「本質」と「純粋な興味」と「集中」

最近は言語化が難しい。
自分の中でも色々細分化されてきてですね。ちょっと整理していこうと思います。

世の中のすべての本質は、まず同じです。
それを基準に物事を考えてみます。

愛を与えたら愛が返ってくる。
恐れを与えたら恐れが返ってくるし、
本音を与えたら本音が返ってくる。
漠然としていますがシンプルです。

でもお金を与えてもお金は返ってきません。
物質を放っても、物質は返ってきません。
形ではお金を放っているのですが、放っているものはその時に感じている「感情」であり、同じ「感情」が返ってきます。
例えば病気になりたくなくてかけた医療保険「病気になるかもしれない」という感情で申しこめば、その不安が現実化して返ってきます。
形として想像したとおりの病気になるとは限りませんが、恐れを放てば、恐れが現実化したものがもれなく返ってくるという事です。

どんなものであれ放った感情と同じものが返ってきますが、それを自覚できるかどうかは別です。
また、あの時放ったあれが、これになって返ってきた、と、自分の思考で説明がつくかどうかも別だしそれが正しいかどうかも全く証明できませんが、世の中はそういう風にできています。

例えば子どもに対して「勉強しなさい」と言ったとして、その奥にある自分の本心が「そうすれば子どもが将来困らないから」だとしたら、その親には「子どもは将来、学力がなくて困るかもしれない」という「恐れ」があるということで、子どものためを純粋に想う「愛」ではないので、恐れの方が現実化します。
でも「愛」ゆえに、この子が将来困らないようにしてやりたい、という親心もあります。
ただその愛は、純粋な愛ではなく。
愛とはありのままを認めることですから、目の前にいるその子はそのままで完璧である、ゆえに今、勉強ができなくても親のいう事を聞かなくても、何の条件もつけなくても、そのままで良い完全な存在であると思える、という状態のはずです。
でもそこに、基本的にはそうなんだけどそれでも「将来のために」とか「そうはいっても」とか「備えておいて損はない」とか色んな「親の価値観」をくっつけてしまうわけです。そのくっつけたものは、愛ではない「恐れ」になるのです。
だから「恐れ」が現実化して返ってきます。
例えば「不合格にならないように」とどこかで恐れながら受験勉強した時は、合格すると幸せで不合格だと不幸せという概念があります。合格すれば一見幸せですが、合格しない可能性も同時にどこかで考えていて、そうならないようにも含めて勉強したわけです。その前提で進めば、次の進路も「不合格にならないように」頑張ります。受験だけでなくて就職、結婚、出産、子育て…と、人生のあらゆることにおいて「不合格にならないように」生きていこうとします。
幸せな感じがするでしょうか?
もしこれが「愛」がベースであれば、いつでも何をしていてもそのままで完璧なのですから、当然、結果に良し悪しはなく、合否がその人の価値を決めません。物理的に不合格だったとしても、その人の価値は1mmも減りません。その受験は不合格だったとしても、また違う事をすればよいだけです。何をしていてもありのままで素晴らしいのだから。

で、愛と恐れは対極にあるものですが、分離しているわけではありません。
ちょうど1つのボールの、こっちから見たら「愛」で、違う方から見たら「恐れ」のようになっている。
だから、見ているものは同じボールだけれども、愛という側面を見るのか、恐れという側面を見るのか、という違いであるというだけなんです。
同じものなのに、見る側面が違う事で、世界が、現実化が違ってくるんです。
だから「愛」で物事を観るようにすると、本当にうまくいく。同じボールを見るのに恐れなくても良い、それは愛でもあるんです。
恐れでボールを見ても不安ですが、もっと俯瞰してちょっと離れて見れば、視野が広がり別の部分が見えてきますよね。
そこに愛が見えるんです。そして、恐れの側面を手放して愛を見るようにすれば、世界が愛だけになるんです。
子どもが目の前にいて、そこに「恐れ」を見るのか「愛」を見るのか、だけの違い。
愛が見えるはずなのに、わざわざ恐れを探してそこをじーっと見ているだけだから。

これはパートナーや子どもに対してだけでなくて、自分に対してももちろんです。
自分が何らかの価値を提供できる存在であってもなくても、何をしていても、どんな考えを持っていても、完璧である。
今のありのままの自分で全てオッケーである。自分にダメ出しするところはひとつもない。
家事ができてもできなくても、セールで買い物しすぎても、子どもを叱っても叱らなくても、そこで自分の価値は決まらないんです。

で、これがなかなか「頭では」わかっていても、実際に感覚としてそう思う事が難しいと感じている人が多い。

そこで「今ここ」です。今の目の前の事に集中する。
自分がお茶を飲んでいるのなら、そのお茶の味、ほっとする感覚に集中する。
集中するという事はスマホも置いて、思考をストップして、五感でその感覚を味わうという事です。
自分に対しては、常にそう。
自分は何を感じているのか、どう感じるのか、微細に微細に掘っていく。自分への純粋な興味。

では子どもに対してはどうでしょうか。
それは目の前の子どもを想って、自分に集中すること。
ついつい子どもに体は向けながらも、どこかで「あー洗い物まだ残ってるんだけどなー」とか無意識に考えてしまいます。
そんなにはっきりしなくても、子どもに集中できない、時間ないんだけど、とか、漠然とした焦りとかイライラとか。
でも、子どもが目の前にいるその瞬間、短い間でも、自分の子どもに対する純粋な気持ちだけに集中してみる。
それは「頑張ってそうする」のではなくて、目の前に出された自分の好きな子どもに集中してみるという事です。
本来自分の子どもに興味がないなんてことはないんです。
それがあるとすれば、心の浅いところ、深いところで、自分が満たされていない状態であると考えられます。
無意識に自分の事が解決していないので、満たされていないので、安心して集中できなくなる。

