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最後に

ブログをここのところ更新していませんでしたが、
少し前から、もうその必要がなくなっていると感じていました。

私の個人的なことではなく、全体として。

行動したり、アファメーションをしなくても、完全に意図は正確に、瞬時に結果をたたき出す。
だから本当にもう、その「何かをする」必要がなくなっているのだと感じていたのですが、
それを言葉にしている人がいるのを見て、やっぱりそうか、と確信を持った。

何もしない、というこの一点のみが、何かを作り上げていく。
それは、見える形にはならない可能性ももちろんあるのですが。

少なくとも「何もしない」という事が、何よりも大事になっていて、
少なくとも何もしないことで死んだり、何もしないことで生活ができなくなるという事はないし、
むしろ何もしないことで、お金でも恋人でも叶えることができる。
その、何もしないというのは、行動の数字であるD5の人が、行動をやめてしまうなんてことでもなく。

どうしてそうなるのか、その仕組みについも理解しているけれど、
それをもう、コンテンツにする必要も、ないのかもしれないと思っています。
秘密主義とかではなくてですね。
決して複雑ではないけれど、言葉にするととても細かくなるし、
受け取る側の受け取り方までデザインして言葉にするのは、不特定多数に向けるブログでは不可能で、

そもそも、情報というものの役割がもう、終わったのだと思います。
ほんとうに、そうだと思う。

この「情報の終了」というタイミングは、平成が明日で終わるという時期を選んでいるわけではないのに、それは、そうなっているようです。

情報など何もないところに、意図すれば瞬時に現実を作り出しているようです。
朝、考えたものが、夕方には手に入っているんです。
そんなことばかり続いてしまうので、なんでそうなるのかという事を整理すると、
何もしないことが何かを得ることにつながり、何かを前に進めてくれるのだと理解しました。

だから、このブログは更新されなくなるかもしれませんが、
日々の生活の、思考の部分以外で何かが大きく変わるような感じは今のところありません。

それから、ひとつシェア。
引き寄せにおける魔法の言葉は、よく「ありがとう」だと言われたりしますが、
それもそうかもしれませんが、私はこれからの時代は「おめでとう」だと思います。


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# by 4cubes | 2019-04-29 19:20 | その他

褒める事について

褒めるのが良い、という話は、子育てや会社などの人間の関係性において出てくる話題だと思います。

褒めるについての意味をネットでは「優れているとして、その人や事をよく言う」と書いてありましたが、これを、もう少し実感を持って感じられる言葉に変換する場合

優れているというのは、一般的に言われる「優れている部分」のことではなくて「自分が共感できる、優れていると感じられる部分」である事、そしてその人に映し出されるそれを見つけて伝えることが、本当の「褒める」なのだと思います。

つまり「この人のここ、良いなぁ」と思う部分です。
逆に言えば、その部分を見つけることができれば、口から自然に相手への賞賛が言葉となって紡ぎ出されていくのだと思います。
毎日子育てしていて褒めるところが見つかりにくい場合も大丈夫です。
「それ、わかる」という共感も同じ意味を持つので、例えば我が家では息子が寝坊してきたら「わかる!私もよく二度寝する」と言います。
(もちろん本当にそう思っているし事実)
寝坊してどういう気持ちか、遅刻するとどうなるか、結果的にどうなる事が予想されるか、のような部分は全て、本人が一番よく理解しているから、そこは私が伝える必要がない部分です。
仮に一度二度失敗しても、もっとよく分かるだけのことです。

説教ではない、借りてきた褒め言葉でもない、その人の心からの言葉を嫌う人はいないと思いますし、わかってもらえている(事が感じられる)と、人への絶対的な信頼感を生み出すから「この人を裏切らないようにしよう」と自然に思える。そこにはなめらかな関係性が生まれ、物事がスムーズにいくことが想像できます。

自分を叱らない、自分を責めない、安心して接する事ができる人か否かで、話しかけたいと思うか思わないか、その人から物を買うか買わないか、その人と一緒に仕事をしたいかしたくないか、何かあっても許せるか許せないか、といったところまで、感じ方と起こる現実が全く違ってきます。

