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泣かないわけじゃない

自分を生きることができてくるようになると、もちろん毎日幸せなのですが、だからといって悲しいと思う事がないわけじゃないです。
泣くようなこともある。そういう事がゼロになるわけではないんです。
それこそ近しい誰かを失う事なんて、誰にとっても避けられないし。

悲しい事が起こらなくなるのではなくて、悲しい事すら幸せだと思うだけです。
悲しい事が幸せだなんて少し前まではちっともわからなかった感覚で、なにそのきれいごとな感じ!と普通に思っていました。

でも実は本当でした。
息子と話していて泣くこともある。辛いニュースもある。でもそういう時、ただ涙が流れていて「あぁ、私泣いているなぁ」と思っている、もう一人の自分がいます。
冷静になっているというわけじゃなくて、自分の人生のどの場面も、同じように「自分を生きている」と思えるだけ。
悲しい事が悪いこと、というジャッジがなくなったので、悲しい事も嬉しい事も、来たものをそのまま感じる、味わえるようになった、というのが正解です。
だから悲しい事があっても、悲しいを感じてはいるけれども落ち込むことはない。
涙が止まったら、それで終わり。
「悲しいボックス」にでも入って、堪能して、出口から出てきたみたいな感覚。
で、自動的にこんな風に、後々何も残らず穏やかに泣けることに感動して、幸せだなぁと自然に思います。
泣いているのに「あぁ大丈夫だ」って絶対的な安心感があるのです。

とにかく最初はどうしたかと言うと、涙が出てくるときは場所や状況を選ばず泣きました。
何でこうなったんだろうとか、原因を探ることを一切せず。ただ泣くだけ。
悲しいなーって「感じる」という事になるのだと思うけれど、ここをしっかりやらないから残るんです。
ただ涙が流れるのを、観察するだけ。
泣くのに理由なんてないんです。
ただ涙が流れてきただけ。悲しみを感じる時間であるだけ。
ごはんの時間、お風呂の時間、お出かけして楽しい時間、と同じようなもの。
そこでもただ泣くこと、自分に集中するんです。

人によってこういう事に要する時間はそれぞれで、私はとても短いけれど、長い人もそこはしっかり泣いてみる。
他の事を手放して泣いても大丈夫なんです。
なぜかというと、真の意味で泣くよりも優先すべきことがある時は、泣かないから。
泣いている暇もないから。
だから泣いている時点で「時間がある」ということ。心に、泣く余裕があるという事。

よく、悩むのは時間があるからだ、と言います。
今、貯金が0円でお財布の中も0円だったら「どうしよっかなー」なんて悩まない、すぐに履歴書持って走ると思う。
この「切羽詰まった」の感じるポイントなんかは人それぞれだけど、悩んだり泣いたりしている時はまだ余裕があります。
悩むのは思考なので不要ですが(悩みは浮かんでも流してしまえば良い)泣き始めたら、泣いてしまいましょう。
子どもの前でも泣きます。
でも感情的に泣いたりしない。ただ泣くだけだし「私は自分事で泣いているんだよ」と説明もしています。
泣くという事は悪いことじゃない。
泣いている自分やその原因を探ってそこにダメ出しをしているから、それを関連づけて「泣いてはいけない」としているだけで。

泣くことに本当に集中したことありますか?
終わるの早い。思考を空っぽにして泣いていると、泣き終わったら「あ、終わった」と思える。
綺麗に終わるんです。それに引きずらない。
その時の涙は、感情的なものではなくて。
感情は打算だと書いたことがあるかもしれませんが、感情は打算です。
感情的に泣いたり怒っている時は、相手をどこかコントロールしようとしている、もしくは「わかって」貰おうとしている。それが打算。
だから泣いていても攻撃的になるし、よく「泣かれると困る」という男性は、女性が涙を流すのを嫌がるのではなくて、感情をぶつけられてコントロールされる(従わざるを得ない)のが嫌なのだと思います。そこの嫌な感情が潜在意識に記憶されるのですが、「涙」と「コントロール」が別々ではなく潜在意識では「泣かれると何となく嫌な感じがする」といった関連づけの記憶のされ方なので、結果的に顕在意識では一律「泣かれるのは嫌い」となるわけです。
でも感情をぶつけない涙にはジャッジしないでしょう、男性も。

息子も、ただ涙を流して泣きます。そういえば涙を隠さない。
流れる涙の顔そのままこっちを睨みます^^;そして、言いたい事を言葉にし始めます。
多くは語らないけれど、言葉を選んでいる。
私はまたそこに集中して「こういう感覚なんだぁ」と興味を持つ。
そうやって話していると、どっちも相手をどうこうしたいと思わず、ただ自分の思っている事を誠実に伝え「違い」を確認し合うだけになる。

最初の頃はわりとわかりやすく「あなたの正解はこうかもしれないけれど、私はこう思うというだけだよ」とか「あの時はこう確かに思っていたけれど自分にも変化があって、違う事を今は言ってるかもしれない」とか「理由はうまく説明できないけど、凄く腹が立つんだ」とか「成績が悪いことが駄目なのではなくて、結果に言い訳したくなったんならそれはどういう事だと思う?あなたは言い訳じゃなくて単なる理由だと思って説明しているのかもしれない。私は言い訳だと感じたんだけどね。自分が選んで取った成績に理由はいらないと私は思う。あなたが納得していればそれで良いし、納得いかないなら納得いくように工夫すれば良いんだと思うよ」みたいに、ひとつひとつ「なぜそうなのか」という事と「違い」をはっきりしていました。
そのうち「お母さんは違うって思うかもしれないけど僕は…」という話し方をするようになってきました。
相手をコントロールしようと思わず、自分を押し通すこともなく、自分の気持ちを、拙くても正直に伝えるようになってきて。
話しながら自分の中でも整理されて落ち着いてくるし、単なる「違い」がわかると相手の話を否定しなくなるから、感情的なケンカは皆無です。

もっと小さい頃は私も感情的になっていました。
だってわからないんだもん。全然彼を理解できなかった。対話せずに理解しようとしていたというのもあるし、理解できる可能性すら考えていませんでした。すべて自分の「想像」と価値観で育児していました。
穏やかで喧嘩しないし、ニコニコしてて実際に「困った」状況には殆どなりませんでしたが、彼のこだわりとか、想いとか、とても複雑で、彼自身が説明してくれない事にはわからないのですが、彼自身も言葉にできない。でもそういうものだと思っていました。
そういうものだけでいれば良かったのに、私には、なんとかわかってもらおうというエゴがありました。
今は、だーだー泣いていても、泣きながら「幸せだなぁ」とか「何かを教えてくれようとしているんだなぁ」と思う余裕があるし、泣いた後すぐいい感じにお腹すいたり、息子とテレビ観たりできるんですが、昔はなかなかできなかったです。
息子を叱って「わかった?」って確認しているようで「うん」と言わせておいて、その後すぐ「お菓子食べていい?」ってケロッとしてる息子にまた腹立ったりして。
自分の都合良く「わかって」貰おうとしていました。
彼にもちろん教えることはあるんだけど、それと自分の押しつけを混同していました。

ちゃんと自分を打算なく泣かせてあげて、感じ切れば、それだけで良かった。
やっぱり自分次第だな、自分にどれだけ愛を注げるかだな。ここに帰結しますね。



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by 4cubes | 2016-10-29 01:13 | 潜在意識

一元視点で物を見つめ、物理化学の視点での引き寄せ、人の性質の分析解析を得意としています。、現在個別対応のみ承っています。


by のりこ