カテゴリ:潜在意識( 322 )

モリアオガエル

<生まれて初めて本気で嫉妬した相手は、モリアオガエルでした>

モリアオガエルって、今の東京にはいないらしいのね。
そんなモリアオガエルを、少し前に彼が自宅の庭で見つけたって聞いて、どうやら一緒に栃木に行ったときに、考えにくい事だけど、車のどこかの隙間に入り込んだのを連れ帰ってきたんじゃないかという事に落ち着いて。
彼がひとまず飼ってるんだけど、だんだんなんとなく不憫になってきたらしく「栃木まで返しに行ってこようかな」って言うので「付き合うよ」と返事したら「今回は(カエルと)2人だけで行かせてほしい」って言ってきた。

そうしたら、ぶわーーーっと涙が溢れてきて。
えー!泣いてるよ私。
混乱して最初は「なんでなんで」ってただそれだけ思ってたんだけど、どこかで新鮮な感情を感じているうちにこれがどういう事か理解したくなるのが私の癖で、そのまま友達にすぐ話した。
彼女は同い年でありながら、同じクラスにいても友達になってないだろうなーって、それくらい色々と「違う」タイプなんだけども、セミナーで席が隣になったご縁で知り合いになってから、まさにその「違い」によって自分を知ることを、彼女を通してなんどもなんども、体感してきた。
「違う」からこそ繋がれて、そこから育んできたものがあって、気がついたらとても大事な存在になってた、そんな人。
(そして「違い」ばかりだと思っていたらこれからの人生に大きな役割を持つ重要な「同じ」を昨日見つけて2人で小躍り)

で、彼女と話していくと1つずつ解けてくる。どうやら自分が仲間はずれになったからでも、申し出を断られたからでも、一緒に行きたかったからでもないようなんだよね。じゃあえーとえーと…

…… あ、相手がメスだからだ。

と、ふっと出てきて、それと同時に、
え、マジで?カエルに⁉︎ って自分にもツッコみました。
いやいやいやいや、それはないでしょーーーーと最初はね。思考がね。

でもね、でもね!
もしオスだったらって考えたら、オスだったら平気なんですよ!
何度考えてもオスだったら平気なの!

そこで気がつきました。
これはメスの動物的本能なんだなーって。
理屈抜きで「メスだから!」

相手が人間だからとか、人間じゃないのにとか、そういう理屈抜きでただ怒りが湧くんです。(でもすっごく可愛いモリアオガエルで、そこは萌える。矛盾じゃなくてそういう矛盾っぽいものを色々と抱えているのが本来の人間だから、思考でつじつま合わせようとしたってうまくいくはずないんだよね)
逆に私は記憶上、人間の女子にマトモに嫉妬したことない。

彼がカエルに恋愛感情持ってないってわかるよ。
私をやめてそっちに鞍替えするんじゃないってわかるよ。
でも理屈抜きに心を持っていかれて、彼やカエルに怒ってるんじゃなくて、ただすっごい切ないだけ。それに切なくってもそれは苦痛というわけじゃない。
「切ない」を楽しんでた気がする。
そんな新しい感覚は、これまでの自分に混ざり込んで、また少し、色味や奥行きを増した新しい自分になる。

私、彼にも「純粋だ」って言われるし、例えば占いとかリーディングとかそういう時にもよく「ピュア」みたいに言われることが多くて、それを心が綺麗と言われたみたいでいっちょまえに照れてたけど、要は「野生的」だって事なんだなwww
そのまんまってこと。
手つかずだし、手がつけられないってことでもあるな。

彼にこの一連の嫉妬の話をしたら大爆笑してて、それから言葉にしにくいけれど、優しく穏やかに感じてくれたような感じがして、私は安心した。



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by 4cubes | 2017-08-20 19:05 | 潜在意識 | Comments(0)

「めんどくさい」の考察

<ずっと家にいると自己肯定感が下がる>

何か夢中になれる事をしているだとか、あるいは人に求められる事に応えているという実感も特になくて、それでも暮らせてしまう時。

自己肯定感が下がる。

子育てが落ち着いたあととか、定年退職したあと、忙しいパートを辞めてしばらく家でのんびり専業主婦をしている時に、それをただ楽しむこともできるはずなのに、なんとなく何かしていない自分が気になったり、本当にはボーッとできなかったりというのは、たぶん

自己肯定感が下がってるんだろうなと思った。
こうしている自分には、価値がないという気持ち。
あぁ、せっかく自由なのに。
けれども人というのは、そう思うようになっているんだと思う。
自分のすることが誰かのためになっていると感じる時、人は幸せだと感じやすいし、理屈抜きでもうそういうものだ。
(役に立ってないから自分には価値がないとは違うよ、けどここに陥る人も多い)

私が離婚して事務所も自宅になって、息子は部活でいきなり忙しくなって、「離婚」という目標もなくなって、淡々と家でPCに向かって仕事するだけの日になった時に陥ったのはおそらくこの無価値観だと思ったし

そこから抜けたと思っていたはずなのに、ここのところずっと家にいて、PCに向かってデータ作成を、夢中というわけでもなく淡々とやっているだけの1週間ほどを過ごしていると

昨晩、気分良く本を読みながら眠りについたはずなのに、今朝起きたら自分の体がとってもかたくてびっくりした。目覚ましなしで起きたはずなのに、自然な感じも心地良さもなくて、固まったまま。
夢を見たんだけど、私はなぜか高校生で、部活の寮に入る事になってそれを母親に報告してるところで、新しい暮らしが始まることに、充実した未来を感じて心が踊る明るい夢だったから、起きた時に大きな反動が起こって「私、なんもない」を感じたとたん、心が落ちた。

