やっと春の陽気と気温になりました。
ここ1週間何をしていたのかというと。
一言で言えば毒出しのようなものでしょうか。感情の。
告知文を書こうと思えば思うほど手は止まり、これは何かの感情に向き合えということなのかなと思った途端、苦しいほど黒いものが溢れて止まらない1週間でした。
強制的に露呈させられた感じ。
で、その後に待っていたのは圧倒的な「決める」でした。
久しぶりに決めたなぁ。あぁそうだ、決めるとはこの感覚だと思い出した感じです。
個人的には、丸い大きな柔らかい重いものがゆっくりとお腹の下の方に降りていくイメージと、その丸いものは振動していて、何かを確信させてくれる感覚がありました。
そして決めた瞬間に、それはもう叶っている。という感覚も思い出しました。
言葉にすれば「決める」というただそれだけのことなんだけど、例えるならば自分の子どもの寝顔を見ながら「何があろうとこの子を守ろう」と湧き上がる決心、に近いのかもしれない。
そういう時って「守ったらなんか良いことあるかな」みたいな損得勘定は一切生まれず、その決心は自分が自分に思うだけのもので、誰かにアピールしたり競うものでもなく、ただただ純粋に愛おしいと思う想いからくる「決める」であって、つまり自動的に湧いてくる。
そう、湧いてくる。
次の日には頭ではもう忘れているんだけど、その誓いって、いざとなったら絶対出てくるってわかりません?いつも考えているわけじゃないけど、だからと言って何かの時に「やっぱり守るのやめよっかなー」なんてことには絶対にならない。
守れるかどうかじゃなくて「守る」その守ることはもう決まっている。
これが、もう叶っているということ。
「絶対に揺らがない」ということがわかっているという感覚。
それは、自分への愛。
子を守ることがじゃなくて、子を守る想いが湧いた自分を讃える気持ち。
じゃあ、生き死にのようなものにだけそんな気持ちが湧くかといったらそうじゃなくて、自分が本当に守りたい自分の気持ち、尊厳、自尊心、正義、美意識とか、自分が大事にしているものをただ当たり前に大事にする気持ち。
こんな風に生きたいという気持ち。
お金を自由に使ってみたいと思えばそれも。
世の中を好きな人だけにすることだってできる。
マウンティングのない世界にだって行ける。
そういう時の自分は、晴れやかで静かで強い。
そのためにする事は、人生の全てにおいて敵を作らない事。
そもそも敵なんていないと知ること。
敵というのは、人間が作り出した幻想のことで、人間関係のことだけじゃなくて、窮屈な常識とか、病気とか、不安、恐れ、全てのことにおいて、人はとにかく色んなところに敵を作り出して、自分が作ったそれと戦っているのです。
それ、やめようよ。
決めるだけで、やめられるから。
不安になるのは、自分が作り出している見えない敵がいるからなんです。
見えても嫌だけど、見えないと「不安」になって現れます。
その不安はそれを作った自分にしか消せません。
言い換えれば、作った自分だからこそ消せる。
6ヶ月コースが形になりそうです。
不安を、不安があるままでも解消できるテクニックなど、不安が取り除けるか心配な方にも具体的に渡せるものもあります。
平日コースは東京の東の端の方になりますが、人によっては近いでしょうし、どんな方と時間を一緒できるか楽しみです。
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