自主的と主体的の違い

ネットを見ると、自主的と主体的について
色々な違いの説明が書いてあるけれど要は

自主的とは「やる」ということが
決まっている、その上で、どうやるか。
主体的とは「そもそもやるかどうか」も
自分で決める、という事。

先日お会いした方との話の中であったけど、
よくある親子のやりとり。
「1日のうちいつ宿題するかテレビ見るか
ご飯食べるか、自分で決めてね」
宿題するって事が組み込まれちゃってる。
これは自主的(という名のコントロール)

でもそもそも「何をやる、何をやらない」
とそこから決めるのが主体的で、人生は
この主体性が大事になると私は思う。

だからこれを主体的にすると「宿題をする
しない、テレビ見るか見ないかも、自分で
決めてね」ってことになるんだけど、
そもそもこの野暮な質問自体が、
コントロールでお節介って話になり、
つまり何も聞かなくて良いって事になる。

ただし、ご飯の準備などがあるから
「私の都合はこれこれこうです」って
そういう情報だけ提供しておく。

家事もね「やるもんだ」と思って、
時間のやりくりだけしてるうちは、
自主的だけど主体的ではないので、
やりたくない事も混じったまんまだから、
いくらやりくりしても楽しくないわけで。
そもそもそこじゃないっていうね。

少し前の話。交通費負担してもらって、
遠距離セッションに行くことになってて、
1回目はなんか違うなーと思ってたら、
前日に息子が靭帯損傷になったんですよね。
それでキャンセル。
その方とリスケして2回目、違和感がなく、
気持ちよく行って来れたんです。
1回目の違和感の後に、何が起こっている
のかなーって思って内観してみたら
「交通費負担してもらったら行くもんだ」
と私が思ってて、申し込みが入ったら
行くのは当然という前提で動いていた。
自主的だったわけです。
断る事もできる、という選択肢を
置かなかったので、選べなかった。
でも選べるという選択肢を置かなかった
のは自分。その自分への不満だったって事。
で、深層心理では「そこに行きたくない」
のではなく「選択できないままでは」
行きたくない、だったってことなので、
2回目は自分にまず「断っても良いよ」
と伝えました。そうすると、そもそも
行く気があるから遠距離セッションを設定
していたわけだから行くことに問題はなく、
結果的に気持ち良く行けるんだよね。

だから、今後の無料セッションも、
気まぐれのように見える断り方をする事も
あるかもしれないと思うけれど、自分に
その気まぐれさえも許したいと思う。
どこまでも自由でいる。
お金が発生するしないは関係ないですよ。

アドラー心理学なんかも、悪くないけど
あれも巧妙にコントロールになっている
事があるように思える。

「子どものやる気を引き出す」とかって
一見良い言葉に思えるかもしれないけど、
「やる気を引き出す」という決まりの上で、
どう動くかっていう発想になるので、
つまり自主的であって、主体的ではない。
やる気のあるなしも、子どもに任せろって
話ですよ。

やる気があるのが良いのは大人の都合。

順番が違うと思う。
やる気になるものが見つかれば、子どもは
勝手にやるもんだ。
やる気のないものをやる気にさせるって、
大人だって無理な話で。
やる気がないなら、単純にそれじゃない
ってだけ。選択を変えるだけ。シンプル。
選択を変えるために「やる気がない」
という感覚を道しるべにする事もできる。

でもどこかで「やる気があるのが良い事」
そして暗に「やる気がないのは良くない事」
にしてるから、

「やる気を出す」ことを目的にしてしまう。
アドラーは偉大だけど、それを色んな人が
伝えるうちに、伝言ゲームのように
中身が変わってしまうという現象が起こり、
最近のアドラーはどうも、心理テクニックに
なっちゃってるように思うんですよね。
引き寄せと同じ感じ。
エゴの目的に寄せそうとしているというか。

やる気は「起こる」ものだから、
コントロールは必要ないんだよ。

学校に行かない子どもたちが増えてきた。
行く事が当たり前だという世の中で、
そもそも行くか行かないかで立ち止まり、
自分で決められるのは、主体的だから。
その上で、また行くことにしたっていいし、
違う手段を選んで大人になっても良いよね。
それを自分で気づけた事そのものが、
すでに自分を生きている、って事。
それは最高の祝福だと思う。


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by 4cubes | 2018-01-14 14:28 | 潜在意識 | Comments(0)

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