もちろんほんとうに「なんもない」のではなくて、そういう風に感じてしまうっていうだけの事なんだけれど、大したことをしていない(と解釈し、そんな)自分には価値がないとわざわざ考えるその思考は、しぶとく自分の中にあるものなのだなと改めて思った。
でもきっと、それも大事なんだと思うよ。
そこから、自己肯定感を上げる自分だけの作業をして落ち着いた。

セミリタイヤしていた人が、お金も時間もふんだんにあって自由なはずにもかかわらず、セミリタイヤしている時期が一番辛かったと仰ってたけれど、それはとてもよくわかる気がした。

私の彼もセミリタイヤの人だと言えると思うけど、100%の自由が良いとは考えていなくて、緩やかに仕事をしたり、お金にならないメンドくさい事をやってる。
理屈で考えてそうしているんじゃなくて、彼の無意識が「100%の自由はほんとうの幸せではない」ということを感じているから、仕事もお金にならないことも、人に頼まれたりする事も、ご縁という流れがあって、彼はそれを抵抗しないで「メンドくさい」すらぜんぶ、一緒に受け取っているだけなんだなと思う。

私が「なんで?なんで?」って聞くと彼はいつも笑顔で「めんどくさい人ですねぇ」って笑いながら答えてくれるのを思い出した。

「めんどくさい」を全部なくすっていうのは、実はすごく味気なくて無機質で、必要な温度まで、なくしてしまうようなものなのかもしれない。
昔のママ友のことを思い出した。
「おもちゃを片づけるのめんどくさい!やだってずっと子どもに言ってたら、うちの子、一切おもちゃを棚から出さないようになって、そのうちおもちゃそのものを欲しがらなくなったんだよ」って、そう言ってた。

よし今日は、頼まれた物を縫ってしまおう。
「めんどくさい」けど、その向こうに見えるものがあるとおもうから。


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by 4cubes | 2017-08-19 13:24 | 潜在意識 | Comments(0)

ファシリテーター(伝える人)をやめてみる

潜在数秘術の、ファシリテーター更新のお知らせが来ていたのを、少し考えて「更新しない」で返事しました。今後は潜在数秘術のマスター(セッションする人)としてのみの活動になります。

自分の内側が「そう」思うから。

やめてみた。

自分が持っているものとかやっている事を「手離す」について考える時、同時にそれがもう二度と手に入らない気がするとしたら、それはなぜだろう。
「永遠に手離す」わけじゃなくて「一度やめてみる」だけ。
ほんの少しでもズレを感じるのなら、まずやめてみる。戻る。そこから考える。
もちろん「やめない」って選択をする事も良し。人それぞれ。

昔から、失恋するたび物事がうまくいかなくなるたび、それが私の方法だったんだと思うけれど、いつも断捨離してあらゆる物を整理してきた。
そういう時は妙に冴えていて、自分に必要だと思えるものとそうでないものが、すごく明確で頭がクリアになっていた気がするんだけど、そういえば断捨離といってもその本質は物質じゃなかった。
例えば漫画を処分するとしたら、処分したのは漫画そのものではなくて「漫画を読む自分」だった。「友達と遊ぶ自分」とか「テレビを観る自分」もやめてみたりした。自分にくっついているものを剥がすような作業。
「失恋した自分」だけになろうとしてたな。
少なくとも私はそこに答えがあると知っていたからだと思うんだよね。
痛いけど向き合ったほうが傷が癒える時間も驚異的に早いっていうこともわかってた。

ファシリテーターをやめても痛いっていうことはなくて今はとても軽い。

その直後、あまりにもぴったりのほしいものが、ぴったりのタイミングで2つ入ってきた。手離してすぐ入ってくるものは、どこにも無理がなくて、どこにも引っかかりがないからすぐわかる。この感覚はほんとうに心地良くて、これを知ると、頑張って何かを手に入れようとする事がいかに不毛な事かもありありと体感してくるのだけど。
それでも「ほしいもの」のために何かするわけじゃなくて。
ただ「やめてみる」ことによって入ってくるという自然の摂理があるだけ。

ご飯を作る事をやめてみる、という事を思って、それをもうずっとやってるけれど、まず時間だから作ろうっていうのがなくなって、お腹が空いた時に考えるようになる。
食べに行くとか、買ってくるとか、食べないを選ぶとか、やっぱり作るとか、そんな風に選択肢が広がる。そこから自分を見つめると、結局ほんとうの自分は「作る」を欲していて、そして一番しっくりくる事が多い。
凝ったものは作らないけど、おいしくてそれが幸せな事がわかっているから。
作りたい気分やタイミングでないのに我慢して作るごはんも、作ることから逃げて外で食べるごはんもおいしくない。
以前クライアントさんが出雲の美味しいお米をプレゼントしてくれて、そのおいしさに親子で驚愕して、以来お米はずっとそれを買ってるんだけど「いつも超おいしいお米がうちにはある」って、心のどこかにそれがあって、卵かけご飯でも、海苔と納豆だけでもおいしくて幸せな食事になるのわかってるから、結局外食ってほぼないし、おいしいごはんを想像したら、気がつけばそれに合うおかずを作っていたりする。