誰だって、この人良いなぁと思える人に、自分の持っている時間やお金、手間をかけたいと思う。

自分の心ひとつで「あぁ、この人と出会えて良かった」をたくさん作る事ができるのは、人生をとてもおもしろくさせると思っています。


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# by 4cubes | 2019-04-11 15:48 | その他

土下座してでもほしいもの

役割を生きるっていうのは別に自分を殺すことではないのですが、気がついたら自分への愛情不足が発生して、自分の喜びが乾いていることに気がつく時がある。
そういう時、何も叶わなくなる。
エネルギーチャージが充分でないと、役割のパワーが落ちるみたいな感じ。

自分に与えるものは人それぞれで、ケーキだっていう人もいるし、好きな人からの言葉だって人もいるし、レアなトミカだったり、札束だという人もいる。

それが何かっていうと、もう土下座してもいいからそれが欲しい!なりふり構わずちょうだい!と言えるか、あるいは喉まで出かかって言ってしまいそうになる。それ以外は何も手に入らなくても構わないっていうくらいの、たった1つのこと。

でも、そんなはしたないこと言えないから、ずっと昔にしまいこんで、最初から欲しくなかったことにしている人はとても多い。
気がつかなかったけれど、私もそうだったし。

ケーキだっていう人も、多分ケーキならなんでも良いわけじゃないですよね。
そうそう、これこれこれ!!!っていうケーキじゃないと。
そうするとお金だって、それがどういう状態になっているものが欲しいのかっていうのは、人によって違う。
そこも、大事。

現金が目の前にあるのが好きな人と、預けてたらいつの間にか増えているのが好きな人と、貯金箱に少しずつたまっていくのが好きな人がいるとして、それぞれ「なぜその状態のお金が好きなのか」が違うから、そこがズレたり理解していないまま単純に「お金ほしい」って言ったとしても、ざっくり過ぎて叶わないです。

ただ、理由としてざっくり過ぎるから叶わないわけじゃなくて。
なぜその状態のお金がほしいのか、を理解したとたん、鳥肌が立つような喜びが起こる。
それは「お金がほしい」だけでは起こらない。一部の狂いもなくぴったりとその感情が起こるポイントが、もし言語化するとどこになるのか、を理解すると、願いをかなえるための臨界点を一気に超えてくるからです。
一気に視点と、それに伴う世界が変わる。
これは、普段の生活の中に必ずヒントがあるから、探す気になればそう難しくないはず。

自分がレアなトミカを持っていて、ざっくりと貴重な物ってくらいは知ってる感じだとして、価値が高いのはわかるから簡単には手放そうと思わなくても、ある日突然「トミカの何年に発売された限定のなんとかの、塗装がなんとかのあーでこーで、それがもうたまんなくて、で、それ、ずっと探しているんですよね」っていう、別に知り合いでもない、でも超マニアな人が現れたら、その人の言うトミカが、自分が持っているそれだとしたら、その人にあげたくなるじゃないですか。
なんか、自分じゃなく、この人が持つものなのかもしれないって。
そのぴったりの感覚がとにかく、心を動かすじゃないですか。
逆もね。そんなレアなものがほしくってほしくっている時に、万にひとつの確率で目の前に現れたら、知らない人にでも「これほしい」って言える勇気が出てくるかもしれない。その情熱は、相手の心を動かすかもしれない。

細かくちゃんと指定すればするほど、そこに集まりやすくなるんですね。
で、自分が本当に「土下座してでもほしい」っていう、エネルギーが上がるそのたった1つのものっていうのは、案外他の誰もそんな事をそこまで思ってないほどレアな事なので、だから、自分のところに集まるんです。
もし今すぐそれを自分に与えられないとしても、できる範疇でめいっぱい自分に与えると
自分が、ぶわぁぁぁぁって満たされた状態になっているから、すでに願いは叶ってて、ゴージャスなおまけがバンバンやってくる。

いたってシンプルな感じなんですが。

そうなると、その土下座してでも欲しいものに気がつくことが重要になるのですが、それが難しいって話になるのかもしれない。
上で書いたように「ほしい!」って言ってはいけないもののような気がしたり、あと、その代わりに何か差し出す必要があって、ほしいだけじゃだめだ、みたいな制限をかけている場合は、気がつきにくい。私も結構長くかかったし。

