カテゴリ:潜在意識( 526 )

先週末、大阪に帰ってきました。
目的は息子のオープンキャンパス。
私は学校には同伴せず、息子一人で。
とても気に入ったようで、
大阪に住むとなると一人暮らしになり、
(私の実家から通う選択肢は無し)
トータルにかかる資金は、
学費の2倍見ておきたいとすれば、
今すぐ準備する必要がある。
滞在を切り上げて、すぐ東京に戻りたい
というので、今はすでに東京。

もちろんまだ高2ですし、これから先
気持ちはいくらでも変わるかもしれず、
実際東京に帰ってきたからといって、
すぐに何か始めたわけでもないのですが、

この人は、プロセスの重要さを
心のどこかでわかっているんだな、
という事はわかりました。

一般的に、合格はゴールじゃない、
という事をぼんやりと感覚で、
そうだよな〜〜って思う事があっても、
「終わりではない、そこからが始まり」
という、気を抜いてはいけない、
みたいなイメージで捉えていたり、

もっともっと先、生き方を見据えて、
合格はその通過点だ、と、頭では
わかっているのかもしれないけれども、
体感がなく、漠然としていて、
実際に殆どの人の行動と、その奥にある
意識の部分は、合格がゴールであり、
そこから新しくスタートを切る、
と認識している場合が多いように思います。

そして、早くから色々見て、
【失敗しないように】
選択肢を増やしたり、準備をしたり、
その「合格」をより良いものにしようと
考えて行動するわけですが。

進路というのは、人生において、
どう生きたいか、自分が大切にしている
ものは何か、をまず今の時点での自分で
正確に捉えて、

「(例えば)高校が終わるまでに」(期限)
「進みたいと思える」(希望)
「行き先を決めて」(決定)
「行けるように準備する」(準備)

のではなく

期限を作らず、
ここに行く、とも決めず、
自分の生き方に合った環境を
肌で感じる場所を見つけたらそれこそが
進路です。進路の本質はそこだと思う。

そうすると、実際の学校名や場所など
どこにどう決まるかわかりませんが、
まだわからないはずのそこを、
どんな風に卒業するかまで見えてきます。

合格はゴールでもないのはもちろん、
進学、入社、は、実はスタートでもない。
一斉によーいドンではなくて、
プロセスがどうだったかというところで、
既に差はついています。
だから、プロセスの段階で、卒業までが
繋がって見えてくるんです。

息子は「ここに行きたい」と思ったし、
そのための準備をしようと思ったので、
「決定」と「準備」をしているように
見えるかもしれませんが、
一般的にイメージできるそれではなく、
「リアルな目星をつけて」
「行きたい熱量を保っている」
という形の、決定、および準備です。

本当の「決定」って、結果をそこに
合わせることでは全くないし、
むしろ決めてしまってはいけない。
そっちに進むよ、という「方向性」の
決定だけにしておき、
可能性は残しておく必要があります。

そして準備というのは、
具体的な準備だと思いがちですが、
それは後からやってくるもので、
まず気持ちの維持。
それも観念的なものではなくて、
熱量を保つという、忘れがちな事。

人って例えば「お金持ちになりたい!」
とか結構強く思う人も多いと思うけれど、
そのためにどう準備しよう、何をしたら
良いんだろう、と考え始めた途端
気持ちがしぼんで、行動できず、
結果的に形にならない。
だから願っても叶わないんですね。

それをよく
「本当の望みじゃなかったから」と、
言ったり言われたりするけれども、
確かにそうとも言えるんだけど、
(今の私は言いません)
でもそれは何の解決も生まなくて、

それも叶えられるとしたら?

移動すると色んな事が見えてくるので、
特に出不精の私は、リアルにそれが
わかるので、帰阪は面白いです。
コミュニティ文化圏としての大阪も
見所を再認識してきました。
東京の課題は「分離感」
大阪の課題は「感情の俯瞰」
この辺が調整できれば、エネルギーの
良い循環を起こしそうな気がします。


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by 4cubes | 2018-08-21 11:00 | 潜在意識 | Comments(0)

時間錬金術

どなたかのブログで読んだだけですが、

自分に子どもが生まれて、
その子が大人になるまで、
どのくらいの時間を一緒に過ごせるのかを
計算すると、

小学校卒業する頃で、一緒に過ごせる時間の
55%が終わるそうです。
高校卒業時で73%が終わる。

数字にすると、一生のうち我が子と
過ごせる時間は
母親で7年半、父親で3年半。

うん、短い。

と数字だけを見るとそう感じますが、
私個人的には、そんな感じに思えない。
もっと長い気がしています。
それはなぜかというと、長く感じるように
過ごしているからです。