昨日は、わたしがスマホのパズルを解いてたら息子が覗き込んで「俺だったら別のやり方するけど」って言うので「それ見たい!」って言ったら、わたしより解き方の視点がずっと高くて舌を巻いた。
もうずっと「すっごー!そこ置いたらこっち消えるってなんでわかるん?」「えー!そんな先までわかるん???」「天才やなwww」って、褒めようとしなくても勝手に口から出てきた。
それから、ユーチューバーとVALUの話を、一緒に寝っ転がって夜中まで話してた。
わたしは株やVALUのかんたんな仕組み、彼はユーチューバーについて知ってる事を提供しながら、どこの会社の株だったら応援したくなるかって盛り上がってしまい、寝たの3時www

そんな夏休み。


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by 4cubes | 2017-08-18 19:32 | 潜在意識 | Comments(0)

借金について思う事

<資本金2万円>

もう10年以上前だけど、会社の同僚だったパタンナーと一緒にネットショップを始めることになった時に、お互い1万円ずつ出し合って、ユザワヤに生地を買いに行ったのがスタートで。
幼稚園バッグが最初の商品だった。

ネットショップだし仕入れは生地代くらいだからという事ももちろんあったけど、もともと心のどこかで借金だけはしないでおこうと思ってたと思う。
それは20代の頃、騙されて借金が数百万円できた時に、借金というものがどんな感じか「体感」したからだと思う。 その瞬間こそダメージが大きくて思考停止になったし恐怖も感じたけど、返すしかないって決めたら、たぶん怖いって思う時間も惜しんで全神経を返すことに集中してたと思うから、感覚としては「借金の恐怖」というよりは「不自由な感じ」に近いかな。

そこから確かに学んだんだと思う。
ただ、学んだって言っても「借金怖い!二度と同じことはしない」って失敗とかトラウマになって、何が何でも借金しないぞってこととも少し違う気がする。
借金そのものは投資家だってするし、家を買う人は当たり前にするのを知ってるから。
借金は大変だったけど、借金が「恐怖」だとしたら反射的に逃げたくなると思うから、逃げれば逃げるほどまた借金が現実化してたんじゃないかと思うよね。
だから、恐怖だと思ってたけどそうじゃなかったっていう発見は大きかったと思う。

ただその実際に体感して知っている感覚「不自由な感じ」を持ったまま「自由な発想(モノづくり)の仕事」をするのは、少なくとも私にはストレスになるんじゃないかって、お店をスタートする時の私は思ったんだと思う。
それで借金しないでやろうって、どこかで決めたんだと思うけど。

この時のこの感じが、ずっと残っててね。
この選択は「合っている」気がしてるけどそうしてそうなのか自分でも長く説明をつけられていなくて、だから長いこと保留になってた。

お金があるから安心、っていうの本当だと思う。
お金の不安があるのに不安を打ち消した「つもり」になって飛び込むのは、ワクワクでも勇気でもなくて「無謀」。

最低限のお金は残ってるから、冒険して思いっきりコケたって何とかなる。思いっきり冒険に集中するために、その環境を整えるためのお金は「土台」。

似て非なるものとして、最低限のお金は残ってるから大丈夫。冒険するぞ!だってお金あるもんね。何とかなるよね。ねっ。ねっ。それは「保険」。

こういうのはとても微細な感覚でそれぞれ自分にしかわからないから、自分を見つめて本当のところどうなのさって、なんども聞く事が大事だと思う。

私の「借金しない」は紛れもなく「土台」だと思う。
お金持ちが慎重でリスクを分散させるのは、少々の波はあっても根本をぐらつかせないための「土台」を作るためなんだと思う。
その土台があってこそ思い切った決断もできるし、それでいてたくさんの従業員を抱えているならその責任も全うできるじゃないか。

それと借金をしないことで得られる大きなもの、それは「動きが取れる」って事だと思った。
借金て利子はつくけど借りることで助かってるから返済してれば問題ない、になりやすいけれども、見えていない部分で重要な事が1つある。
借金があると、借金を返すための行動、つまり時間と肉体っていう重要な2つの自由も同時に自分から奪う事実があるって事。

借金ってこうだよね。

100万円借りる=100万円+利子のお金、じゃなくて

100万円借りる=100万円+利子のお金+返すために使う時間と行動、それに伴う制限(会社辞められないとか)

考えているよりずっと大きい気がする。
借金をしない事で動きが取れるっていうのは、お店の資金がギリギリになったりしても、もともとの支払いが少ないから、支出さえ減らせば持ちこたえられるって事。
支出を減らす事は自分でできるけど、支払いを減らす事はできない。
倒産する会社は利益が少ないんじゃなくて、支払いのためのお金が必要だから倒産させることもできないっていうループにはまって、身動き取れなくなるんだろうね。
倒産できるって、実は幸せなことなのかもしれない。
倒産へのネガティブ感情がなくなったwww

書いていると頭の中もどんどん整理されてくるなぁ。
住宅ローン組んだことないけど、多分これと同じだろうね。
それを踏まえて、家を買って実現したい事があるなら私も買ったんじゃないかと思うけど、たぶんそう思わなかったんだろうなと思う。


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by 4cubes | 2017-08-17 11:43 | 潜在意識 | Comments(2)

家と収納と潜在意識 ①玄関

今住んでいるこの家は、3年前に離婚する時、同じ時期に物件探してた友達が「私が住みたいんだけど犬が飼えない物件だったから」って譲ってくれたものだったんだけど、これがまた私が住みたい家の条件にすごく合ってた。
(間取りや雰囲気だけでなく、場所、家賃などの個人的事情にまでぴったりだったって今考えるとなかなか凄いことだったのかもしれない)

