少し前の話になるのですが、高1息子。
部活の顧問の先生から連絡があり、怪我で2日ほど練習を休んだけれど、教室でもかなり辛そうだと担任からも聞いていますが大丈夫ですか?という話で。
●怪我は知っているけれど、練習休んだ事は、私は聞いていない
(普段なら言うから、いつもと違うパターン)
●家では痛い様子がない
本人に聞くと「休んだ事を言わなかったのは悪かったけれど、怪我も、痛いのも事実。病院には行かなくて良いと自分で判断して、練習は「1年生は来ても来なくても良い」と言われたので、大事をとって休んだ」と言う。
一見、筋が通るような気もしなくもないけれども、私の感覚では違和感と微細なモヤモヤがあって。
●担任や顧問が電話してくるレベル(心配)
●病院に行っていない(曖昧、ハッキリさせていない)
●来ても来なくても良い、からの大事をとっての休み。(自由参加なら息子は必ず行くから、理由はあれども漠然とした消極的なものを感じる)
部活に行きたければ痛くても行くだろうし、心配されているほどの痛みと自覚があるなら、病院に行くことで、心配かけないことや今後の見通しを立てる事もできるのにそれをしないという事は、本人の中に、上の整理した事実から見える「不安」「心配」「ハッキリしない気持ち」「曖昧」「消極的になる気持ち」が隠れていると見て
「すっきりしない事があるん?」と聞いてみた。
そうしたら、試合に出られない事(本人曰く、自分より弱いメンバーが選ばれているという違和感)、合わないと感じる先生がいることなどを話してくれて「多分その辺だと思う」と。
ここで、その直接の問題には触れず
●病院に行くには2種類の意味がある。1つは治療。もう1つは、部活ができるのかできないのかを、ハッキリさせること。
●どうしてもやりたいなら、痛くてもやるか、すでに病院行ってるよね。
同じ「休みます」でも自己判断では熱意も伝わりにくいし、それを無意識に選択しているってことはどう思っているってことだろうか。
●やる気のあるなしが無意識に顧問の先生や先輩に伝わることは、どんなことが言えると思う?
という話をして。
●試合に出すか出さないかを決めるにあたっては、部内での実力のあるなしだけでなくて、当然やる気も見るんじゃないかな?
で、ビンゴです。
試合に出してもらえないからやる気がなくなるんじゃなくて、やる気がない(見せられていない)から、そういう結果がついてくるとは言えないだろうか?
順序立てて話をすれば、全部見えてくる。
部内の誰それより強い弱いだけじゃない、自分には見えないところに答えがあるかもしれない。そしてその答えを作っているのがまさに自分であるという自覚ですね。
問題となっている事柄は、それ自体は意味はなくて。
息子の曖昧で混沌とした心を移す鏡でしかなくて。
問題は前提によるただの結果であり、解決させるものじゃなくて、気づかせてくれるためのメッセージでしかない。
とにかく言葉で顕在化するだけで、気がつくだけで、漠然としたものがハッキリし、不安で問題だと思っていたものは対処するべき案件に変わり、やるべきことが明確で迷わなるのだと思うのです。
気分転換兼ねて、一泊二日で、息子と大阪帰省してきました。
いつも日数をまとめて行って、あれこれ予定を入れる旅になるのですが、今回は目的と会う人を絞り、一泊ですが時間もゆったりしていました。
もともと予定を詰め込んだり寄り道するのが苦手ですから、気分がすごく良かったです。月1くらいのちょこちょこ帰省ができるようにしていこう。
今日から定期考査。
金曜日までお弁当がないのが何気に嬉しいです。
5月の個人セッション枠は、埋まりました。
たくさんのお申し込み、ありがとうございました。
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