環境が大事、のほんとうの意味

B9で生き始めて、ゆるゆるな毎日ですが、こころは緩くても、毎日セッションや型紙屋を元気にやっております。

会いたい人にベストタイミングで会えるし、荷物を持って行こうとしたらヤマトのドライバーさんに会ってそのまま渡せたり、日常の詰まりがどんどん取れて物事がスムーズ、最短で最良の結果になっている気がします。
物理的な時間短縮だけでなく、余計な事考えたり悩んだりという方向にエネルギーを使わないから、頭の中が忙しくならないんですね。
だから1日が長いと感じます。
ゆったりと時間が流れている感覚。
やっている形は変わらないのに、感じ方はまるで変わりました。
だから「2つもお仕事して忙しいですよね」と言われるけれど、全然そのように感じることはないんです。

最近は受験や子育てのご相談も増えてきましたが「うちの子は流されやすいから、それなりの環境のところに入れたい」という話がよくあります。
環境が人を作る、というのはその通りだと思うし、荒れている学校に入ったら影響を受けてしまうんじゃないかと心配な方も多いと思います。
環境が人を作るなら、好ましい環境に身を置きたいと思うのは自然な気持ちですよね。

この「環境が人を作る」をほんとうの意味で捉えている人は少ないように思います。
環境の本質は、見える部分じゃなくて「在り方」の話だと思います。
つまり、確かに高学力の学校に入れば、そのレベルにいようと思う力が働いて、周りがやれば自分もやるのが当たり前になるから、成績は伸びるのかもしれない。反対に力尽きてドロップアウトするかもしれないけれど、それは見える「形」の部分の話。
大事なのは、どういう前提で学んでいる場なのか、ではないでしょうか。
その環境が「そうしないと競争社会で勝てないから」学ぶ場だとしたら「世の中は敵がいる」という世界になるので、伸び伸びと謳歌できるはずの学校が戦いの場になるし、その後も優劣の世界で生きることが当たり前になると思うのです。
だから本質的に考えれば、戦いの場にいてドロップアウトするのは、すごく真っ当で健全であり、不登校はその主張であることが多いと思います。

見えるものだけで判断しては危険なこともある気がします。
「そこそこの環境に入っておけば安心」という考え方は「人生は環境に影響される」(自分の力が及ばないところで自分の人生が決まる)という受動的な考え方だと私は思います。自分がない人だということ。

「なんかわかんないけどここが良い」というような決め方なんて、一番不真面目なようで、一番本質的だと思います。
自分の心の奥にある本当の気持ちに、理由なんてないから。
理由のある選択は、どこかに思考が働いています。
「わからない」「決められない」というのも当たり前。
そもそも、一斉に同じタイミングで人生の方向性を決めるなんてことに無理があるのだから。

いついかなる時にも環境や他人に合わせることなく、合わせることがどうしても必要になると思える学校生活の場でさえ、自分でいること。というか、どうしたらそういられるかを考え続けること、それだけ。
うん、それだけなんです。
不登校の子は「どうしたら自分でいられるか」の結果「登校しない」を選んだだけ。(自分を生きている前提ですが)
日本人は「合わせる」事を美徳であると考えている人が多いし、その美しさもあるけれど、それもね、先に周りに合わせて自分を偽るのではなく、自分に正直になった上で「合う・調和する」を求めていくこともできると思います。

「在り方」で学校選び、すると良いと思います。
学校だけでなく、仕事を選ぶ時、買うものを選ぶ時、全て。
自分が何をしたいかの本質を知ることはもちろんだけど、同時にその学校(仕事、物)が合っているのか、現時点で判断できるポイントを見ること。
例えば「病院」に行く方が合うのか「クリニック」に行く方が合うのか「学園」が合うのか「学院」が合うのか、言葉からのアプローチもあります。
言葉は、前提をわかりやすく顕在化(現実化)していると思います。


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by 4cubes | 2017-05-24 09:15 | 潜在意識 | Comments(0)

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