私、結婚してた時は義父母との同居で、私達夫婦と息子は3階にキッチンを作ってそこを使ってたんだけど、買ってきたものを1階から3階まで持って上がるのが何より苦痛だった。それが嫌で、家まで帰って来たのに玄関を入るのが嫌で、駐車場の車に乗り込んで現実逃避で昼寝とかしてたwww
どっちみち3階まで上がらなきゃいけないんだけど、わかってるんだけど、それくらい嫌だった!
そうなってくると、できるだけ買わない、買っても軽量で少量、みたいな生活になるんだけど当たり前だよね。
息子が帰って来た時に1階まで鍵を開けにいくのが嫌で、インターフォン出た時に宗教の勧誘だったりすると(1階まで行かなくて良いから)嬉しかったりした、っていう矛盾。自分がアマゾンで頼んだものが届く時も、自分が頼んだのに嬉しくない矛盾。
ほんと自分ってこんな小さなことにもストレス感じるんだなーっていつも思ってたし、何にストレス感じるのかいつも俯瞰して見ていた気がする。

そのせいもあって家の中の機動性、特に玄関には並々ならぬ思いがあるのかもしれない。

私が玄関に求めるものは、出やすくて入りやすいこと。
息子が自由に出入りできる事。(おかげで今や家にほとんどいない子になってる)
出入りのアクションが少ない事。だから1階っていうのは良かった。
更に、結果的に良かったって事だけど、集合住宅の自転車置き場の真ん前に玄関ドアがあるので、自転車カゴから荷物下ろしたら玄関!これ、今も毎日嬉しいなーっありがたいなーって思ってる。

玄関入るとすぐ部屋。
50平米だけど廊下がほぼないから、広いねーって言われる。
私は、総合的な広さじゃなくて、分割数が多いと管理することが増えるって考えているようだ。廊下があると管理する場所が一部屋増えたような気分になるから、要はストレスってことらしい。そういう意味でもこの家は管理が楽だなーって思える。

最近ちょっと詰まってるなーって思ったから、玄関にあるものを少し減らして掃除して、玄関マットを新調することにした。実はシンプルにそういうのだけで現実が変わるんじゃないかということを最近は実感しつつある。
うちは1階だし周りは畑ばっかりだから、お会いしたくない例の虫が出てもおかしくないんだけど、出没場所がたいてい玄関だった。
大騒ぎの時期を経た後、そこからは毎月ダスキンさんに来てもらってるから今は実際ほぼ会うことはないけど、未だに玄関を出入りするたびに僅かながら緊張する自分も自覚してて。
そのことが無意識にかつ巧妙に、出入りしないで済む現実を作ってたかもしれない。
息子はそんなのないから、まいにちたのしそうに出かけて行く〜。
(同じ玄関使っててこの違い)

物を少し減らしたり整頓したり掃除すると風通しが良くなる「気がする」けど、たぶんそこで無意識に、他のいろんなものもスムーズにここを通るっていう感じもどこかでしてるんだと思う。あたりまえに無自覚に湧いてくるそんな、自覚もできないほどのイメージは、あたりまえすぎて、現実になることもあたりまえなんだ。

実験をよくやってたけど、ここんとこ急にやらなくなった。
確信を、確認する、に近くなってきた。


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by 4cubes | 2017-08-16 23:59 | 潜在意識 | Comments(0)

映画「コスタリカの奇跡」(ネタばらししています)

戦争や平和について私も思うところはあるけれど、道徳的なことを押し付けられるのは嫌だし、精神論や理想論に終始するのも好みじゃない。
だからこの映画が気になった時に、同時に警戒する自分もいた。
戦争ものに触れるときはいつもこの感じがあって、本当のところどうなのか「確かめる」ような気分で行くことが多いんだけど、今回は、コスタリカにずっと関心があって旅するつもりでもいたらしい彼にとってもツボだったようで、一緒に渋谷まで行ってきた。12日に公開されたばかり、お盆、平日、雨、混み具合よくわからなくて行ったけどほぼ満席。

コスタリカは1948年に軍隊を持たないと決めて、それを守っている国。
もちろんそれだけではすまなくてアメリカからの圧力や隣国からの攻撃だって何度もある。けれども「持たない」を決めて、ブレそうな時期や圧力に屈しそうな時もありながら、今日まで国民の幸福にフォーカスしてそれを守り続けてきた。
そんな理想的な国だけどそれは「めったにない奇跡」なのだろうか。
でもこの映画見たら、コスタリカは、とてもシンプルに当たり前のことをしているだけだという事がわかった。

一番大切なもの(国民の幸福)を守るために、静かにNOを言い続ける、地に足つけて交渉し続ける、世界を信じること、それだけだった。
「そうは言っても軍隊を持たなくて、他国が攻撃してきたらどうするの?」っていう当然生まれる疑問がある。攻撃したいわけじゃなくて、自国をいざという時に守れるようにするために軍事が必要なんだっていう考え方は、一見正しいことのようにも思える。
でも攻撃してくる相手に対して軍隊で守る事は、それは当たり前に戦争を意味するし、人が死んで、福祉や教育どころではなくなって、幸せからどんどん遠ざかるのは目に見えている。
本来の目的(国民の幸福度を上げること)を果たせなくなる。

コスタリカは、軍隊を廃止した時に軍事に当てていたお金を福祉と教育にスライドし国力をどんどん上げていく。攻撃してくる相手には、国際法で守っていた。そのために普段から多くの国を訪ね、心を尽くして繋がりを持ってきた。

