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映画のように

台風でしたが、セッションでした。
私の方が、延期が頭をかすめましたが、お客様の方はとても軽やかに
会いに来てくださいました。
(数字を見ても納得でした)

いつもいつもいつも思うのですが、数字を通してその方の世界観が
リアルなストーリーとなって、目の前に広がっていくのを見るのが好きで、
例えるなら、映画を観ているような感じなんです。
最初の頃はそこまで感じられる余裕はなかったのかもしれませんが、
最近は、まず、数字を出してパーソナルシートを作った時に見えるものは
映画の予告編のような感じ。断片的なものも捉えながら、全体的なストーリーも把握できる。
イメージは充分できるけれど、実際にお会いすることで、点として残っていた部分も、
あいまいな部分も、全部が一気に繋がるような感じ。

で、そこに必ず心が震えるものがある。
矛盾すらも愛おしいと思う。
映画は、色んな映画があるけれど、それぞれの彩りがあるだけで良い悪いはない。
在り方は全てフェアで、人間的で、どの世界観も同じように好き。
そしてそれを深く深く知りたくなる。(D7)
映画に没頭するように、その時間、その人の世界に没頭する。

ただそれが見たくて数秘をやっているのかも。
数字から見えるその人の世界が本当に好きだ。
今日も話していましたが、顔と名前を覚えるのは大の苦手ですが、
数字を見ればたいてい誰か思い出します。
映画のタイトルを思い出せないけれど、ストーリーや世界観は思い出せるのと同じ。
もう記憶にあるとかないとかじゃなくて、体感して体が覚えてる、みたいな感じですね。

天職だったら幸せだなこれは。

息子が今日、朝から台風の中、バドミントンしに体育館へ。
部活引退し、受験生ですが、とても自由です。
私も手放しちゃったし何も言わない、のですが、
たまに「勉強していないし心配!!!」って、なります。
そういう時は「おかーさん、やっぱり時々心配になるわー!学力がすべてじゃないし
学力と人生は基本関係ないよ。でも自分のしたい事する時に学力があると具現化のアイデアも広がるし、
人に何か頼むのにも説得力になるし。そのために嫌なことするっていうのもなんか違うけど、
お母さんは勉強楽しかったから、ついつい、やったら良い事あるのにもったいないわーって考えてしまうねん。
で、勝手に心配になってるねん~」
と本音を言います。だってそうだと思うもの。
でも「だから勉強しろ」とも「した方が良い」とも言わない。それは相手をコントロール。

息子は「うん」って言うだけ。「お母さんは心配なんだね。それはわかった。」という意味ですね。
その上で「自分の事だから自分で考えるよ」という事を含めた「うん」です。
でも彼は「自分にはわからないけれども、勉強が楽しいという世界が少なくとも「ある」んだな」
という事だけは知ることになります。
それが本当の意味で可能性を増やすことになるんだと思うのです。
「ない」世界は存在すらしないのだから。
少なくとも学ぶことが楽しいという世界が「あるらしい」でもいいから、知ってたら可能性は広がる。
もう物心ついた頃から「自分は自分、人は人」という彼なので、そもそも私の話に影響されるとは思えない。
とにかく流されない人です。そして世界観S22。私の脳みそでは想像できない何かで生きています。
親ができることは、色んな世界が「ある」を伝える事だけ。
あとは彼が何を取りに行くのか、それは彼にしかわかりませんが、楽しみです。

そういえば私も「高校に行かない」と親に言ったんだった。絵を描くって。
子どもに何をしろ、何はするなと基本言わない私の親が「高校だけは出とき」と言うので、
それだけは聞いておこうと思い、とくに行きたい高校もないので一番近くで無理なく入れる公立高校へ。
適当だったけれど、それでも今、ちゃんと私はここにいる。

お小遣いについて。
月額2000円まず渡し、足りない分はその都度補充です。
実際足りませんし、映画やなんやかんやで、夏休みは+1万円くらいは出ていると思います。
で、お金については「ある時は渡す、ない時は渡さない」です。
「大事に使ってほしい」というような「親の願い」はあまり意味がないし
(どう大事に使うかなんて本人にしかわかりませんしね)
必要なものはしっかり出す。渡す時は気持ち良く。彼が得られる豊かさが必ずあるから。
家計的に厳しいなら「(物理的に)ないです」(罪悪感もなし)以上。

ほしいと言われたら無理のない範疇で特に制限せずにあげています。
制限すると「買える範囲で折り合いをつけて買う」とか「損得考えて買う」と、ワクワクした感情はなくなり
「得られる豊かさも少ない」のだから「安物買いの銭失い」を教えていることになります。
値段の高い安いではなくて「誰が何といっても欲しいと思うものに」お金を使ってねと言うだけです。
で、物理的に出せないものは出しませんし、買えないものは諦める。以上です。

お金の渡し方を変えたので、彼は今の方が物理的にはお金を多く使っているけれど、金銭感覚は変わっていません。
「これでやりくりしてね」って決まったお小遣いをあげても「もらえて当然のお金」で感謝になりにくいけれども
同じお金でも、彼の「欲しい」を叶えると「ありがとう」が自然に出てきます。
「友達と映画行きたい」を全力で叶え、受け取りに行ける。
「あるお金をどう使うか考えてやりくりする」のも勉強だと前は思っていましたが、
例えばやりくりして映画に行くと、何かと映画を比べて映画の方が楽しめるから、とか、比較で得るものになるのですよね。
「本当にこれがいいから!」じゃなく、損得勘定になる。
(お金は制限があり減っていくもので、これに使ったらこれには使えないと学ぶ。感覚ではなく思考優位ですね。)
そもそも「お金を使ってやりくりという楽しくない勉強」するのがお金のイメージを悪くしている気もします。
で、その「お金の勉強」ですが、なんだか性質を色々と見ていると、いくら勉強しても
お金の使い方って、本質的に外側から変えられないというか、変えようとしても無理があるというか。
個々の性質に合った形にするのが一番なんだなと思います。大人も子どもも。

使う楽しさを知ると、稼ぐ楽しさも知ることになると思うし、
貯める楽しさがある人は、貯めるアイデアがたくさん出てくると思うし、
少なくとも「お金の価値を知らない子どもを甘やかしたら、我慢できない大人になる」なんていうのは
まーーーったく、根拠がないなと思います。
それを根拠に子どもにあげるお金を制限するのが、お金が出ていくのが嫌だという大人にとっては
ある意味、楽ですけれどもね。

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by 4cubes | 2016-08-22 20:19 | 数秘

一元視点で物を見つめ、物理化学の視点での引き寄せ、人の性質の分析解析を得意としています。、現在個別対応のみ承っています。


by のりこ