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いじめの構図



今日、オンラインサロンで動画を配信
していた時にも少し話したのですが、
私がよく言っている、
自分の意識が能動的であるか、あるいは
受動的であるか、という事は、
個人の幸せだけの話ではないんですね。

例えばいじめがなくならないのは、個々が
あまりにも受動的に生きているからです。

もし、個人が、無意識レベルも含めて、
自分でものを考え、自分で決断していたら
こんな風になります。

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影響力のある人が仮にこんな事言っても、
いろんな意見が出てきて、それで終わる。

でも、もしそれぞれが、無意識を含めて、
「人と違う意見を言うのは怖い」
「自分の意見がわからない」
「矛先が自分に向くのが嫌だ」と感じて
自分の些細な行動がそれほど大きな影響を
与えるという想像ができなくて、

誰かの意見に乗っかると、同じように
考えている人が多いからこうなります。

いじめの構図_a0352853_18433929.jpg



いろんな意見を言っていいよと言われても、
雰囲気で言えない、言えない自分の弱さ。
そんなダメな自分を見るのは苦痛だから、
無意識に「誰かの意見にうまく乗り、
あたかも自分でそれを選んだかのように」
自分に嘘をつき、振る舞うという事を、
人って平気でできてしまう。
それくらい弱いもんなんだと思う。
そしてそれを、そんな自分を、
見なかった事にしてしまう。
そういう意味の弱者でいるように、
私たちは今まで教育されてきたんです。
国民が賢く強くなったら困る人がいるから。
だからそれが一般的なんだけど。

なんだけど。
本当にそれでいいの?

こうやって、誰も悪くないはずなのに、
いじめを生み出してしまう。
責任は誰も取れないし、取らなくて良い。

ただ、自分が自分でいないだけ。
でもその事が、全く個人的なことでも、
自分になんの害もないわけではなく、
この図のように、たった1人の、
「あの人、何か感じ悪いね」で、
いじめの標的が自分になる可能性なんて
いくらでもある。

いじめられる理由なんてないよ。
ただ、皆が受動的でいるから「起こる」。
誰でも同じ事が起こる。

だから、受け身でいる事に対する危機感を
もっとみんなで持った方が良いと、
個人的にはそう思ってるんです。
自分の意識がいじめを作り出すなんて、
そんな私になるのは絶対に嫌だ。

いじめは、
特定の、いじめる人がいるからではなく、
みんなが少しずつ、自分に対して無責任で
いる事で起こる事だと思う。

昨日友達に、
「本当の意味の能動的って、甘くないね。」
って言われたけれど、本当にそうだと思う。

たった1人になる覚悟だから。

でもそのたった1人になる覚悟をした時、
実際にたった1人になったりはしない。
でもそれは結果的に、って事だけど。



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by 4cubes | 2018-04-09 19:18

一元視点で物を見つめ、物理化学の視点での引き寄せ、人の性質の分析解析を得意としています。、現在個別対応のみ承っています。


by のりこ