そしてこれ「我が国の1年の軍事予算は、アメリカの戦闘機1台分でしかない。軍隊で国を守ろうとしても、小さな国にとってそれは全く意味がない。」

精神論でも感情論でも哲学でもなく、ただの事実。
「軍隊は良くない」じゃなくただただ「非効率だから必要がない」コスタリカにとって明確な事実があった。
この、ただの事実を明らかにして、どうしたいかを考え、軍隊を手放したんだ。
元大統領のフィゲーレス氏は哲学者ではなくて、自身も実際に武器を手に持って戦ったことがある人。それも体感した上で、たくさん考えて考えて、善悪ではなくただ国民の幸福という目的に対して軍隊は「違う」と感じて「変えた」んだ。これだけ大きなことを丸ごと選びなおす事に、ただただすごい!っておもった。鳥肌が立った。
「まあこれぐらいで良いだろう」じゃない。99.9%でもなくて、100%。
100%じゃないと現実は動かないから。

それを勇気を出して決めるという事は、たぶん自分の大事な人とか、目の前の利益とか、楽に生きたいとか、なんだかわからないけどいろんな抱えているものを、全部失う覚悟だよね。
それでもフィゲーレス氏は自分の中で、これしかないって確信したんだよね。個人的なメリットもデメリットもとうに超えて、かといって「誰かのため」でもなく自分の中の真実がそうとしか言っていない、それにただ正直に答えたんだと思う。
だからこそ、そんな想いが伝わって、国民の支持を得たんだってわかる。

そういう人は「偉人」とか呼ばれて「私と違うから」で区別されやすいけど、映画を観れば心が震えたり、涙が止まらない人もたくさんいると思う。それは自分の中にも同じ気持ちがどこかにあるからなんだと思うよ。

この映画は、愛と恐れの仕組みを、とてもシンプルに教えてくれると思った。
平和は「愛」だし、戦争は「恐れ」の最たるものだと思う。
与えると入ってくる、っていうのがとてもよくわかる。
彼も「こう伝えれば良いのか。」って膝を打ってた。

自分の事なら、好きなことして嫌な事はしないで、暮らせるくらいのお金は生み出して、みたいなことも頑張ればできるし、自分の手が届く範囲にいる人たちを笑顔にすることだってできるだろう。でも世界平和に関しては、直接自分ができることって少なくて、そう考えたら考えるほど動けなくなってつまり「何もしない」になる人は、私も含めてとても多いんだと思う。

何もしないって「しなくちゃいけないと感じていることがあるにも関わらず」っていう前置きがある。どこかで気になってるんだけど、でもどうして良いかもわからないって私も思ってた時期が長くあったな。

ただ、そんな大きな事じゃなくても、自分の家で平和を作ることだったらできる。
大切な家族の幸福感を守るために、どうすれば良いのか冷静に考えることもできる。
これは我が家の場合だけど、息子を見張ることをやめて、一切の決まりやルールは撤廃したら、彼自身は自由にやってるのに、彼を叱るようなことなんて1つもない、そんな不思議な事がいつの間にか当たり前になってた。
詮索はしないけど、会話は多いし、いつもお互いを気にかけている。
ごくたまに口論になるけど次の日に持ち越さないことをどちらからともなく徹底してるんだよね。想いを正確に伝え、相手の話を聞き、間にあるズレと気持ちと望みを確認していく。何か(完璧な着地点のような)作品を2人で作り上げているような気持ちになるときがある。
自分にも相手にも自由を許すと、無法地帯になるのではなく、自然な秩序と責任と平和が生まれるんだなーって実際にやってみて思った。人間がいじくりまわして頑張って作る、どこか無理のある平和じゃなくて、自然に「この人との間に穏やかな空気を感じていたいな」と思うことで生まれる平和。

一人一人の平和が集まれば、コスタリカのようにそれが新しい当たり前になっていくのかもしれない。一人一人の平和って、大勢でしか成し遂げられない何かの一部には必ずなってて、必要な存在でしかないんだと思う。
「人は誰もが意味があって存在している」なんだけど、実際はそんな綺麗なニュアンスじゃない「いや、君がいないとマジ困るんだってば」ってレベルで必要なんだ。コスタリカも、リーダーはもちろんだけど、国民の意識が何度も国の危機を救ってきたのは映画の中でも感じることだった。

映画を観ていると、現実的な平和の実現はとても簡単に思えた。
それは、無意味に楽観的になるということとは違うのだけど、つまり、本当にシンプルだってことを再認識したなと思って。
最近は本も、自分をシンプルにするために読んでる気がする。
ハウツー本も引き寄せも自己啓発も色々と読んできたし、色んな人のところに学びにも行って、明らかに自分の人生を変えてくれるものもあったし「理由は説明できないけど違う気がする」って思うものも多くて、なんでそう思うのかってずっと考えてきて、しぶとくしぶとく考えてきて、だんだんと自分の中で繋がってきたけど、そこからもっと削ぎ落としてシンプルになりつつある。

そんなことをただ明らかにしながら、嘘偽りのない、小さな幸せのモデルを自分の中で作ることにもっと集中しようと思った。


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by 4cubes | 2017-08-16 10:18 | 潜在意識 | Comments(0)

在り方が変わる、賢いお金の使い方

<気がつかない無駄なところに、お金使っていませんか?>

多少違いはあっても、世帯収入ってそんなに大きな差はなかったりする。
収入同じくらい、支出も同じくらい。
だとしたら、みんな同じくらいの生活レベルだということになる。
パートに行けば収入が少し増えるかもしれない。節約すれば支出は少し減らせるかもしれない。少しでも時給の良いところ、趣味が実益にならないかしら、できれば子どもは公立で、出費は少なく心は豊かに。

