私が太ってたという話

1月お約束のお返事が遅れててすみません。
今日の夜、全員に送ります。
今送ろうと思ったら手帳置いてきてた(涙)

冬至をすぎて整った今の状態の、
良いエネルギーでお返事します。

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ちょっと何言ってるかわからないですが
私、実は、太ってました。

私を知る人は「は?今更なに言ってんの?」
と思うのは当然ですし、私もわかってました。
でも、これは大変不思議な事なのですが、
どうやら「頭で」わかっていただけ、でした。

いやいやいや、明らかに体重という数値でも、
写真見ても、鏡に映る自分も、着ている服の
サイズでも、明らかっしょーーー!
って思うし、もちろん自分は太っていると
認識してはいたんですよ。
わかってたよ。
うん、明らかに。
ええ、そう。

でも、なんといえば良いのでしょうか。
「そう、太ってるでしょ?わかってるよ」
みたいな。
「あ、あれでしょ、あれね、わかるわかるー」
みたいな。

どこか軽いというか、表面だけさらうような、
うっすーい「わかってる」というか。
コンプレックスもそれなりにあるのに、
結構いつも考えていた類のことなのに、
不思議だけど、体感できてなかったらしい。

で実際、体重こんなにあるし!という時は
心のね、心のどこかで
「体重計壊れているかもしれないし」と
思ってたみたいです。
僅かながら期待してたというか。
いやほんとに。
写真や鏡を見て太っているのが明らかでも、
どこかで「………ん、角度かなっ」って。

何を着ても「……ん、この洋服、もしかして
太って見えるかも」って。

アホか!!!!!

って、今なら思うのですが、本当に本当に
そんな感じだったんです。
認めたくないっていうネガティブな感情は
特になかったんですが、逆にそれがあれば
自分の中に大きな抵抗を感じて、
その違和感をきっかけにして自分の内側を
探る事ができたのだと思うけれど、
それがなかったからか、だからこそ余計に
「わかるわかるー、認めてるしー」みたいな
なんだか変に明るいことになってて。

いまなら明確にわかる事なんですが、
数字だろうが視覚化だろうが、どれだけ
外側の情報が明らかで、誰もが認める事実
がそこにあっても、それだけでは人は、
心からは納得できないのだとわかりました。

じゃあなぜ、私が自分で心底、体感として
「自分は太っているんだ」と気づけたのか。
きっかけは、とあるイベントの写真でした。
その写真に私も写っているのですが、
それを、私がいつも「この人太ってるなー」
と思っている人と勘違いしたんです。
………ん?え!これ私じゃん!!!!!

私が太ってると思ってた人と、私が、
同じ体型してる!!!
自分が「感じた事が違ってた」という
体感が起こったからなのです。

人は、自分が渦中にいると気がつかない。
これでもかっていうくらいに気がつかない。
「違う」という体感が起こらなくては
気がつかないもんなんです。

どうりで息子や彼に「パンダだ」「デブだ」
と言われるわけです。
(誇張してるんかと思ってたwww)

この「自分で体感として自覚できた」という
事が面白くて面白くて、彼に話したら
「この年末の、皆が忙しくしてる時に
何言ってんですかwww」って笑ってて。

これまでに目の前で「デブ!!!!!」と
誰かに言われてたら、ショックだけども
その瞬間、気づきが起こったかもしれない。
そういう人がいなかったのは、心優しい
人たちばかりだったからとも言えるけれど、
思っていることをはっきり言うのも、
結果的にその人の気づきになるのだから、
それもまた愛なんだと思う。

もう1つ気がついたことは、こんなにも
太ってるのに、私が私に絶望しなかった事。
自分でそれを悪いことだと、もはや
思ってなかったんだと気がつきました。

で、その気づきは「起こった」わけです。
起こそうと思ったわけでも、何かしら
アクションしたわけでもなく、或る日突然
起こるんです。
でもそれが「起こる」と、現実が変わる。

「太ってる」だと、イマイチ参考に
ならない気もするけど、全部同じです。
友達にこの話をしたら
「人を本当に信用してるつもりだったけど、
信用してなかった、と心底気がついた時、
そこで初めてこれまで信用してるつもりで
信用してなかった、という事に気づいた」
と言ってたけど、それ。

起こってからでないと、それまでの自分に
気がつけない。だから「起きる」は
大きな大きなギフト。
現実を変える大きなギフト。

でもね。
「起こる」は促せない。
じゃあ、どうしていたら良いかというと
それはもう、とことん手離して、
何かをしようとさえしなければ良い。
ただしたいことだけすれば良い。
したいタイミングですれば良い。
そこに意味はないけれど、たぶん全部
真逆のことなんだけど、信頼するだけ。
その先に、結果として「起こる」

何もしないと何かが起こり、
力を入れないことで、力が宿り、
意味のないことの先に意味がある。

ぜんぶそうやって動いているから。

こんなこと伝えたって…と思う事こそ
伝えてみると良いのかもしれないし、
やらなきゃと思う事こそ、やめてみると
その先に見えるものがあるかもしれない。
自分を疑って「違い」を作ってみるのも
良いかもしれない。

何かが「起こる」かもしれないし、
起こらないという事が「起こる」
のかもしれない。

こんな風に抽象的な概念になればなるほど
現実がぼやけてくるような気がして、
あるいは哲学の一言で片づけられる事が
腑に落ちなくて、
私はこれまでそれを受け入れ難かった。
でも、それは逆でしたね。

揺れているのが自然で完全な状態だから、
決めないことの方に、真理がある。

たぶん。


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Commented by くどう ちはる at 2017-12-28 13:03 x
うん、うんそうだよね。全部そうなんだ。
世界ってやさしいね。どうもありがとう。って思いました。
表現がちょうどいいのか判らないですが、まだ気づけていない人には、一番良いタイミングで判るように出来ている感じがします。必要ない人やまだその時でない人にはその時が来るまで待っていてくれたり、必要ないなら気づく必要もないというか。
何て完璧で、素晴らしい世界なんだろうと感謝してしまいます。
Commented by 4cubes at 2017-12-28 13:32
> くどう ちはるさん

うん、そう。
ほんとうに完璧な美しさで、その人のタイミングで気づきが起こり、なんの力を入れる必要もない。

わたしもちはるさんと同じ気持ちでいる気がします😊
by 4cubes | 2017-12-27 16:21 | 潜在意識 | Comments(2)

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