ほんとうの共感力とは

ブログで書くことは、かなりの割合で
重要な内容を多く含んでいると
思っていますが、なぜ書くかというと、
この知識がある事で、
仮に講座を開いたとして、講座の内容の、
個々への浸透度が抜群に良くなるからです。
そして、どうしても受け身になりがちな
講座やプログラムで変化を起こすのに、
何かしら能動的な取り組みは
どうしても不可欠だと思うからです。
その実践の一つとも言えます。
どんな講座を受けても、実践しないと
変化は起こらないので。
また、単発講座の数時間はもとより、
6ヶ月プログラムでも会うのは正味6回。
その期間、更に内容を濃くするために、
私を含めた参加者の共通の話題として、
資料的にこのブログも使っています。

それでも、しばらく前までは
そこまでの自覚は正直なかったです。
無意識でやっていたと思うけれど、
自分で自分のやっていることを仔細に
把握できていなかったのも事実ですから、
そこまで設計していたとしても、
精度はわかりません。
やはりそこは未熟だったのではと思います。
日々、私自身もアップグレードです。

で、今日は共感力という話です。

共感力という言葉が最近言われている?
この共感力が大事だということについて、
なんとなくそんな気がする、という人が
大半なのではないかと思うのですが、
そもそも共感力って、なんだろう。

相手の感情を自分の事のように感じられる
というのを能力に例えるなら「共感能力」
と呼ぶことができると思いますが、
もちろんそれもそうなのでしょうが、
私は実はこれには疑問がありました。
最初は小さな違和感だったので、
それほど重要視していませんでしたが、
段々、例えば仕事などにおいて普通に
「がんばろうね!」って話になった時に
素直にそう思える時とそう思えない時、
「いいね」と思える時、思えない時、
自分の感じ方の違いなどがあり、
いろんな角度から考えてみました。

まず、共感していないにもかかわらず、
例えば職場で「今月売り上げノルマ達成
しよう!」と上司に言われた時に
「はい」と答えるとします。
何となく特に疑問も持たずに、
そう答える場合もあるかもしれないし、
あるいは、給料貰えればそれでいいよ、
ノルマとかプレッシャーだし、まあでも
達成すれば職場の雰囲気も良いし、
給料もUPするかもしれない」みたいな
漠然とした気持ちでの「はい」だったり
または、全然そうは思えないけど、
ここで反論しても
「は?何言ってるの?」
みたいな反応が返ってきてめんどくさい。
で「はい」って言っとけって
そういうのも、いくらもありそうですが。

結構、その短くて、ただ言うだけなら
何の問題もなさそうな「はい」が、
自分の本心と同じではない時、
心理的には大きくマイナスな影響があると、
私は考えています。

言葉って、どんなに短くてもアンカリング
つまり「私はそう決めました」
という意味です。だとすると、さっきの
「ノルマ達成」に対し、思ってもいないのに
その場の判断で「はい」と答えることは、
自分の感じていること(心)と
やっていること(行動や言葉)を
乖離させますよという意思表示になります。
心と体が離れていくことを決めました、
という意味になります。
そうするとその1回だけでなく、おおよそ
そういう反応の仕方が人生で当たり前に
なってくるわけですから、そのことによって、
心と行動、それに伴う現実の乖離は
どんどん進んでいきます。
具体例としては、望んでいるはずの事が
ことごとく叶わない、何をやっても
うまくいかない、満たされない、
などの事が起こりますし、終わらない。
幸福というのは、自己一致が重要なので、
そこ(乖離している事)に気がつかないで、
自分の意思とは違うアンカリングを
続ける限り、不幸感から抜けられません。
そんな大袈裟なと思うかもしれませんが、
小さな事のようで、毎日同じような
パターンの積み重ねを起こすとそれは、
蓄積されて大きな影響を及ぼします。

だから、いいねと思ってもいないものに
いいねを押すことって、案外怖い。
毎日少しずつ、自分に嘘をつき続けて
いるという事だから。

共感力って、気分や目の前の雰囲気で、
相手に合わせる事ではないのです。
つまり、主観的に捉えるものではない、
という事なんです。

例えば、身内を亡くした人がいて、
自分も同じ体験をしている時には
「わかる」と言って共感することが
できるように思いますが、
同じような経験があったとしても、
そこに感じるものはそれぞれ別なので
誰にも真の意味で、相手のことなど
本当にはわかりっこない、
主観的に感じる共感というものに、
共通認識を持つことはできないんです。

つまり共感力とは、
思ってもいないのに「わかる」と
相手に上手に合わせる事はもとより、
自分も同じ気持ちになって、
「わかる、わかるよ!」
って感じたり、またはそれを
私はわかってる!と思い込んで、
表現することでもないわけです。
(表現することが悪いのではなく
自分はわかっていない、を
念頭に置いていないという事が問題)

じゃあ共感って何なのさって話で。

「共感」というのは、考え方も解釈も
人によって色々あると思いますが、
私は、相手が感じることであり、
「共感してもらえている」と思える、
その感覚のことを表すと思う。

「共感力」というのは、
相手の人の「わかってほしい」を
ただ「理解」する事だと思う。
感情とか関係なく、自分の価値観を
入れない、客観的な「理解」です。
ただ認識する、という感じに近い。

カウンセラーが傾聴だと言われるのは
そもそもそういう事だと思う。

だから真に共感力を発揮できている時
言葉はとても少なくなって、ただただ、
「そうなんですね」というような
ものになっていくのだと思う。
相手に同調するエネルギーもなく、
ただ、理解、認識だけがある。
相手に何をするわけでもないけれど、
何もしないという事は、良い悪いを
決めないということでもあるから、
そこに許しが起こります。

「わかるー!旦那さんひどいよね。
別れた方が良いと思う」は共感ではなく
聞いている側の主観だと思います。

でも、人の感情がわかる、感じるという
カウンセラーさんはたくさんいて、
それが当たり前の世界ですから、
だいぶズレた事を言うかもしれませんが、
まあそれは、えっと、

思い込み?

と言っても、単純にそう感じるとかでは
なくて私なりの根拠を持っていて、
なぜなら人の感情がわかるなんてのは、
どこまでも客観的にならないでしょう?
人の感情がわかる、とか
相手の感情が自分と混じって、どっちの
感情かわからなくなる、という主観、
なんじゃないでしょうか。
「わかる」って感覚自体が主観だから。
で、そういう人が結構「無知の知」を
言うんだけど、それは成立しないのでは?

だからと言って、感情がわかるという
人を否定もしません。
私は人の感情を拾わないという自覚がある
ので、逆の人のことはわかりませんし、
私の自覚すら、ただの思い込みです。

真実はわからないけれど、
ただ、自分の言葉を記すだけです。


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by 4cubes | 2018-08-20 00:26 | 潜在意識 | Comments(0)

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