何かをしたいと思ったのならば、その時点でもう責任からは逃れられません。
どっちに転んでも責任が発生します。

でも自分がどっちの責任を取るのか、は選べます。
そして、自分と対峙して想いを実現する「嫌われる覚悟」や「非常識だと思われる覚悟」は
覚悟を決めたら、実際は結果的に嫌われないものです。
自分が自分に誠実になれば、相手からもそれが返ってくるのだから。
リスクを引き受けたら、そのリスクは実際は消えてなくなるのです。
物理的にお金がないなどで、どうしても今はできないという場合はあったとしても、
それはそのタイミングを待てば良いというだけです。

ちょっと勇気が必要なだけです。

この秋から、世界が、自分に正直な人とそうでない人とで二極化していくと言われているのは、
自分がどちらの責任を取る人になっていくのかという、
自分へのまなざしが厳しくありつつも深い愛であるのか、を問われているという事なのだと思います。
ごまかさないで自分を見つめましょうという事なのです。

特に大きな願いはなくて、家事はひととおりやるけれど、日々ごろごろしていて何となく時間をやり過ごし、
頑張ってもいないし、無駄使いもしていないけれどやりくり上手でもなくてお金も貯まらないし、
幸せなんだけど、なんだかこれでいいとも思えないというような人がいたら
(結構いそうな気もしますし私もこのパターンでしたが)

それは

「その状態を、罪悪感持つことなく楽しめているのか」を問われているんです。
私はごろごろしたいの!それで誰に何を思われても良いの、という責任を取るのか、
罪悪感あるけれども動けない自分、誰からも責められないし表向きは問題なく過ぎていくけれども
何かモヤモヤする自分にこの先も責任取っていくのか。

選べます。

「嫌われる勇気」をここにきて読んでいます。
アドラー心理学が物凄くわかりやすい。ストーリー仕立てですし、
一般的に納得いきにくい事や、疑問に思うようなことを対話形式で説明してあって、
本の内容も秀逸ですが、これを書いた人の言語化能力が高すぎて驚きます。
単に「you!嫌われちゃえよ」的な本ではなかった。誤解していました。すみません。

私はいつも、拙くても、作り手側の視点です。
自分でブログを書いていると、素晴らしい書籍の伝え方の凄さがわかります。
その一方で、私のブログを読んでくれている方がいる。感謝にしかなりません。
いつもありがとうございます。


■ HP
■ お問い合わせは こちら からお願いします。

[PR]
by 4cubes | 2016-09-28 10:27 | 潜在意識 | Comments(0)

心の取扱説明書である数秘と、心の仕組みを知って、ほんとうの自分を生きたいと思う人の、心のお手伝いをしています。


by のりこ