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目の前の人のために何ができるか

日常生活で迷うことってありませんか?

例えば、何かの会に誘われたとして、
ふっと「あ、あの人も誘ったら良いかも。
もっと会が面白くなるかも」と思いつつ
「でも自分が主催じゃないから、余計な
ことしないほうが良いんじゃないか」
と思って、そのままになる事とか

レストランで食べたお料理が美味しくて、
お店の人にそれを伝えたいなと思いつつ、
何となく言わないで出てきたり、

誰かのためにちょっとしたものを、
作ろうかなって思うんだけど、なんとなく
忙しさに紛れて、思っただけで終わるとか、

バスで席を譲ろうと思うんだけど、お年が
微妙で、逆に気まずくなったらどうしよう
と思って譲らないまま終わるとか。

他にも似たような事はありません?
これって何だと思いますか?

もちろん何をするのかが大事なのではなくて
どういう思いでするのかが大事なので、
やりたくない事を無理にする事は抜きにして、
それでも「しようと思ったし、できたけど
なんとなくしなかった」っていうのは

信頼を詰む機会を1つ、失ったと言えば
良いでしょうか。
もちろんマイナスではなく、0なので、
それで良いけれど、プラスにもしなかった、
と言えばわかりやすいでしょうか。

何か作ってあげて相手が喜んだかどうか、
などのそういう「成果」の話ではなくて、
「その時の自分は、目の前の相手に、無理
なくできる最大限で、何をできたと思うか」
という、自分自身の「想い」の話です。

徳を積む、という話にも似てくるけれど。

じゃあそれを、形ばかり真似しても仕方ない
けれど、心からできると思うなら、
したらどうなるかというと、

その人の心に、信頼を1つ、
詰むことになります。

その信頼が、お金に換金されたり、別の形で
幸せな何かに形を変えて自分に戻ります。
実際にお金にどうやって変わるんだ?という
そのメカニズムは別のところで書くとして、

だから、

与える人はお金に恵まれる、と言われるし、
それはこのことを指してもいます。

自分のことだけを考えているときは、
生活はできてもそれ以上増えていかないし、
実際の数値云々よりも、安心感が減ります。

自己犠牲ではなく、分かち合うことが、
豊かさを生むのですが、どうしても人は、
そこになんらかの「成果」を求めがちで。
例えば、喜んでもらえるならやろうと思う、
褒めてもらえるならやろうと思う、
子どもの人生に有利になるならやろうと思う

って無意識に考えていたりする。

成果というのは、目の前の人や目の前の事を
大切にしている瞬間瞬間の連続の先にある、
結果として見える一つの事象でしかないし、
成果を踏まえて何かやろうとしても、
それは分かち合いではなく打算になるので、
まず楽しくないし、我慢や妥協の産物になる。

PTA役員なんてそうじゃないですか?
PTAがどうのじゃなくて、何かのために
やってるって無理に考えるから辛くなるんで、
今、自分のできる範囲で目の前の人に、
何ができる?っていう視点で取り組むと、
全く違う世界が見えるんじゃないかなと思う。

生きる事の真理はそのプロセスにある。

と思う。

多少空回りしても、伝えたり手を差し出す。
人に構わない事を、尊重している事だと
勘違いしそうになるけれど、
それと、想いを形にする事は全く別だと
知ることって大事だと思う。


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by 4cubes | 2018-03-05 08:37 | 潜在意識

一元視点で物を見つめ、物理化学の視点での引き寄せ、人の性質の分析解析を得意としています。、現在個別対応のみ承っています。


by のりこ