ものを作るということ

昨日の夜、彼とお茶をしていて。
私は、先日購入したブローチのピンが
長すぎて指にあたるので短くしてほしいと
彼に頼み、彼は、ペンが胸ポケットに
収まり良く差さるようにしてほしいと、
シャツを持ってきてて。

彼も私も基本作るし、基本捨てない。
彼は昔から「暮らしの手帖」を愛読し、
自分でなんでも作るし、できるだけ買わず
修理できるものは可能な限りするし、
使えるものは使い切る。
でも、布の作り物は管轄外らしいです。
私は布に関しては一応プロでしょうし、
ペーパークラフト工作系は得意だけれど、
DIYのようなものは不得意。
だからそこはお互い持ちつ持たれつで。
私にはそういう関係性は、彼に限らず
当たり前になっていたけれど

ものを作ったり、アレンジしたり、
あるいは、そういう人が身近にいて、
気軽にカスタマイズを頼めたりするのは

実はとても贅沢なことで、私たちは普段、
メーカーが作った最大公約数的なものに、
知らず知らず自分を当てはめて、
何となく納得させられて暮らしている、
という部分が圧倒的に多い。

で、必要なものは買えば済むという現代に
あえて作るのは「好きだから」といった
個人的な好みの感覚で言われがちですが、

そこに「自分の豊かさの選択肢を増やす」
という能動的な意味合いが強くあって、
抽象度を上げて言うと「自由」って事。
もちろん、作るっていうのは、
失敗の可能性とか、手間とか、そういう
多少不快なことが伴うリスクもあるのかも
しれないけれど、その不安定さの先に、
ただ「達成感」とか苦労した先の喜び、
というわかりやすい感覚以上に、
潜在的にはとても大きな喜びがある。

自由に生きている、ということ。
人の望みの真理の部分です。

私が知り合う人は何かしら作る人が多く、
型紙屋経由でここを訪れてくれる人も多く、
必然的に作る人が環境的に多い。
自分で作らなくても、作る人が周りにいる
という人も同様で。
やわらかくあったかい空気を感じます。

自ら作らなくても誰かが作ってくれたものを
お金で交換できる世の中で、
自分で作らなくては手に入らないなんて事も
可能性として考えにくい今の世の中で、
作る、という世界は、決して
偶然や好みの産物ではなくて、
それ相応の前提があるのだと確信しています。

作ることができると、人に贈り物をする時、
その選択肢を入れることができる。
関係性によって、作る方が良いか、
買う方が良いか、どれが喜ばれるのか。
特に「物」そのものがほしい年齢でなくなる
中年以降は「作る」選択肢を持つことが
生きやすくするという感覚は確かにある。
あとは「人の役に立つ」ことが自然にできて
自己有用感に繋がっていくと思う。

と、書いていると「作ることが良い」
みたいに感じるかもしれませんが
決して単純にそういうことではなく、
買うときには「誰が作っているのか」の
プロセスが見えるものや共感性がある事や
自分にとって親和性がある、といった部分を
手がかりに、物にたどり着くという感覚が
実は重要なのではないかなと思う。

自分が作っていると、当たり前すぎて
人の手の価値を忘れそうになるので、
喜んでくれる人がいるというのは大切だし
自分が人の作ったものに感動させられてもいて

そこはほんとうに、誰1人欠けることなく

お互い必要な関係性、だなと思う。

日々の中で、そんな大げさなことではなくて、
上手か上手でないか、でもなくて、
何を作るか、でもなくて、
心を込めて、その人がその時にできる事を。

手紙も
メッセージカードも、
そっと添えてある手描きのイラストも、

「作る」だと思うし、作る喜びがあれば、
作られる、という喜びも同時に生まれる。
心地良い日常を、自分で作ることができる。

今日は「作る」打ち合わせに行ってきます。


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by 4cubes | 2018-05-29 08:22 | 潜在意識 | Comments(0)

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