子どもへの「純粋な興味」

帰省する前日の夜、息子が「お腹が気持ち悪い」と。
早めに寝たけれど、朝になっても良くならず。
「学校遅刻していく…寝てれば治る」と言います。

その時に、以前であればもの凄く申し訳ないけど「え~!こんな時に!」と思うわけです。
心配しているのとは別に、自分の都合もあるので心の中で文句が出るわけです。
本質としては「え~!こんな時に!」と思う事がいけないのではなくて、
そう思う自分に罪悪感があった事がいけないわけなのですが、
そういう気持ちはもうとっくに葬り去っているので、

まずは自分の事。私は無事に出発できる、と考える。実際そういう気もしたんですね。
(一見、無理そうな気がしたとしても「無理じゃん!」ではなくて、「無理そうに見えるけれど…」
という視点にする。そうすると続けて「じゃあどうするのが良いか」という発想で解決策が見えてきます)
あとは彼の様子を丁寧に見ながら、どうするのがベストかな、と考えます。

これを、彼の事を一番に考えると、絶対に我慢、不満になります。
「人の体が一番大事だ」確かにそうですし、
結果的に彼の体調を優先して帰省を諦めることになったとしても、
まずは自分が「行く」という視点にして、動けるか考えます。
彼を優先するか、自分を優先するか、いきなり決めるのではないのです。
考える段階ではまず自分を優先した上でないと、どう決めても、納得のいく結果は出せないのです。

息子は2泊3日の間、元夫の家に行く事になっていたのですが、
そっちは午後には人がいるから、行くにしても休むにしても彼ひとりで対応するのは午前中だけ。
食べるものと、病院に行くならその用意、学校への連絡、元夫宅への連絡、こまめに息子と連絡、等々
考えられることをしておけば大丈夫かな、と。

で、息子を観察していたわけですが、具合悪い、愛想悪い、でもこっちの気遣いもしてくれて。
その彼の動きや言動を、私も落ち着いて観察できるわけです。
私は自分が帰省できるとわかっているから。
(自分を満たしていないと、冷静にもなれないものです)

で、そこで気づきました。
親が子を思う気持ちでもない、異性への気持ちでもない、もう一つの気持ち。

「純粋な興味」

ただただ、彼を見ていると面白くて。
「食べたいものある?」と聞くと、数秒おいて「お土産はきゅうりの漬物で」と言う。
(今日の午前中の話なんだけど~)
具合悪いのに「早く行かないと」とこっちを気にする。
そっと出ようと思ったら、気づいてベッドから起きてきて仏頂面で見送ってくれようとする。
「安全にね。おばあちゃんによろしく」と、無意識に出てくる言葉。
(あ、おばあちゃんって言った。(祖母の事大好きです))

ひとつひとつが普通の事なのに面白い。
時々見せる優しさにジーンとしたり。
愛想が悪くても「お、ぶさいくな顔して」と面白く思える。

これは、先日書いた話にも通じるのですが、男の子が純粋に昆虫を好きな事や、ただ空を眺めることにも似ていて。
ただそこにあるだけで、いるだけで、コントロールできなくたって、その状態そのものが愛おしい。
コントロールしようとも思わない。自然の姿それだけで感動を貰える存在。
見ているだけで面白い。飽きない。
男の子は、カブトムシを戦わせることはあっても、自分に都合よくコントロールしようとは思わないですよね。
そこにいて、ただ眺めている事で幸せを感じている。
何かしてもらおうなんて思ってもいない。ただその在り方、生きているそれを、愛おしいと思う。

家族のように近くにいる存在は、お互いに影響しあっている気がするので、
どうしても「コントロールできる」と思いこみやすいんですね。
でもその視点で見ると、コントロールが目的になってしまう。
思い通りにいかないと不満になってしまう。

息子を見ていて、いやー動きが面白い。発する言葉が面白い。
普通のことを言っていても興味深い。
「お、そうくるか」だったり「やっぱりそれね」だったり、
彼そのものを見ていることがただ楽しいんです。
これは、彼に純粋な興味がある、という本来の気持ちを思い出したからです。

そう、皆同じなんです。
赤ちゃんの時は、ただニコニコしてるだけで、泣いているだけで愛おしい。
何かしてもらおうと思わない。コントロールしようと思わない。
でもこれは、その頃は自分も余裕があったとか今はない、とかそういうことじゃなくて、
そもそもみんな、そうだったというだけの事。もう「ある」んです。
あなたの世界にすでにある。あとは思い出すだけです。

子どもを手放すと考える時に難しいのは、「執着」してはいけないけれど
「無関心」でもいけないというそのバランス。
でも純粋な興味であれば、執着もコントロールもしないけれど、
自然に興味深くなって関心を向けるし、必要な時には助けをすぐ出せる。
そういう、そんな感じ。そんな感じで見つめると、
子どもとの距離、在り方も、少し見えてくるかもしれません。

だとすると、これは仕事にもお金にも、すべての事に繋がります。

例えば仕事を純粋な興味でできているか。
なかなか難しいと感じるかもしれませんが、本来好きでスタートしたその仕事も、いつの間にか
日々に忙殺されて純粋な興味を見失っている可能性もあるかもしれないし、
そうだとすると、思い出すべきものがあるかもしれない。
例えば仕事が、仮にお金のためでも良いのですが、だとすると「お金」そのものに純粋な興味を持つことで
その手段である「仕事」へも興味を持ちやすくなります。
でも私を含めて、ほとんどの人は仕事に興味を持つ方が、お金に興味を持つよりもずっと易しいのですけれども。
「お金」を目的に働いていても、思ったほど入ってこないのではないかと思いますが、それは
お金に関心を持っているように見えて、お金にも仕事にも関心を持てずに働いているからです。

人間関係も、純粋にその人に興味があるのか、というところが本質で、
興味さえあれば、自然に会いたいなーと思うし、その人を知ろうとするし、会える。
興味がなければ、思い出しもしなかったりする。自然な事かと思います。
ということは、ついつい考えてしまう嫌いな人にも「興味がある」という事にもなります。
自然に会いたいなーと(恐ろしい事に無意識で)考えているので、やっぱり会うのですね繰り返し。
職場の人間関係などは「割り切って」みたいな関係性も多いかもしれませんが、
割り切るって、実はなかなかできない事で、自分にストレスを知らず知らずかけています。
たいてい「割り切っているつもり」だったりします。
嫌いだと思う事は、実は、好きと同じ質のものなので、会いたくないのであれば
「無関心」になるのが一番なのです。これも無関心風ではいけないのですが。

私にとって数秘も、仮に何の役に立たなかったとしても、ただただ好きなんです。
だから、仕事にする気はなくてもファシリテーターまで認定を取ったのですし、それが自然に結果的に
仕事に繋がって、人と繋がりを持てて、になっています。
数字を通すと、人のドラマティックな物語に触れることができて、
とても自然に人と人が繋がっていく、そんな魅力のとりこです。

あらためて数秘に感謝です。


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by 4cubes | 2016-10-03 09:56 | 潜在意識 | Comments(0)

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