でも、いくら頑張ってもそこそこだと何も変わらない。99.9%でも変わらないんです。なんと100%じゃないと現実はまったく変わらないんです。
ちょっと節約しても、ちょっと工夫しても、ちょっと時給が良くても、ちょっと勉強頑張っても、実は何も変わらないんです。

でもすぐには収入は上がらないのだとしたら、今すぐできる方法を考えてみましょう、それは支出の方法を変えてみる事です。
支出がないという家はないのだから、どっちみち出ていくお金の、出ていき方を変える事で自分のマインドも変え、収入や豊かさを作っていく事ができます。
普通のことのようですが、心の仕組みにしっかりと沿っています。
お金のことですが、お金の使い方が変わることで在り方が変わる人もいると思う。

少し前に書いた、気にもしないような、でも払う必要がない「大したことない」金額が出て行っている場合があるのでそれを見てみます。

●コンビニATMで出金する手数料
●使わないアプリなどの月額料金
●今すぐ食べたいわけじゃない、余分なちょこっと買い
●安いからと買うストック

金額的には大した事がないって思うかもしれません。
これが月に1000円だとしても、給料から1000円マイナスになるだけだから、生活に支障ないと思うかもしれません、数字だけの話なら確かにそうです。

それよりも食費や光熱費を節約したら月に数千円はお得だし、ポイントとかフル活用すればもっとお得、と思うかもしれません。数字だけの話ならね。

でもこれは数字で見ているだけでは見えてこない事があります。
払う必要のないお金を払っている場合はただの「無駄、浪費」で、払うお金を少しでも少なくという行為は「節約、切り詰める」です。たいていの人は、節約には目を向けるけれど、その前の「無駄」に無関心な事が多いです。
節約の前に、そもそも払う必要のないお金を払っていないかを見る必要がありますし、節約をするにしても、必要なところに出すはずなのに罪悪感があったり、出ていく金額だけを減らそうとする損得勘定の使い方だと、払った分の「恩恵」を感じられないので「消費」にもならず「浪費」になり、結果的にお金だけが多く出ていってしまうことになっています。

まず
●使わないところには使わない。
●使うところには気持ち良く使う
を徹底しましょう。
そのためには、明確なお金の使い方の基準が必要になります。

垂れ流している少額のお金自体は大した事がないように思えても、曖昧な考え方のままだと家を買う時などに「ローンに組み込んじゃえば良いからついでに車も買い換えよう」みたいな「ついで買い」をしてしまったり、100均で何かを買って失敗したなと思う時「どうせ100円だから」と、そこから学ぶことをしないで、なかったことにしてしまったりするんです。
お金持ちは、100円の失敗でもそこに、感情こそ持っていかれないけれどそれを糧とし、次から失敗しないように策を講じます。だから100円すら、無駄なところに使ったりはしないものです。
お金持ちは、入ってくるお金よりも出ていくお金にシビアです。ケチじゃなくて、必要のないところにお金を使わないを徹底しているということです。

1円を笑うものは1円に泣く
お金持ちはケチだ
といったあたりの言葉の、真の意味が見えてくる気がします。

お金の使い方の例。
例えば先日、本を買いました。
大阪で受けた講座の先生から教わった本、2000円くらいしますが、先生から教わったその高いモチベーションのまま大阪にいる間に読みたいと思ったから、そのまま本屋さんに駆け込んで定価で買いました。かなり昔の本なので、アマゾンなら1円で買うこともできるし図書館で借りることもできるけれど、ここでは「高いモチベーションを維持しながら読む」を最優先としたので、迷わず定価で買いました。

もしこれが普段何もない時にふと「読もう」と思ったのであれば、まずは図書館にあるかチェックして、借りられたらすぐ借りたし、待ち人数が多いのであればブックオフかアマゾンで買っていたかもしれません。この場合は「手に取って読む」事が最優先なので、そこ以外には無駄にお金をかけないんです。そして図書館に足を運ぶ事やブックオフを覗くという事も普通に考えに入れます。

まず最初に、買うものに対して「自分が必要とする目的」を明確にし、それを最優先とし、そこに最適な金額を過不足なく使う。必要なら時間も使う。この基準でいつもお金を使えば、迷うことは少ないと思います。
見えてこないなら保留します。
あと、お金を引き出すのは手数料がかからない銀行のみにしています。
どうしても急ぎならそれを最優先とし、手数料を払ってコンビニでも良いと思いますが、そこから「あらかじめ余裕を持って引き出しておこう」と学び、次からは余分なお金が出ていかないようにすると思います。それは「備える」という事で、必要な計画性です。(ちなみに「今ここ」っていうのは、何もかも行き当たりばったりで備えないということではありません)

ただ「かわいい!欲しい!」という気分を満たしてくれる物を買うのももちろん正解です。「欲しい!」を満たしてくれるからそこで大正解。それなのに、買ったものに対してその後に「本当にこれでよかったのかなぁ」などと思うと、せっかく「その時の自分」に投資したのに、わざわざそれをただの浪費に変えてしまうんです。
買う、買わない、という数字の増減は、本質的な意味を持ちません。

お金の使い方のヒントになればと思います。


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by 4cubes | 2017-08-13 23:39 | 潜在意識 | Comments(0)

ご縁の深い、大切な人

ネットで「信じていた人から裏切られた」といったことを書いている人がいて、その人は以前も別の人と同じようなことがあったみたいで、でも家族とはいつも仲良さそうだったので不思議に思ったのだけど、家族とできている関係性が、友達になると、なんでできなくなるんだろう?

