価値とか認定とか

暑い夏ですが、いかがお過ごしですか?
私は暑さには強い方で、暑いとは思っても、
そう不快に感じることはないんです。
別に海が好きでもなんでもないですが、
体(肉体)が緩みやすいんです、力が緩む。
だから夏が体に合っているんじゃないかな
と思っています。
でも、35度超えると出なかった蚊が、
気温が少し下がって過ごしやすくなると
途端に出てきて、よく噛まれています。

ところで。
「あなたはそのままで価値がある」
ってあるじゃないですか。
あれ、そうなんだけど、そうなんだけど
どこかに違和感があったのを
前にそういうことかーって思いいたって、
今日はそれをちょっと書いてみようかと。

「価値がある」うん、そうです。
人それぞれ、誰もが尊いという意味で、
誰しもに価値がある。
でもそれは、誰かに認めて貰うものでも
フラットな基準があるわけでもなく、
「人というものは平等である」という
精神に基づいて、そういう説明ができる
というだけのものなのです。

つまり例えば誰もが呼吸をしているけれど、
そこに「誰々の方が多く吸った!」なんて
比較や争いがないのと同じように、
価値も、どの程度あるかとか、
誰に認められたとか、
あらゆる基準は実は全くなくって、
それぞれに価値があるともいえるけれど、
価値とかそんな話を持ち出さなくとも
もう当たり前に大切な存在だよね、
むしろその確認いる?という話です。

その価値とやらが自分の何かを
押し上げてくれるわけでも、
人生の幸福度を約束してくれるわけでもない
そもそも幻想なんです。
でもその幻想は「快楽」ですから、
そこに人は執着しがちになるわけですね。

で、それだけのことですから、
価値があるとかないとか、欲しいとか
そういう事に時間やエネルギーを使うのは
あまり意味がないと常々思っていて、
それだけなら個人で好きにやってください
というだけの話なのですが。

ただね。
言葉にしておきたい、
大事なことが一つあると思っていて。

人間は、一つのことにしか意識を
向けることができません。
意識を向ける事ができないというのは
料理しながら子どもの宿題見て、あー
洗濯物ももう入れないと、あ、そうだ、
明日のためにこれやっとかないと、
のような「行動」の話ではなく

もっと抽象度を上げて考えた時の、
「価値があるかないかにこだわっている」
「自分には価値があるのだろうか」
なんでもいいのですがその「価値」に
意識が向いている時、

あらゆる事が、二元的になっています。
(ざっくり言うと、自分の感覚ではなく
良い悪いが基準になってる)
仕事をしていても楽しくとか、純粋に
会社に利益を、と思いながらではなく
「仕事できない人と思われたくない」
「どうして同僚のあの人はこうなの?」
「もっとわかってほしい」など
言葉にして書くと印象が強くなるので
「別にそんなこと思っていませんけど」
と、感じるかもしれませんが、

心のどこかで
「ミスをしなかったらホッとする」とか
「休んだらなんて思われるかな」とか
もちろん仕事だけの話ではなくて、
「子どもに言うこと聞いてほしい」とか
「約束を守ってくれなくてイラっとする」
とかあるじゃないですか、

その時は「自分の価値」のあるなしに
意識が向いているという事が言えて、
そういう時間が長ければ長いほど
幸せだと感じる事よりも、
「自分には価値があるかないか」について
気にしたり、価値を上げようとしていて、
表面上はどんな風に見えても
心は緊張状態で、幸福度が低いです。

自分に価値があるのかないのか、なんて
非常に不毛な事を長く考えていたり、
誰かに「あなたには価値がある」
「だからそのままでいい」なんて言われて
それで表面的な安心を得る、のような
自分の幸福度をあげてくれないものに
意識を向けるよりも、もっとちがう方に
意識を向けた方が幸せですよって事。
要はそういう事です。

価値って求めると、受け身ですもんね。
誰かがそう言ってくれるの待ちって事。
そうすると今度は無意識に、
言わせよう言わせようとしてしまうので、
相手へのコントロールになりやすく、
ますます言ってもくれないし、
認めてもくれない、
というスパイラルに入ります。

そもそも、言ってもらったり
認めてもらったりするもんじゃないので、
そこから抜ける視点を持つ事が一番大事。

世の中「認定講座」が流行っておりますが、
国家資格でもない、どんな立派に見えても
主観的な意識でしかないたった「1人」に
認めてもらう免許とか認定って、
非常に危険なのではないかと
個人的には思います。
特定の誰かとか何かに対しての話ではなく
まだ「二元的な組織」の視点でいるから
そうなるんだと思うんですけれど。

中には自分が人生拗らせまくっているのに!
って人も認定講座やっているし、
そんな人こそ「自分の価値を証明するために」
認定講座やっているんだろうなと思います。
どんなに上手いこと言っててもね。

私自身も認定された経験があり、
だからこそ見えている部分でもあるのですが
技術に対して、知識を得ることに対して
対価が発生するのは大事な事ですが、
それと、制限作って囲い込むのは別の話。
その辺が曖昧になっているのかもしれません
世の中は。


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Commented by まゆえ at 2018-07-27 20:07 x
あー、確かに。
認定講座(資格取得講座)たくさんありますけど、誰か一人の作ったものですもんね。
自分が得たい知識を得るのに認定講座受講するけれど、認定が欲しいわけじゃないんだよなあ…と思ってたのはこの辺りの違いというか、違和感だったのかなあ。

認定制度は作った人が楽にはなりますよね。
時間的にも金銭的にも。
Commented by 4cubes at 2018-07-28 10:26
> まゆえさん

ほんとそれ。
習う時に対価は発生しても、その先のそれは必要なのかな、ですよね。
メソッドの純度を守るため、という名目で、良い事だと思っている人も多いけれど、本来は知識や知恵は囲い込むようなものではないのに、今の認定講座などは古い近代的に視点なっているから、無意識の囲い込みになるし、もっと言えば、その人の心の弱さの反映なんですよね。

形のある物を仕入れすると儲からない時代、無形のスクールビジネスは、この時代にもってこいですよね。
Commented by J at 2018-07-28 15:09 x
めちゃくちゃタイムリーなので、思わずコメントを!
「制限作って囲い込む」のは別の話。
ほんとにそうだと思います。
頭の中でもやもやしていたこと、それだった!
Commented by 4cubes at 2018-07-30 13:41
> Jさん

わーい、すっきりしたのならよかった!
Commented by まゆえ at 2018-07-30 23:18 x
>今の認定講座などは古い近代的に視点なっている

わ、そうか!
心の弱さの反映なんて思いもよらなかったです。

知識は囲い込むものじゃないからこそ、「誰からそれを得るか」が重要になるのかなあ。
スクールと言えるほどの規模も生徒もいないけど、振り分けたらわたしもそっちに入るのかなあ。
Commented by 4cubes at 2018-08-02 22:29
> まゆえさん

誰かから受けるかも大事だけど、それをどう捉えるか、でしょうね。

同じ講座を受けても、得るものは違いますもんね。
by 4cubes | 2018-07-27 18:48 | 潜在意識 | Comments(6)

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