おかねとか視点の話
2017年 02月 17日
だから、高額セミナーの人は儲ける事ばかり考えていて性格が悪い、とか、無料の人は親切だ、という見方をする人がいる。
言わないまでも、どうしてもそう感じてしまう人も多いようなのですが。
私も、近いような事(この差は何だろうと)考えていた事はあります。
性格の良し悪しは主観ですから横に置いておくとして、また、有料だろうが無料だろうが、発信側が意図してやっていて、需要がついてきているのであれば、発信側と受ける側の問題である、という点でもここでは置いておくとします。
高かろうが、それでオッケーという人がいるんだからいいじゃん、ってやつですね。
それを公平じゃないから良くないっていう人もいるし、単純にメカニズムが知りたいという人もいる(私はこれでした)。
これは、発信している人そのものがどうのではなくて、その考え方をしている人が、その考え方をしているという点において「本質と違う」という事が言えます。
そもそもそこじゃないよ、という事。
この考えをする人は、前提が「おかね儲けは悪いこと」まではいかなくても「安く、もしくは無料で提供するのが良い事」とか「良い人」というような定義を持っています。
だから、同じものが値段違いでそこにある時に、値段で(商品もしくは提供する人の)価値を判断してしまう。
「同じものである」という決め方も主観的です。
仮に内容が一言一句同じであろうと、それを「同じ」と取るか「違う」と取るかで違う。
発信している人が違えば「在り方」が違うのだから、違うものなのです。当然受け取るものも違う。
誰から買いたいかが重要なのは、そこです。
で、誰から買いたいか、というところが軸となり、それがたまたま無料なのか、100万円なのかというだけの話。
それを、無料だから、100万円だから、とすり替えて考えているところで、その時点でもう純粋に受け取れなくなってしまっているのです。
見ている事象は同じですが、見る視点が違うそれだけで、受け取れるものが受け取れなくなるという事が起こります。
何でもそうですが、物事は全て視点の違いです。
そして値段については、比較するものではなくてですね、無料のものは無料のものとしてそこにあり、100万円のものは100万円のものとしてそこにある、それだけなんです。
Aさんから買いたい → 無料だった。ありがたく受け取ります。
Bさんから買いたい → 100万円だった。今の時点で物理的に無理です。
これ以上でもこれ以下でもない。
無料、または有料っていうのは、結果的にそうだったというだけの事で、Aさんがどうとか、Bさんがどうとかって話ではない。
あなたが億万長者だったら、Bさんのセミナーが100万円でも楽に出せるから気にならないでしょう。むしろ無料の方が、何か裏があるんじゃないかと思うかもしれない。
100万は、ただ自分が行けないから、手に入らないから、問題(つまり視点でもある)をすり替えているだけ、という可能性がそこにあります。
PTAの仕組みに普段文句言わないし会費も黙って出すのに、自分が役員になった途端に「こういうやり方はおかしいと思います」と言い出す人みたい。
つまり、これは誰にでも言える事なのですが、自分事となった途端「視点が変わって」問題でなかったものが問題になってくるのです。
100万円取るBさんが問題なのではなくて、あくまで自分にとっての100万円問題なのです。(そして問題でないものを丁寧に問題にしている)
お金の、数字の部分に囚われているとこの考えになりがちになります。
数字ってわかりやすいから、そうなりがちなのですけれどもね。ほんと幻想です、お金って。
で、お金で、例えば情報を買っても、それは情報を買っているわけではないんです。
本当は、情報の奥にあるものを買っているのです。
発信する人の「言葉の情報」というデータを買って「在り方」をインストールするためにお金を出しているのです。
情報を買ったと思っている人は、買っただけで何とかなると思っていて、ダウンロードするという事を知らない。
「情報」という表面しか見ていないから、値段の違い(自分で自覚できる違い)のみに反応する。
で、その情報で変われなかったから、また違う情報を探し求める。目新しさばかり求めてやっと違う情報を手に入れたと思ってもやっぱりダウンロードしない(知らない)から同じことの繰り返し。
ダウンロードしないと、当たり前ですが使えません。着るために買う洋服も、買うだけじゃなくて着てこそ意味がある。
自分は本質的に何を買って、あるいは得ているのか、というところを知らなければ、お金だけ出してもそれはお金が移動しただけで、買ったことにならないのです。
で、それがたまたま無料かもしれないし、たまたま有料かもしれないというだけ。
無料より色々な点で有料の方が純度が高くなり、受け取る仕組みの精度も上がり、そこに大きな豊かさがあるので、厳密には無料と有料には差がありますが。
(これはもうそういうものですから)
で、別に情報だけ広く浅く手にしても良いのです。それが自覚できていれば。
自分が、主体的にそうしていると思えているのであれば。
人のせい、他のもののせいにしているから変な話になるだけです。
主体的であれば(ほんの少しもごまかすことなくそうであれば)本当に何でも良いと言えます。
(主体的に犯罪を犯すのもあり?という質問はさすがに来なくなりましたが、そもそも主体的な犯罪ってないんですよね)
例えば、部屋着を、ボロボロのものを着ているとして、自分にもお金を使ってあげましょうとか、そういう本もあるし、それもわかりやすいし良いし、私もそう伝えることもありますが、心の底から確信して「誰が何といってもこのボロボロがいいの!」というのであれば、それが本心なら、ボロボロで良いんです。
ただ、当たり前にそれを着ているのではなく、まず疑ってみて、実はどっちがいいの?というところを探る必要がありますよという事。
顕在意識って本当にお利口で、自分に都合の良い理由を見つけるのが大の得意。
「誰誰から貰って愛着あって、着心地良いの」と思いつけば、本気でその通りに自分を騙すだけの賢さがあります。
数字の性質で「誰から貰ったかが大事」という性質もあるし、「機能性が大事」っていう性質もあるし、大事なポイントは人それぞれなのですが、自分の本音かどうかしっかりと見極めること。そこにお金を使うこと。そうすることで、本質がダウンロードできるんです。
ダウンロードできて、やっと完了なのです。
それ以前は全部ダミーなんです。必要業務みたいなもの。
セミナーも、買い物も、誰かと会うのも、仕事するのも、全部全部。
ハード(自分)とデータ(買ったものや選んだもの、こと)のバージョンがずれていたらダウンロードできません。
自分というハードと、その時の本音というバージョンをしっかり確認しましょう。
バージョンは変わるでしょう?本音も流動的です。だからいつも自分に本音を問うこと。バージョンを確認する事。
そこにお金は出てきません。
お金は、ダウンロードをスムーズにする潤滑油みたいな役割であるだけです。
その時に物理的に「ある」のか「ない」のかだけなんです。
あったらスムーズで、なかったらちょっと手こずるね、くらいなものです。
で「ある」状態がお好みなのであれば「ある」にすれば良いだけの話なのです。
まだ空きあります↓