私は「友達」とか「彼」とか「家族」という分類をあまりしていなくて、みんな「ご縁の深い、大切な人」という括りになっている気がしてて。
例えば仲良くしている友人を「彼女は私の友達だろうか?」って考えた時に、私にとっての「友達」の定義は、よく遊ぶでもなく、まめに連絡取り合うでもなく、建設的な話ができて、信頼できる心地良い関係の人、つまり「ご縁の深い、大切な人」だった。
だとすると、彼も「ご縁の深い、大切な人」だし、母も「ご縁の深い、大切な人」だし、スタッフも、クライアントさんも、考えてみればみんなそうです。

ただ、異性で恋愛という感情を介していると「彼」になったり、生んで育ててくれた今も尊敬している人を「母」と呼び、志や価値観を共有しながら共に学んだり遊んだりする人を「友達」と、便宜上区別はするけれど、私の中ではみんな「ご縁の深い、大切な人」自分の人生に彩りを与えてくれる、素敵な人なんだなと思う。
つまり、付き合い方はみんな同じだよね。

だから、家族とうまくいっているなら、友達にも同じように表現すれば「友達とだけうまくいかなくなる」なんてことはないと思うんだよね。
みんな、心のどこかに「友達とはこういうもの」「恋愛とはこういうもの」「家族とはこういうもの」という定義を自分に都合良く作って、そこに当てはめようとするからうまくいかないんだと思う。
分けて考えるから、家族はうまくいって友達とはうまくいかない、恋愛はうまくいくけど職場ではうまくいかない、なんてことが起こるんだと思う。

その定義、間違ってないかな?って思う。
職場の人とは「深く仲良くなれない」って定義していたり、友達なら対等のはずなのに「自分の方が上」って定義していたり、彼を「(経済的にも心も)甘えられる人」って、どこかで決めていることがあるのかもしれない。

そしてその定義通りに現実が起こっていると思う。
友達と言いつつどこかで「私の方が上」だと思っているなら「バカにされた」とか「下に見られた」と思うような現実が起こると思うし、心を開かないで仕事すれば、性格悪い人とか困った人と仕事することになるだろうし。
あとは親からの愛情を欲しいと思えば思うほど確執という形になるし、友達が欲しいと思えば思うほど友達に裏切られる。執着すればするほど、それは課題となって厳しい現実で返ってくる。

ほんとうは、小さな子が、なんの見返りも求めず目の前の子に向かって「友達になろう」って言うように、大人だってそれだけで仲良くなれる。

優しくされたら優しくしよう、っていうのはすごく打算的で。
特にご主人とか、職場の感じ悪い人とか、先にこっちから優しくすると負けた気になったり、損した気になったりする人もいると思うけれど、私は逆で、相手を笑顔にさせたほうが(勝ち負けじゃないけれど便宜上使うなら)勝ち(価値)、相手が自分を好きになったら私の勝ち(価値)、と思ってる。
もう20年前につき合っていた彼氏、ホストだったんだけど、60人いる老舗のクラブで現役時代ずっとナンバーワンで、真っ先に相手を笑顔にさせる天才でした。どうしたらそれができるのか、なぜ笑顔がナンバーワン&売り上げ(現金)に繋がるのか、当時よく聞き出しました。それが今も役に立っています。
ホストと知り合った自分にもびっくりでしたが、そういう商売の本質とか、面白い学びになった時期でした。(ちなみに婚約までしました)

↑ホストと付き合ったことがあるって言いにくかったけど、面白い学びがあるんで、徐々にそういった引き出しも開けていきます。


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by 4cubes | 2017-08-13 15:14 | 潜在意識 | Comments(0)

「ありのままでいい」っていうのは

<本当のところこういう事>

「ありのままでいい」という言葉がずっと言われているけれど、どういう意味だとおもう?そのまま受け取れば「今の状態でいいよ」って言われている気がするんだけど、ほんとうに今の状態でいい?それで合ってると思う?

もし今のあなたが、買いたいもの全部買えるほど裕福じゃなくても毎日暮らせるくらいはお金があって、時々嫌なことがあっても素敵な家族もいるしまあまあ幸せかも、と思えるなら「ありのままでいい」って言われて、なんとなく納得してしまいそうなんだけど、

例えば今、奥さんのいる人と不倫してるとか、結構な借金してるとか、自分の子どもを愛せていないと感じているとか、だったとしたら「ありのままでいいよ」って言われて、それで良いと思える?

そうすると、ありのままで良い=今のままで良い、って解釈は変だってことになる。
だってほんとうの意味は「今のままで良い」んじゃなくて「本来のあなたで良い」だから。だから「ありのままでいいよ」と言われたときに、あるいはそんな言葉を見つけたときに、反射的に浮かぶあなたの「ありのまま」っていうのは、現状の自分に対して思考が作った「都合の良い解釈」である場合があるので、その解釈そのものを、まずは疑った方が良いって事になる。

「ありのまま(今の現状)だから良いんだよ」って、現在不倫をしていることを正当化したり、これでいいんだと信じ込む前に「そもそも、私にとってのありのままって何だろう?」と考えることが大事なのだと思うのです。

浮気そのものの良し悪しではなくて、自分はほんとうは不倫なんてしたくないんじゃない?って考える事が大事じゃないかということ。
我慢してない?
嘘ついてない?
本当はどうしたい?

