能動的に生きる

講座について、今回普通に平日で組みましたが。
私の中に「平日」が当たり前になっていて、無意識でした。
だから土日で、とメッセージくださった方、気づかせていただき、ありがとうございます。(それまでにも聞いていたのに、わかってなかったし、聞いたことをS1が忘れてしまっていた…)

先日の、願いを叶える講座に参加くださった方はあの時も何度も聞いたと思いますが、能動的に生きるのが全てのポイントです。「平日か〜」と諦める前に、ご意見ご要望ください。私、単に気づいていないだけのことが多いですから。
その、単に要望を出すことそのものにすら勇気が必要だということ、わかります。別にあえてしなくても良い事ですし。
つい2日ほど前に私も、とあるところにメッセージを送ったのですが、たったそれだけの事にものすごい勇気を出しました。で、しかも私の大いなる勘違いで相手の仕事を増やしてしまうという。それでもそれは私の肥やしになるのです。
普段の小さなことが行動できないと、大きなことはできないのです。物事に大小はないのですけれども便宜上。
大きなことしないからいいわーって言う人、それは宝くじの高額当選も受け取れないってことですし、ご主人の出世も受け取れないという事を意味します。
宝くじも出世も、受け取れる準備のできた人だけが、本当の意味で受け取れるからです。

綺麗事じゃなくて、どんな生き方も素晴らしい。
どんな風に生きても自由。でもどんな風に生きるのかを選べるのなら、痛いとか辛いとか悲しいばかりを経験しなくても良いんじゃないかと思うのです。お節介だけれども。
「痛い、辛い」を自分で能動的に選んでいるのなら良いのです。
でも、選べることを知らない(というか忘れてる)人も多いから。
だから伝えます。

自分の中の「ある」を思い出せるように。

毎日は飛ぶように過ぎていって、自分を見つめる時間が少ない方も多いと思います。
何かを考えたくても、仕事や家事など、ぶっちゃけ自分のことより優先することも多い。何かと子どもが話しかけてきて霧散してしまう。
そうすると、自分が話す言葉が雑になったり、特別でない買い物は思考ストップで、いつもと同じ基準で選んだり、なんだかんだで気づけば寝る時間。

これを言い訳と言ってしまうのは詮無い話ですが、もちろんこれを「仕方がない」と選んでも良いのだけれども、そのかわり現実の変化はしない。
生活が、話す言葉が、考える事が同じであれば、それが前提となり、同じ現実が繰り返されるのが普遍的な仕組みですから。

でも忙しくても、今の会社にいても、意識を変えることは可能なのです。
言葉を変える事なんて、その瞬間からできる事ですから。
言葉は本当に大事です。
何気ない「勉強しないと将来困るよ」という言葉は「困るために勉強しない」という現実を作り出しますし、勉強したとしても「困らないために勉強する」わけですから、幸せのためではなく「不幸を回避するために」する勉強になります。
楽しくないし、伸びにくい。
勉強のことにとどまらず、全てが「不幸を回避するために」になりますから、消極的な人生になりやすくなる。
そもそも「勉強しないと将来困るよ」という言葉は、親の愛、親心から来ています。だからそれ自体が悪いという事はないし、むしろ愛してるからこそ出る言葉。ただ、幸せになってほしいのに、かける言葉がずれている、というだけなのですね。

じゃあどんな言葉をかければ良いのか、または、かけないほうが良いのか。
「宿題した?」のように、ふと思ったから聞いてみた、のようなさり気なさを装った「そろそろしなさいよ〜」メッセージは、言葉にしなくても子どもに届いています。
そういう宿題は「やらされている」わけです。能動的ではないのです。
「宿題というものはやらされるものだ」という概念ができていきます。
どうやったら子どもが自主的に宿題をするのか、とはどの親も思いそうな事ですが、私はそれに違和感があります。なんだか遠隔操作的。自主的に見せかけた、親のコントロール。宿題をするのかしないのかなんて、どうでも良いんです。(しなくてはいけない、と思っている方が多いかもしれませんが)
そもそも自分にとって、何のために宿題をするのでしょう?
それを自覚して宿題をしている子は、どのくらいいるのかなぁ。
殆どの子は「だって出るから」と受け身でやっているのではないでしょうか。
親もやらなくちゃいけないものと思い込んで、やらせようとする。
そうすると宿題をしない子の方がずっと「自主的」かもしれない。
やるやらないではなくて、大事なのはそれを自ら自覚して、選んでいるかどうか、という事です。

ちなみに息子は小学生の頃は、殆ど宿題をしませんでした。
(でもなぜか、柔軟体操の宿題だけは6年間必ずしていたので、そのおかげで長座体前屈だけ学年トップ …)
私は、したくないのならしなくても良い、学校が一方的に出しているものだから。ただし受け取った時点でやってくると約束したようなものだから、ただなかったことにするのではなくて、僕はやりませんって言った方がフェアだと思う、と伝えました。本人はあまりわからなかったようですが、そういう考えを親が持っているという事は伝わっていると思います。
彼自身は普通に持ち帰り、やらずに行く、といった感じでした。
それでも班のみんなが困ると思うようなものはしていったですし、本人なりに考えてもいたようです。先生から電話もたくさんかかってきたけれど。

勉強ができて(数字が取れて)もできてなくても、それが自主的でないのであれば、生きることに消極的な人として成長します。
勉強ができてもできなくても、自主的であれば、生きることに積極的であり、そう成長します。

幸せは「選べる」のだから。選ぶ練習をして、選んだものを受け取る(責任を取る)人になっておかないと、そもそも選べなくなってしまうのです。
親は子どもに幸せになってほしい。そうじゃない人なんていないと思います。
棚ボタ的幸せというのもありますが、あれは「落ちてくることを選んでいる」んです。

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Commented by 1577シープ at 2017-02-07 21:47 x
こんばんは。ちょうど今日、自分をもっと丁寧に見つめています、とお願いを書いたところでした(新月にこだわらず書いてみました笑)。タイムリー!
正確にはノートに書いたのは、「体調に寄りそって健やかにすごしています。」だったのですが書いてから、それってどういう事?って奥が開く感じでした。ただ願うのと、書くのは本当に違う…!また今までとは違う方向からも自分を見つめることができそうです。
シンクロな記事に嬉しくなったので、ご報告でした♪
Commented by 4cubes at 2017-02-08 14:55
> 1577シープさん

わぁ、素敵ですね!その感覚。
そう、言葉ではもうみんな知ってる。読んだことある。なんですよね。実際にやると、気づきがある。行動力、素晴らしいです!

シンクロ私も嬉しいです🎵
by 4cubes | 2017-02-07 14:53 | 潜在意識 | Comments(2)

心の取扱説明書である数秘と、心の仕組みを知って、ほんとうの自分を生きたいと思う人の、心のお手伝いをしています。


by のりこ