「めんどくさい」の考察

<ずっと家にいると自己肯定感が下がる>

何か夢中になれる事をしているだとか、あるいは人に求められる事に応えているという実感も特になくて、それでも暮らせてしまう時。

自己肯定感が下がる。

子育てが落ち着いたあととか、定年退職したあと、忙しいパートを辞めてしばらく家でのんびり専業主婦をしている時に、それをただ楽しむこともできるはずなのに、なんとなく何かしていない自分が気になったり、本当にはボーッとできなかったりというのは、たぶん

自己肯定感が下がってるんだろうなと思った。
こうしている自分には、価値がないという気持ち。
あぁ、せっかく自由なのに。
けれども人というのは、そう思うようになっているんだと思う。
自分のすることが誰かのためになっていると感じる時、人は幸せだと感じやすいし、理屈抜きでもうそういうものだ。
(役に立ってないから自分には価値がないとは違うよ、けどここに陥る人も多い)

私が離婚して事務所も自宅になって、息子は部活でいきなり忙しくなって、「離婚」という目標もなくなって、淡々と家でPCに向かって仕事するだけの日になった時に陥ったのはおそらくこの無価値観だと思ったし

そこから抜けたと思っていたはずなのに、ここのところずっと家にいて、PCに向かってデータ作成を、夢中というわけでもなく淡々とやっているだけの1週間ほどを過ごしていると

昨晩、気分良く本を読みながら眠りについたはずなのに、今朝起きたら自分の体がとってもかたくてびっくりした。目覚ましなしで起きたはずなのに、自然な感じも心地良さもなくて、固まったまま。
夢を見たんだけど、私はなぜか高校生で、部活の寮に入る事になってそれを母親に報告してるところで、新しい暮らしが始まることに、充実した未来を感じて心が踊る明るい夢だったから、起きた時に大きな反動が起こって「私、なんもない」を感じたとたん、心が落ちた。

もちろんほんとうに「なんもない」のではなくて、そういう風に感じてしまうっていうだけの事なんだけれど、大したことをしていない(と解釈し、そんな)自分には価値がないとわざわざ考えるその思考は、しぶとく自分の中にあるものなのだなと改めて思った。
でもきっと、それも大事なんだと思うよ。
そこから、自己肯定感を上げる自分だけの作業をして落ち着いた。

セミリタイヤしていた人が、お金も時間もふんだんにあって自由なはずにもかかわらず、セミリタイヤしている時期が一番辛かったと仰ってたけれど、それはとてもよくわかる気がした。

私の彼もセミリタイヤの人だと言えると思うけど、100%の自由が良いとは考えていなくて、緩やかに仕事をしたり、お金にならないメンドくさい事をやってる。
理屈で考えてそうしているんじゃなくて、彼の無意識が「100%の自由はほんとうの幸せではない」ということを感じているから、仕事もお金にならないことも、人に頼まれたりする事も、ご縁という流れがあって、彼はそれを抵抗しないで「メンドくさい」すらぜんぶ、一緒に受け取っているだけなんだなと思う。

私が「なんで?なんで?」って聞くと彼はいつも笑顔で「めんどくさい人ですねぇ」って笑いながら答えてくれるのを思い出した。

「めんどくさい」を全部なくすっていうのは、実はすごく味気なくて無機質で、必要な温度まで、なくしてしまうようなものなのかもしれない。
昔のママ友のことを思い出した。
「おもちゃを片づけるのめんどくさい!やだってずっと子どもに言ってたら、うちの子、一切おもちゃを棚から出さないようになって、そのうちおもちゃそのものを欲しがらなくなったんだよ」って、そう言ってた。

よし今日は、頼まれた物を縫ってしまおう。
「めんどくさい」けど、その向こうに見えるものがあるとおもうから。


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by 4cubes | 2017-08-19 13:24 | 潜在意識 | Comments(0)

心の取扱説明書である数秘と、心の仕組みを知って、ほんとうの自分を生きたいと思う人の、心のお手伝いをしています。


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