でも気がつくと、それを自分に与える喜びを知ってしまうと、もうそれ以外の生き方ができなくなると思う。

私のほしいものは「〇〇〇に〇〇〇が〇〇〇〇」だったんですが。
大声で言えないくらい恥ずかしい。よって伏字。
でも、何を見ていたって、その視点で物事を見てしまうほど欲しいものだったし、鳥肌が立つようなものなんです。
だから今すぐ自分にこれを与えることにした。
めちゃめちゃ心があたたかくなります。
全部はできないけれど、ちゃんと満たされるところまではできるから。
その瞬間、エネルギー満タンにできる。

私はここんとこ、そもそも性質的にたった1つの事しかできないのに、その1つさえもできていなかったから、自分が今、チャージできていないんだなと気がつきました。ちょっと解決。


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# by 4cubes | 2019-04-07 17:57 | その他

お金と体型と自分への愛情は完全にイコール

飲んだだけで痩せるサプリって、そもそも存在しないんだけど、なんでみんなあれを買うかというと、
飲んだだけで楽に痩せたらラッキーと思って、だってほらここに、実際に痩せた人の写真が、っつって、自分で期待値を上げているからなんですが。
その写真にしたって、サプリのせいかもわからないし、病気したのかもしれないし、加工なのかもしれないわけで。

じゃあどんな人にそれが効くのかというと、そのサプリを「きっかけ」としつつ、それとは別に「痩せる」とコミットした、そのコミットの方をちゃんと意識した人です。
楽して痩せたい人は「楽したい」が目的だから、それが叶う。
どこかで、楽に痩せるなんて無理なことも知っていて、本気で楽に痩せられるなんて思ってないからそれは叶わない。
痩せよう!おー!という高揚感のコミットではなく「痩せる」と静かに、地に足ついて、自分で決めた人は、サプリで痩せるんじゃなくて、まず自然と背筋が伸びるし、呼吸が変わるし、意識が変わって「ちょっと歩いてこようかな」など行動が変わり、

かといって行動そのものが痩せさせてくれるのでもなく

つまりそうしている自分が「好き」になるから、だから体型だって「自分好み」になるだけの話です。

好みの体型になっていないときは、自分のことを好きじゃない、という時。
お金が足りないなー不安だなーっていうのも、自分のことを好きじゃない、からそうなる。

好みの体型じゃないのは運動不足とか、体質じゃないですよ。
自分に愛情が不足しているから。

お金が足りないと思うのは働いていないからとか、才能がないからでもなくて、
自分に愛情が不足しているから。

お金と愛情の、密な関係性。
お金と体型の、密な関係性がある。
ぴったり一致する。

で、本当に書きたいことはここからで。

洋服を変えると運気が上がるっていうのは、その洋服を、最初の段階で、自分がそれを好きかどうかはともかく
褒められたり、似合うねって言われたり、その場を明るく変えたりするし、それを生み出す要は装置なのですが
空気が調和して、自分と、その場にいる人の「気持ち良い」という感覚を生み出す。

気持ち良い自分は好きだし、人を気持ちよくさせることができるという自己有用感も満たされる装置。

これがケーキを食べるとか、好きな物を買うとかは「気持ち良い自分」だけを作る装置ですが(その幸せそうな顔を人が見た人は幸福な気持ちになり、という幸福の連鎖はもちろん起こるけれど)洋服は、それがいっぺんにできると思う。

そうすると、罪悪感がなくなる。
自分だけが幸せになってはいけない病みたいなのにかかっている人は多いけれど、そういうのがまず少なくなる。
同じお金を使うにしても、旦那さんが「それ似合うじゃん」って感じてくれるものであれば、好きな洋服を買った罪悪感はないし、買ったことを隠して「え、それ見たことないけど持ってた?」「何言ってんの、持ってたよー」なんて不毛な会話もいらなくなる。