息子とはもともと、話の事象ではなく「その時どう思ったか?」「何を感じたか?」という会話をしていましたが(意識してませんでしたが、普通に知りたかったし。息子はLP7で私はD7なのでやはり会話は本質気味ではあります)彼に対する純粋な興味を自覚するようになって更に「え、なんでそう思うの?」「もっと教えて」「その時の気持ち説明してくれる?」と自然に出るし、それが面白くて自然にその「彼に興味を持つ自分に」集中するようになったけれども

別にそれで自分の時間が減ったなんてことはないですし、息子、めちゃ楽しそうです。
(受験に対して、個人的にナーバスになるようなことはあるようですが←そこはほっとく)
私が息子に心底関心を持って話を聞くので「めんどくさい」が口ぐせの中3でも、色々と話をしてくれます。
仮にLP3のお子さんでしたら、その表現や喜怒哀楽を、自分もLP3なら一緒に楽しむ、自分がLP7なら分析してみる、LP8ならそこから才能を見出しプロデュースしてみる、と、自分の性質を活かして、お子さまに「純粋な興味」を重ねてみるのも良いと思います。

純粋な興味があると、目の前の人に集中するし、
集中すると、目の前の人が面白く見えてくる。
そうすると、集中して見ると、雑では見えないものが見えてきます。それが「本質」です。

ただし「目の前の人に集中」というのは、「目の前の人をどうにかしようと集中」するのではなくて「目の前の人に純粋な興味を持って」その相手のために「自分(のするべきこと)に集中」するという意味です。
目の前の相手を幸せにするため、自分ができることにとことん集中するという事ですね。

ビジネスだとどうでしょうか。
私だと、目の前に直接見る事はできませんが、PCの向こうにいるお客様に純粋に興味を持ち、集中する。
「純粋な興味を持ったうえで」何を提供するか考えるんです。
「純粋な興味を持ったうえで」←これが先です。
対面では、目の前にいる人に全集中する。
そうすれば、いただく金額以上の価値を提供できることに繋がっていきます。

自分のサービスに、例えば洋服を縫って販売するとして、実力があるからいくら、ないからいくら、ではなくて、まずほしい金額を設定、それが1万円だとしたら「お客様が1万円出すにはどんな価値をつけたら良いだろうか」という基準で提供します。実力がついてきたら値上げしたくなる。値上げはオッケー、ただその時のマインドは「実力がついたから3万円でも良いよね」でも「3万貰うべきだ」でも「3万円が妥当だ」でもなく「お客様が3万円出して欲しいと思うにはどんな価値をつけたら良いだろうか」と考えるんです。
お客様に、純粋な興味を持って、その上でビジネスを考える。
そのお客様になり切ってみる。そうしてその自分なら「3万出そうと思ったら、どんな価値がついていたら買うか」と考える。
値段を、金額を考えるのではなく、価値にフォーカスします。

もし、どうしても純粋な興味が持てないとか、持てているかわからない時は

「私は今、経済的にも時間的にも人間関係もすべて満たされている。」とした上で、そのお客様は目の前にいるか、いてほしいか、を問うてみます。
もし自分が最高に満たされていても、お客様がいて、ビジネスをしている自分が感じられるのであれば、純粋な興味があるのだからオッケー。
家族に純粋な興味が持てるか、も、この質問で見えてくると思います。

日常の中で、いつもいつも、例えば家族に全力で集中することはできないと思います。
ただ、いつも見つめる、興味を持って微細に見つめていく事で、ここは大事!集中!というポイントがあります。
そこを大事にするという事です。
本質はとても微細なものだから、雑に扱わず、丁寧に見ていきましょうという事です。
もちろん自分のこともです。
単にエステに行ったり旅行に行ったりじゃあ、意味はないという事かもしれません。
私は違っていましたしね。でもそれも、やってみてわかることです。
例えば旅行でおいしいものを食べる事が嫌な人はそういないので旅行に行けば「美味しい🎵」「リフレッシュ~」「気持ち良い」と当たり前に思いますし、それが自分を大事にしていると思い違いしやすいのですが、それは本質ではないかもしれないという事なんです。
旅行の何が?どこが?どういうところが?どうしてそれなの?そういうところを探ると、自分の好きなものの「本質」が見えてきます。

で、今の時代はそれだけ微細な「本質を見る目」というものが、当然大事になってきているのですが、それを養うために、その感覚を手に入れようと、人の関心がヨガや瞑想などの精神世界であったり、パワースポット(←行きゃあいいというものでもなくマインドによりけりですが)だったりしているんです。
呼吸法もそうですね。
気の良いとされる屋久島、宮古島、石垣島なども人気ですし、著名人なども移住したりしているのは意味がある。
少し前のように、ただ流されてそういう事をしている人もいるけれど、ちゃんと本質をみてそういう行動に移す人もいるという事なんです。
ということは、自分も「あー今は石垣島が流行なのねー。私は興味ないわ」という目で見ていたのでは、何もわからないという事なんです。石垣島に皆が行くのはなぜだろう。何があるのだろう。何を求めているのだろう。

それこそ、ゲームとか、アニメとか、同人誌の世界とか(今や、電車の1車両にいる人のうち半分は、何らかの形で同人誌の世界に触れたことがある、というくらいのマーケット規模だそうですよ!)興味ないのはもちろん良いし、やってみる必要もないけれど、丁寧に見ていくと、そこに、本質が隠れているかもしれません。
それを知ると、色々なものを否定するばかりでなくなり、可能性や視野を広げることになり、これから生きる子どもたちの未来への需要、寛容にもつながるのかもしれませんね。

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by 4cubes | 2016-10-18 12:55 | 潜在意識 | Comments(0)

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by のりこ