前回の記事に、刺さった方がとても多くて、それ以降の講座やセッション、皆さんこのテーマに当たっています。
先日も書いたけれど、パートナーシップが一番顕著に出るから、やはり思い当たる方が多いのもわかります。
現実がうまくいっていないと思われる時、うまくいってないこともないけれど何かが引っかかる時、パートナーシップに大きな意味を持つ場合も多いかなと思う。
近しい人とのコミュニケーションから逃げている、うまくいかない時というのは、何を投影しているかというと、自分とのコミュニケーションがうまくいっていないことを投影している。
自分と仲良くできていないんです。
パートナーと感情のやり取りをしていない時、自分の心の声も聞いてあげていないんですね。
パートナーに怒らないけど、自分を大切にしていない自分にも怒っていない。
うまくいっていないわけじゃないけど、至福の幸せも感じていない時、それは、そうなっちゃったわけじゃなくて「そんな中途半端な幸せを自ら選んでいる」その結果なだけなのですが、大事な自分を、そんな半端な環境に自ら置いている、それを自分に許しているということになる。
嫌なこともあるけれど、そこそこ幸せだから、こんなもんでまぁ合格。
と、自分に妥協している。
私が元夫と別れたいと思ったのは、彼自身は子煩悩で真面目で借金もギャンブルも暴力もないし、優しくて見た目もシュッとしてて、別れる理由なんて1つもないんだろうけど、どっちが悪いとか悪くないとかじゃなくて、感性や感覚、五感、理屈じゃないところで決定的なことが「違う」というそれだけだったんだけど。
私が、自分に正直になった時、ほんの少しでも、自分の感性に合わない環境に、自分の身を置くことに対して、自分自身に許せなかったからだといまはわかります。
彼が悪いわけでもなく、もともとある「違い」とは別の、私が私をどんな環境に置きたいのか、という点において、彼と一緒にいるということが、あくまで自分にとって「違う」から、別れようと思ったんだ。
彼は彼で、ただそこに「ある」
自分が産んだ我が子も、自分が産んだからとかじゃなくて、ただそこに「ある」
例えば時給で選んだ職場も、ただそこに「ある」
ママ友とのランチの場も、ただそこに「ある」
どれもただ「ある」んだけど「ある」事を動かすことはできないけれど、そこを自分が選ぶのかどうかは、自分で決められるし、いまあなたがいるその場所は、あなた自身があなたに、そこにいていいよって許してそうなっている。
その、あなたがあなたに許した場所が、心地良くなかったら「そこにいていいの?」「そこにいる事を自分に許していいの?」というメッセージ。
心からのコミュニケーションが取れていないけれど本当は大切な人、そんな人がいるなら、それは「その人と一緒にいていいの?」って事じゃなくて「あなたは、心から信頼できる間柄じゃない人が近くにいる、その状況に身を置いていいの?」という意味で。
それを自分に問うて、問うて、自分の声を聞いて、聞いて、一番大事な自分を、他ならぬ自分が信頼できたら、目の前の人とは自然に信頼関係を築けるし、もしかしたら別の道を歩むことになるかもしれないけれど、今度は心からその人を信頼して送り出せるから、お互いがお互いの幸せを心から望むことができて、それが「幸せな離婚」という形になる。
浮気をした旦那さんと別れたいと思う時。
浮気をした「から」別れたいと思うなら、それは「浮気をした事を利用して、別れよう」という魂の損得勘定で(これは使える!ってやつですね。無自覚かもだけど)
彼を責める理由があって、損しているようで実は「得」なんです。
自分は責められずにことが進む。
でも本当は「浮気を通して、大切にするべきものを大切にしない、そんな人と一緒にいるという環境を、自分が自分に与えている」という事を思って悲しい。悔しい。そして自尊心が傷ついて、怒りになる。はずなので。
その感情は、自分に向いているはずなんですね。
「こんな環境に身を置いて、自分は自分にそれを許して、いいの?本当に?」
自分に聞くのが怖くて、人はいつも何かのせいにする、誰かのせいにする。
学校がどうしても嫌なら「逃げても良い」って教えているのは「あなたがあなたらしくいられる場所を、自分で選びなおして良いんだよ」ってこと。その選んだ先が、他の学校でもいいし、家でもいいんだ。
それを人が勝手に、例えば「引きこもり」って呼んでいるだけなんだ。
名前をつけるのは、いつも当事者ではない人。
だから、一般化されているその呼び方は、本質じゃない時が大いにある。
自分の内側を見るのは、とても怖い時があるようなんだけど、それは私もわかるけれど、私は「怖いから見ちゃう」です。
だって、なくならないもの。
あるんだから、気になってしょうがない。
家の中に泥棒がいるのがわかっているのに姿が見えないとしたら、怖くて寝られない。かといって、そのまま勝手にいなくなってくれることもない。
見るのも相当怖いけれど、後ろから刺される恐怖を感じるくらいなら、見ちゃって、どうしようか考える方がずっと良いなと。
昔から、見える泥棒より見えないお化けの方が怖いと思う方です。
ごまかしがきかない性質みたいです。
ちょっとこの内容で続けてみようと思います。
実際に自分を大切にする、本当のご自愛の方法について。
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