そういう些細な隠し事も「自分を好きになれない」
を確実に強化していく。

そこが、お金とか愛情とか体型をがっちりと、例外なく作っていくのだと繋がった日は、驚愕でした。

自分を好きになれば、お金が増えるわけでも、痩せるわけでも、愛されるわけでもないです。
お金がある方が幸せ、痩せている方が幸せ、愛される方が幸せという価値観だとそうなるかもしれないけれど、そうじゃない。

自分を好きになるというのは、お金の心配をしなくなる事で、自分と他人の見た目に囚われずただの個性となることで、当たり前に愛ばかりゴロゴロあるから意識すらしない、という事なのです。それは、当たり前だけど幸せだって話です。

で、その幸せを感じることができると、そもそも自分がお金大好きならお金が入ってくるし、痩せている方が好みなら痩せるし、愛されるのが嫌いな人はいないと思うから、愛されてやまなくなる、という現実が、起こる。

自分に愛情かけるって、大事。なんだけど。

実はそれは、好きなことをやれているとかではない。
好きな物を買っているとかでもない。
健康だから、とかでもない。
部屋を片づけて、整ってて、良い風が入ってくるとかでもなくて。
何といえば良いのかな。

良い例があったらまた書きます。


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# by 4cubes | 2019-04-07 09:48 | その他

雑記

労働すると、お金がもらえる約束になっていて、その約束が成立しているからお金が振り込まれるけれども、

働いてもお金が貰えないこともあるし、
働かなくてもお金が貰える人もいる。

人はそれを「そういうものだ」とか「そういう人もいる」というファジーな枠に当てはめようとするけれど、例えばそういうことひとつにしたって私はいつも、これは、もし1つのルールで語るとすれば、どういう事になるんだろうと考える方で。

なぜ働いたらお金が貰えるのか
なぜ働いてももらえない人がいるのか、その差は何なのか。
働かなくてももらえる人の本質は何なのか。
働かないと当たり前にお金が手に入らない人がいて
そもそもお金って何なのか、働くとは何なのか。

それを考えだすと今度は、その背景には何があるのだろう、という思考に自然となる。
そこで出てきたものに法則性が見いだされなければ、今度はまたその奥の背景を考える。

矛盾のないところまで遡って、法則性を見つけて、現在起こっていることに適応させる事を人は誰でもやっているのだと思っていたのですが、こういう事を好き好んでいつもいつも考えている人は、あまり多くないのかもしれない事も知るようになってきました。

私は、世の中に起こっていることに例外はないと思う。
人間がかんたんに理解できないほど複雑に見えながらも、きっと大きな1つのルールでこの世の中はできていて、例外なくそのルールに乗っ取って、我々は生かされているのだろうと思う。
運の良い人や、お金を持っている人、美人さん、人より稼ぐのが上手な人や、芸術的センスのある人、あるいは何やら「選ばれた人」だけが幸せになるのなら、そういうものを持たない人がいて、持たない人は不幸になるのなら、人生はもう決まってしまっているのだから、この世に生まれる必要があるのだろうか?生まれつき幸せか不幸かが決まっている意味ってなんだ、いやいやそもそも
私はあまり世界がそういう風にできているとは考えてなかった。

人が皆、フラットにチャンスを与えられている存在だとしたら、世の中はどういう仕組みで動いているんだろう。
という設定で、物事を見つめ、考えているので。

この前提で生きていく事にしたら、当たり前に、法則性をどこまでも考えるようになったし、それを続けていく事によって、かなり確信を持てることも多くなった。

わかった事は、幸福は確かに自分の手で作ることができる。
ただそれだけでした。

でも、人がそう簡単に変われない、という事も言える。
むしろかんたんに変わってはいけないんです。
なぜなら、変わったと思えるまでの「プロセス」こそが、人を成長させるし、願いをかなえるからです。
現実を具体的に良くするからです。

でもその結果はおまけ。おまけが凄くゴージャスになるだけ。

お金をたくさんほしいと思っても、実はお金を得た結果というのは自分を幸福にしてくれはしない。
ただの結果だから、それでいったん終わる。
たくさんお金がほしいと思った、それが叶うまでの、少しずつ意識を高めていく事や、行動していく事、その想いを持つ自分を大切にして、助けてくれる人の存在があり、時にふと目にした本の1ページが影響する。そんなことも含めたあらゆる自分を包括しながら、それが飽和した状態の、まさにお金が手に入るその直前までがプロセスで、一番エネルギーが高く、可能性と期待値を持ち、