そういう意味で「ありのままで生きて良い」んだよって話なんです。

結局そこかいって話なんだけど、実は結局そこなんです。
本当の幸せのスタートとは、実はこの「結局そこかい」に降参すること。
どうにかして今の自分を見つめなくても、幸せだと感じられるようになりたい、って人はついつい思うんだけど「幸せを感じられる自分になる事=自分を見つめる事」だから、もうそこはどうしようもないっていうか。
そして、どんな事で幸せを感じられるのかがわかったら、あとはそれやるだけ。

自分をごまかして生きている人は、ごまかしながら生きてて幸せか?を問うて、自分にも人にも嘘をつくのをやめて、自分を甘やかしている人は、依存してて幸せか?を問うて、自ら負荷をかけて自立する。

つまり、今までやらなかった、避けてきたことすれば良い。
ここ読んでる人、たぶん、サボってる人、多いと思うから。
(別のとこ頑張りすぎて、肝心なところサボる、っていうの両方やってて混乱してる人も多いと思う)
自分からは動かないで、でもどこかでご縁を貰って、それが自分だけにしかできないようなミラクルな仕事で、充実して、お金にもなって感謝されて、なんか全部うまくいくーっていうのを望んでいる。
変なところに余裕と余力があるからなんだと思うけど。そして変なところで自分に許すのが得意=自分に甘い。
私もこれやってきたからよくわかるんだ。
そして今も、油断するとすぐその感じになるので。
(ありのままで良い=今のままでいい、に瞬時に変換しそうになる)

ということで。
そういう人にはお金の厳しさを教えてくれる「ミナミの帝王」がオススメです(関西圏以外の人には通じないのかな)それと「今やる人になる40の習慣」((今でしょ!の)林修 著)も良いと思います。


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by 4cubes | 2017-08-12 19:07 | 潜在意識 | Comments(0)

動機

<簿記を始めたのにはもう1つ理由があって>

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大阪でお金の講座を受けた時、教えてくれた先生がとても素敵な人だったんです。
関わった人をとても大切にしていて(だからこそ、講座などを通じて会う人の数をご自身がフォローができるだけに制限しているそうです)丁寧でわかりやすく、内容だけでなく、そのお人柄に感銘を受けて。

この人には誠意を見せたいと思いました。
お金を払う払わない関係なく、私は素晴らしい人だと思えば思うほど「その人に見合うようになろう」とする性格のようで、この先生に少しでも釣り合うよう次に会う時までに簿記3級を取ろうと考えたのでした。(簿記と会計学を学ぶと良いという話があったので)
「ついていきますので何から何まで教えてください」というスタンスは、一見素直な感じがしなくもないけれど、すごく受け身だから。
それが悪いわけじゃなくて好みだけど、自分からもどんどんやる方が成長も早いと思うのと、私はおそらく、誰かに憧れたままでできない子でいるよりも、その人にとって素晴らしい何かを自分も与えられるようになるために、対等になろうと(少なくともそれを目指そうと)思うんだろうな。

簿記の本はすごく厚くて、ページ毎に複数の新しい用語と仕訳方法が書いてあり、何から何まで覚えることばかり。これを「取っといた方が良いから」くらいの理由で習得した人って、逆に尊敬!!!
好きでもないと全く入ってこない、好きでも油断すると文字がすぐ暗号になるwww

けれどもこれが、もちろん楽ちんというわけじゃないのですが、やろうと思えるんです。実際に腰が上がる。朝起きた時に「今日はどこで勉強時間を取ろうか」と考えている自分がいる。
簿記そのものが好きじゃなくてもこれが大事だという事はわかるし、理解すれば面白い世界が待っているというのも今の段階でも見えるから、だから出来るんだ。
そういう意味で英語はまだ目的意識が明確じゃなかったんだけど、諦めていない感じはある。

今回実家に帰った時に、ふと、気づいたことがあって。
実母は、私の友達やスタッフや彼などに会ったことがあるし、私を通して何かをプレゼントしたり、実際に会っていなくても関わったりした人もいるけれど、その人たち全員、私は「自分の兄妹だと感じている」ことに気がついて。
兄妹というか、私の母と縁がある=母の子が増えた、って当たり前のように感じていた自分にビックリしました。
つまりうちの母を一旦知ったら、あなたはもううちの母の子どもですよ、望めばいつでも愛してくれるから、何があっても安心して良いよ、って思ってるんです。

なんだこれwww

多分、私が高校生くらいの時にはすでに感じてた気がする。
産んだ親だけが親でもなくって、誰を親だと思っても良いと思うし、2人いても3人いても良いと思ってて、だから私も、離婚した元夫の義両親は当たり前に今も私の両親だと思うのか。
愛は減らないもの。
同様にお金も減らないんだけどね。

こう書くとうちの母はなんだか素敵な人みたいですが、不良で家に帰ってこない、いつも彼氏いっぱいでやんちゃばかりの母親でした。(20年くらい前に再婚して落ち着きましたが)
一般的に言われる親らしい事は、あまりしない人でした。
好き勝手に自由に生きて、どえらい事もやらかして(←衝撃的すぎてブログでは書けない)いわゆる波乱万丈で、わがまま、おこりんぼ、なんだけど。
母が、良い母親になろうとせず、母の本音を罪悪感なくいつも外に表現してたから、誰の顔色も伺う事なくそれを自分に許してたから、だから、全部まっすぐ届く。
大好きだーって愛も、まっすぐ届く。
彼女がいくら不良でも、困ったさんでも、私は、私が彼女に愛されていることに疑問を持ったことがないんです。何を話しても、たとえ怒ったとしても、愛を持って聞いてくれるとわかってるからなんでも話してきたし。

この母を、シェアしようとしてる私も私だけど。
面白いことに気がついたなと思っています。


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by 4cubes | 2017-08-07 10:40 | 潜在意識 | Comments(0)

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