お金の話

お金の苦労は結構ある方でした。
人生において、お金でなかなかに悲惨なこともあり、毎月ギリギリでなんとかかんとか無理やり回す時代も長かったりで、お金さえあれば、とか、どうして自分はお金で苦労するんだろうとか、今思えばおかしなマインドの時が普通に長くありました。

心理学を学び始めて「お金の結果を出すのが一番簡単」と言われたけどピンとこなかったですし、お金もエネルギーだから、なんていう話も、お金のブロックもわかるようでわからない。
その頃もいろいろ試したけれど、マインドができていないのに何やってもお金が入ってくるはずなくて、全然うまくいかない。
人間関係ばかりうまく回る。
原理原則は同じ事だというのに、何が違うの???
そっちはできるのに、こっちはなんで???

長く悩みました。

その中で思い出した事がありました。独身の頃になりますが、どん底まではいかないけれどいつそうなってもおかしくないような、いつもお金のことを考えていて普通に困っていたくらいの時(当時いつもそんな状態でしたが)に、結構まとまった金額を突然いただいたことがあったんですね。
で、お金に困っているのが定番だった私は「これはありがたい。大事に使おう」と思うわけです。

なのに、そのお金が、あっという間に綺麗になくなってしまったんです。
もともとそれほど贅沢をする方ではないし、これはもう不思議というか、自分ではない何かの力が働いたとしか思えないほどの、意味がわからないほどのお金の減り方をした。こういう時に限って出費が多いのよねー的な実感もなく、盗まれたとかでもなく。大事に使いたくて、むしろ今までよりも節度ある暮らしをしていたのに。
不思議というか不気味でした。

それで、当時は不気味で終わったその事実を改めて思い出し、何とも説明はつかないけれど、お金というものは、どうやら私の思う感じで動いているのではないのかもしれないと考えたわけです。単なる足し算引き算じゃないのかもしれない。
「私は、見ている世界の解釈を間違えているのかもしれない」と。
それが自分を疑ってみる最初のきっかけになりました。

そこから、ただ欲しい、あれば安心、というところを抜け出そうと試みつつ、お金についての自分なりの研究が始まりました。
まぁそこからも抜け出すまで長かったわけですが。
お金が増えたりもしたけど、方法も合ってるけど、ちょっとどこかで力技的な感じがしてもいました。
個人的には愛情とか人間関係だと、脳をごまかしやすいんです。錯覚が使えるから。
「あの人は機嫌悪そうに見えるけれど、そう見えるだけかもしれない」など、曖昧なことを利点とし、解釈をいくつも自分の都合よく作り出せるし、私はそれを信じ込むのが得意な方でした。だから人間関係は現実化も得意。
もちろんお金についても本来同じで、お金という物質を見ている限りはそこから抜け出せないし、その向こうにある本質を見なくてはいけなかったのですが、ベタにお金という物質に囚われていましたね。
そして、お金も他の物質も同じ物質で、お金だってただの紙なのに、お金だけは他と比べて別のものだと考えていて、その話も鉄板で何度も見聞きしていたのに、全く体感レベルで腑に落とせていなかった。

書いているだけで、過去の自分がガチガチだったのがよくわかります。

私の今の状態はお金が「増えた」というよりも「回る」と言った方が正確かもしれません。もちろんこれまでよりはあるから、毎月の支払いが自転車操業になるというようなことは当然ありませんし、そういう意味では増えたのかもしれないけれども、それでももし息子の高校や大学にかかる費用を考えるとすれば、もし考えるとするならば、額面でのゆとりがあるというわけではないのです。
というか額面的ゆとりはそもそもゆとりではないんです。
「ゆとり見込み」のようなもの。錯覚。
実際は、回っていることで得られる感覚が、お金が生む豊かなんです。
私のお金の学びは、お金という物質が「ある」ということには意味がない、仮にそれが何千万だとしても意味がない、というところに気がつくことだったのです。

「お金は回っている時に、はじめてお金である」この感覚がやっとわかりました。わかったけど言語化まだできません。でも人間、成していくと過去持っていた前提を綺麗に忘れてしまうので、今の感じを、書くだけでも書いておこうと思います。

ワクワクが手に入る豊かさ、お金さんありがとう、という感覚は王道だし、確かに感じ方としては合っていると思う。そういう感じの時、私もありましたし、そう、そうなのです。
言葉にするとそうなのかもしれない。でも今はもう少し深くなったので、ややニュアンスが違うかもしれないです。

出すという感覚と入ってくる感覚がもっと、考えていた以上に分離していなくて、出す事と入ってくる事が、真逆ではなくて、ところてんのように出すことで入る、入ると出ていく、ということでもなくて、入ると出るが形を変えて同じ意味合いを持つような感じ。
「川が流れる感じ」という表現がありますが、この流れ感が、想像している流れ感と違っていたんです。川がやっぱりイメージとしては近いことは近いんだけど。
そうやってもしかしたら独自の感覚かもしれませんが、自分なりに得たことで、お金に対する執着や縛りが完全に、ではないけれど殆どなくなったと思えます。

どこかで「紀子さんは型紙屋をしていて、新しく仕事を増やしたのだからお金が増えるのは当たり前ですよね」というようなことを言われた事がありますが、これは少し違います。
数秘は仕事にするつもりがなくて、でも面白くて数字を共有するのが楽しくて、結果的に仕事になり、結果的にお金にもなっていて、そういう流れも確かにお金が増えるのが自然に見えるかもしれませんが、何かをしたからお金が入るわけでも、お金が入ったからお金があるわけでも、回るわけでもないんです。
さっきも出てきた通り、仮に一時的に入ってきても、マインドが確かでなければお金は自分の意思に反して容赦なく出て行きます。顕在意識で理解できないような、理由があるのかすらわからないレベルで。
言い換えれば、潜在意識の意志の元に現実化されているので、マインド(潜在意識)が変わらない限り、結果は同じことになるのです。
数秘をやろうがやるまいが、です。

だから、私のマインドが変わった以上、数秘をしてもしなくても、あるいは別のことをしたとしても、お金は回ってきたはずです。
この「回る」が大事。
「増えた」とか「たくさん」じゃない。だってそれは増えてないしたくさんでもないから。単なる「増えた見込み」「たくさん見込み」なのです。(←わからないかもしれませんが備忘録で書かせてください)
いずれにしてもお金への不安はなくなり、もしこの先お金の額面が減って支払いに困っても、マインドさえ確かであればすぐに解決するはずなので、実は全く心配していません。
これからは、健全に右肩上がりにしていくマインドを育てていこうと考えています。

まずお金の状態を「回る」にし、いつも「ある」「まだある」「減らない」という感覚にすることで、お金の不安から解放されると思います。
そのための方法として、どんなマインドの人でも使える(セルフイメージによって成果までの時間に個人差はありますが)簡単な方法、その仕組みの解説について、12月は掘り下げてみようかなと思います。

私のところに来てくださる方は、お金の相談は割と少ないので需要はわかりませんが、私自身が、お金がわかってそこで初めて純粋にお金が好きに思えて来たその変化などを楽しみたいなと思います。
何よりお金の話が深くできるようになった(少なくとも感覚だけは)という自分が嬉しい。
で、新年といえば、縁起物ですし、その辺りと絡められたら面白いかもしれないと考えています。


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by 4cubes | 2016-12-01 10:51 | 潜在意識 | Comments(0)

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by のりこ