最も幸福な状態に入ります。
↑人が最も欲しているのは、ここです。
お金がまだ手に入っていない段階の、ここです、この瞬間。

ここは、必ず人が介在している。
この、人が介在している瞬間に、いわゆる愛とか感謝がぶわっと生まれるんです。

で、ポコッと、お金という結果が生まれる。終わり。

お金を手にしたその結果は、お金ばっか見ていると気がつかないけれど、人が介在していないんです。
だから、そこに感謝も愛も生まれないんですよ。
エネルギー値も、物理的に低くなっています。
ただ物質的なお金がそこにあるだけ。でも、人を見ていない人は、お金だけ見てて上っ面の幸福感に浸るから、お金という紙切れに感謝しちゃうんですよね。違うからそれ。
で、お金の本質がわからないから、1回はできたとしても、次からの再現はできなくなるんです。

この辺は、とても細かい、心の話が必要になるところなのですが。

この細かい微細なところが理解できると、宝くじなどが当たると思う。
買ったことないけれど。
正味、意識を合わせるだけだからシンプル。
でも、本当に職人技くらい、細かい細かい精度の高い話なんですよ。
スポーツ選手が金メダル取るのもきっと、意識を合わせるここの精度が究極的なんだと思う。

私も昔は、願いをかなえる事なんかをとてもざっくりと考えていて、全然、何も叶わなかった。
少しずつ、これでもか、これでもかと、細かく細かく合わせてきたら、あきらめなかった分その精度が上がって、今に至る。
できないこともずいぶん増えて、できることは本当にただの1個になってしまって、それもどうなの?という状況ですが、だって、私の望みが、たった1つのルールを知りたいだけだから、それ以外は捨てても、もうしょうがないとも思っています。

それでも今日は、おいしい夕ご飯を息子と一緒に食べることができた。
捨てることと、失う事は、同じじゃないんです。
捨てるからって、なくなるわけじゃない。
春休み、遠出から帰ってきて、あれこれ話す彼を見ているだけで、幸せな涙が出てくるし、
幸福度は最高なんですが、それは、よくある「いつも幸せはあなたの隣にある」というやつなんだけど、だからといってそれは、そんな聞き触りの良い言葉をちょっと読んでその気になっただけで得られるもんじゃなくて、

やっぱり、理解できるまで、取り組むだけの事なんだ。
幸せの本質に。

世の中にいろんな心理カウンセラーとかいるけれど、一旦は自分の奥底を見て絶望して、どん底になって、そこから同じような人を救いたいって先生になった人も多いと思うのですが、
その人たちの多くは、決して「嘘」ではないんだけど「途中でやめてしまう」人が多い。
先生になった途端、向き合う事をしなくなるんだと思うんです、単に。

大事なのは、見えない世界を現実に活かすには、今のところ統計学的なツールが有効になると思うんですが
それは、いつもいつも実験して、データを取って、繰り返し検証して【そのデータを更新していかなくちゃいけない】性質のものであるはず。
そうすると当然、先生になってお金や地位を得たって、待っているのはストイックな毎日になるはずなんですが
ぜいたくなご飯とか、旅とか、そういう遊びをする時間の方が圧倒的に増えていっている人が実際には多い。
楽しくてそっちに行ってしまうのも、人間の弱さとして、あり得るのかなと思う。
それに、つきあう人間が増えたりしてね。
無駄にコラボしたりなんかして。
余計な情報が増えるのもそうですが、何より本来かけるべき時間にかけるところが少なくなる分、更新の精度が上がらないわけで、コンテンツが廃れていくんですよね。

だから、そういう人は栄華と衰退になる。
本物は見えない。栄華も衰退もない。
ただストイックな毎日があるだけです。
でないと継続できない、1日は等しく24時間しかないからです。


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# by 4cubes | 2019-04-06 22:54 | その他

一元視点で物を見つめ、物理化学の視点での引き寄せ、人の性質の分析解析を得意としています。、現在個別対応のみ承っています。


by のりこ
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