できないについて

私のブログタイトル「できない」ってついているけれど、実はできるもできないもおんなじで。
「できない」と思い込む事で、もしかしたら不必要に悩んだり苦しんだりしている人に届くかなってつけたタイトルです。

息子は3歳までほとんど何も話さなくって、言葉の先生に見てもらってくださいと言われていたんだけど、なんとなく違和感があって無視してたんですよね。
話す気になったら話すんじゃないかって思ってて。
行けと言われた施設は週1くらいで通いながら話す練習とやらをするところらしいと聞いて、そんな風に本人が望まない事を無理やり覚えて、何かが人並みになったりそこに近づいたとしても、それは純粋な息子じゃないし

人間の認識で、仮に10が話す力の及第点だったとして、3話せる子がいた時に、すでに綺麗な色の完璧な3なのに、外から無理に持ってきた7をくっつけて、混ぜて、色はちょっと目を瞑って、なんとか他の人と同じような10にしようとする感じが、どうしてもあって。
見た目は10だけど、やった方の自己満足なだけで、すごく不自然な10ができあがる。

言葉にするのは難しいんだけど、なんかそういう「混じりっけのあるもの」にしたくない、っていう思いが私の中にあったようなんですよね。
あとは、どこかいじくると、どんどん辻褄が合わなくなっていくような漠然とした感じ。

それとは別に息子1歳半くらいの時に「停留睾丸(睾丸が下がらず体の中にとどまってしまう。温度が下がらないから子種に影響があるとかないとか)」と診断されてしばらく大きな病院に通っていた事があって「手術で物理的に下げることはできるけれどどうしますか?」と言われた時に、その先生は「物理的に下げてもそれは形だけで、もともとそういう睾丸だからここにとどまって生まれてきたんだと思います」って言ってて。
ただ、誰かとお風呂に入った時に見られるのが、とかそういうことを気にするなら外科的手術もありでしょうということだった。

その時に、先生が何を伝えたかったかはわからないけど私は、なんの問題もない、そのままでいこう、っていうか、いけるじゃんと思って。
あくまで私の考えなんだけど、人間の肉体って、脳も目も心臓も筋肉も血液も、話す事、聞く事、考え、それに心で感じる事も、何もかも全ての機能がすごく精密にできているから、なんとなく、それを、できればいじるのは最小限が良いという気がして、その時の私は、何もしないことに決めた。

で、今の息子は普通に話しているし、停留睾丸については彼の裸を見ないからどうなったのかわからないし、気にしてもいない。そもそも問題なんかじゃないからどっちでも良いと思ってる。
あるがままでいて、もしも「何か」あったなら全力でフォローする、その腹はくくってる。

足の速さはいろんな子がいていいのに、絵は上手でも上手じゃなくても何も言われないのに、言葉だけはみんなが同じように話せなきゃと思うのとか、最低限、英語はここまで、数学はここまでできなきゃいけないって、その境界線はなんだろうって思う。

思うけどそれはそれで、乗っからずにいることもできるから。
息子も私も凸凹だらけだけど、このままで人生をうまくやる方法を諦めなかったから今があり、実際とても幸せだなと思う。

そういえば息子のお弁当についていくつかお問い合わせを頂いたのですが、なんか、食べるようになりましたよ。
というか、顧問の先生や先輩から「体を作るために肉を食べろ」と言われ、お肉をお弁当に入れるようになったのですが、お肉は彼にとって結構頑張って食べるという種類のもので、食べるのに時間がかかるため、他のおかずまで手が回らない。そこで「ご飯とお肉だけでいい」という話になり。
お弁当は毎日、焼肉丼になりまして、完食してきます。
野菜などは朝と夜に量を食べられるように工夫することで、まるっと解決(もともと問題などではありませんが)しました。

逆らわないでいると、何かの形で適当にうまくいくようになります。


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by 4cubes | 2017-05-10 20:06 | 潜在意識 | Comments(0)

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