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日常的に潜在意識を意識する

今日、息子が最後の地区大会だったのですが。
普段、私は息子の試合をあまり観に行っていません。
ドキドキするからです。

何のドキドキかというと、欲ですね。
勝たせてあげたい、息子が勝ってほしい、という気持ちがまずあり
(↑今となってはかなり違和感のある言葉ですが)
試合結果に一喜一憂したり、私の競争心が出るのがどこかでわかっていたので、
それが嫌だったからでした。
その一方で「勝っても負けても息子にはプラスになる。」とか
「息子が楽しければそれで良いんだ」とも思っていましたが、
頭で思っていただけでした。そう思い込もうとしていました。

でもそんな価値観もすっかり変わり、勝敗を気にしたくなったものの、
観に行くとハラハラするんじゃないだろうか?と自分を信じ切れていなかったし、
「来なくて良い」と息子が言うので、時々少し観に行く程度でした。

今日も、もう最後だしと思いつつ、どうしようか迷っていたところ、息子に
「テーピング買ってきて会場に届けてほしい」と言われたので、
それなら、と薬局が開くのを待って買い物をして、会場に向かいました。
そして届け物を渡して早めに帰ろうと思ったのですが、他の保護者に引き留められて一緒に観ていました。
でもそれが結果的に良かった、優勝の瞬間に立ち会えました。

私自身の心の在り方が変化したせいで、
今日は本当に穏やかに観戦できて、彼のひとつひとつのプレイや表情から
「彼がバドミントンを心から楽しんでいるんだな」と、そこにフォーカスして見られました。
そして、本音で「本当にそれだけでいいんだな」と思えました。
今この一瞬、彼が楽しんでいるように見えることが私の幸せで、
そんな彼を見せてくれて嬉しく、ありがとう、としか思わなかった。
で、気づいたのですが、私、ほぼ、スコアは意識していませんでした。
点数気にしてない!
応援しつつ、点数がいくつか、点差がどれだけか、見てはいましたがそこに感情はなくて、
ただただ彼のプレイを見て楽しんでいました。

もう勝っても負けても、どちらでも良くなっていました。
そこまで思えた時に逆に根拠なく「あれ、勝てるんじゃないか、この試合」とふっと思ったりして、
結果としての「勝ち」の可能性を広げることがあります。

潜在意識ってそんな感じ。
結果を求めなくなったら、結果はついてくるし
勉強を求めなくなったら、勉強もしだすし、
想いを伝えたら、想いを返してくれる。
前提は「そのままでいい」です。
そのままで幸せなのだから、どんな結果がやってきても幸せで
そのままで幸せな世界を見る事が出来ます。

今日、もしかしたら負けていたという可能性もあります。
潜在意識を理解したからと言って、悲しいことが起こらないというわけではなく。
(人の死などは避けられませんよね。)
悲しいことは「悪いこと」だとか「あってはいけないこと」ではなくて、
「悲しい」という感情を堪能する、感じ切る事は生きる喜びです。
それがわかると、もう全然違う感覚だという事が理解できると思います。
悲しいを感じている自分が愛おしくなるという感じです。
嫌だなぁ、という思いにはならなくなってきます。
例えば我々は悲劇のドラマを、悲しい話なのに好んで観たりしますが、
そんな感じに近いというか、それをもっとリアルに微細に体感しているような感じです。

試合に負けて悲しいとしたら
「自分は今、とても悲しい。そんな感情を今、味わっているんだな。」と思うわけです。
悲しいには違いないのだけれど、そこには心の豊かさがあります。
悲しいけれども、あたたかい涙が流れます。

我々は「悲しい」を辛いことだと思うと、それを感じたくなくて、
悲しいが起こらないように行動してしまいがちですが
悲しいを恐れず受け取ると決められたら、悲しいが来るのは怖くないし、
実際来ても、嫌な感情になることはとても少ない。
私が、勝敗に拘っていた頃は、負けると嫌な感情になっていて、それを避けたくて
冷静なふりしたり、観ないようにしたりしていたんだと思います。
感情に蓋をしていた。

勝ち負けじゃないんです。
幸せな想いをしたいだけなんです。
頭では勝ち負けじゃないと思っていても、どこかで「勝ち」=幸せ、「負け」=不幸せ
という価値観を作ってしまっている。だから、幸せな気分が欲しくて勝ちたいと思う。
どっちでも幸せだと思えたら、本当にどっちでも良くなる。
どちらも楽しめるようになるんです。

ましてや息子の勝敗で、自分が幸せな気分を味わいたいなんて、
他人(息子)をコントロールしようとしていることに他ならない。

そういう気持ちもかつて、ありました。
そういうの、あったなぁと思える自分にも今日は出会えた。
負けず嫌いな私は、今も、勝ち負けに興味がないわけではない。
私の勝ち負けじゃなくて、息子の勝ち負けにだって興味はある。
でもその勝ち負けも、前提から作られている。
1つ1つ丁寧に打つ事や、ミスをしない事、精度を上げるために集中して、
大事に楽しんで試合する。想いが乗っている。
勝ち負けじゃなくて、勝ち負けを作っている前提に感動します。
幸せは、前提が運んでいるんです。

届け物を頼んでくれてありがとう。
帰ろうとするのを引き留めてくれてありがとう。
世界を見せてくれてありがとう。

と、ややドラマティックに書きましたが、潜在意識とはそういうもので。
前提が幸せになりたいを叶えてくれます。
結果じゃない。
結果は、前提がどう現実化したかの確認であり、
前提という名で蒔いた種の刈り取り終了、という意味でしかないものです。
だから結果を見て「あーでもない、こうでもない」と考えても意味がないのです。

現実に起こることは前提が作りますが、
起こってからその結果を見て「どうしたら良いんだろう」と考えてもどうにもできません。
やはりその前提を変えていく、という事をしなくては、現実は変わらない。
蒔く種を変えなくては、刈り取る作物は変わらないという事です。

息子の試合の話も、よくある事。勝つことも負ける事もよくある事。
でも私の前提が違っていたので、私から見える世界は幸せそのものでした。

幸せの濃度を上げるというのはそういう事で、
何も変わらないのに確実に何かが違うというのもそういう事です。


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by 4cubes | 2016-06-26 22:51 | 潜在意識

一元視点で物を見つめ、物理化学の視点での引き寄せ、人の性質の分析解析を得意としています。、現在個別対応のみ承っています。


by のりこ