人は時間の長さを、数字の時間の長さ
そのままの分、感じるわけじゃない、
というのは、誰もが日々
肌でわかっている事だと思います。
同じ1時間だとしても、
楽しい時間はあっという間、
苦痛な時間は長く感じる。
この「感じる時間」の長さが、
その人その人にとっての実際の時間、
なのだと思います。

楽しい時間はあっという間なのであれば、
子どもと過ごす時間もあっという間に
なると思うかもしれませんし、
実際そう感じている人も多いと思うけれど
これは殆どの人が思い違いしているかも。

一点集中の幸福感はあっという間ですが、
恒常的な幸福感はとても長く感じます。
人が「楽しい時間」と思っている多くの
時間は、確かに楽しいけれど、
心のどこかで「今楽しんでおかないと
次はもっと先になる」という損得勘定、
期限つき、条件つきの楽しさになるので、
非常に二元的、限定的になるんです。
終わってほしくないと思えるほど幸せ!
なんじゃなくて、明日から仕事だから、
少しでも幸せが長く続いて欲しい!
という理由で続いてほしいと思うから、
コントロールしようと思えば思うほど
意識において、抗えば抗うほど、
当然、幸せを感じる時間は短くなる。

一元的視点を持つようになると、
恒常的に幸せなので、常に楽しく、
時間も長く感じられますし、実際長い。
さらに、同じように限定的な、
旅行とかそういう「楽しい時間」の時も、
「終わってしまう」事は単なる物理現象で、
終わる恐怖を感じる必要がなくなるために、
二元的視点よりもずっと物理的時間も長く、
感じ方の時間も長くなるのです。
魔法でもなんでもない、
シンプルな原理があるのです。

うちの息子、あまり家にいる方じゃないし
実質的に一緒にいる時間は、
そんなにない方だと思うのですが、
かなり一緒にいる気がします。

時間錬金術がわかってくると、
お金の錬金ができるし、
人間関係も錬金できる。
というか、全部一緒、繋がっている、
と言うと、どこかで聞いた話になるけど、
りんご2個とみかん3個の問題を、
えんぴつ2本と消しゴム3個の問題に
するような、応用の効く話でありながら、
自分で置き換えなくても自動で置き換わる。
という感じです。

数字的には短いその時間に、殆どの人が、
かなり心を持っていかれているのだなと
いう事はわかりました。
それを、長く愛おしい時間にできるし
その長さは時間の数字的長さではなくて、
密度、濃度なのだと思う。
そして質。

時間錬金術って、時短で色々できるとか
そういう事じゃないです。
それでいえば私なんて、絶対無理。
性質的に、D7にそれは無理でしょう。
D5に比べたら100倍くらい劣ります。
そういう事じゃないわけです。
その考えだと有利、不利ができてしまう。

誰もが、自分の意志で、錬金できる。
大事な時間を濃く過ごすことができる。
それはやはり、どんな性質かに頼らない、
法則であり、具体的な再現性。
それをどう現実化するか、の段階で、
その性質が活かされる、ということです。
D7ならじっくり作戦立ててから動くし
(というより自分は動かず、動かすし)
D5なら、動きながら考えるとか、
その表現はそれぞれになりますが、
根底にあるものは、同じだと思う。


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by 4cubes | 2018-08-20 10:31 | 潜在意識 | Comments(0)

ほんとうの共感力とは

ブログで書くことは、かなりの割合で
重要な内容を多く含んでいると
思っていますが、なぜ書くかというと、
この知識がある事で、
仮に講座を開いたとして、講座の内容の、
個々への浸透度が抜群に良くなるからです。
そして、どうしても受け身になりがちな
講座やプログラムで変化を起こすのに、
何かしら能動的な取り組みは
どうしても不可欠だと思うからです。
その実践の一つとも言えます。
どんな講座を受けても、実践しないと
変化は起こらないので。
また、単発講座の数時間はもとより、
6ヶ月プログラムでも会うのは正味6回。
その期間、更に内容を濃くするために、
私を含めた参加者の共通の話題として、
資料的にこのブログも使っています。

それでも、しばらく前までは
そこまでの自覚は正直なかったです。
無意識でやっていたと思うけれど、
自分で自分のやっていることを仔細に
把握できていなかったのも事実ですから、
そこまで設計していたとしても、
精度はわかりません。
やはりそこは未熟だったのではと思います。
日々、私自身もアップグレードです。

で、今日は共感力という話です。

共感力という言葉が最近言われている?
この共感力が大事だということについて、
なんとなくそんな気がする、という人が
大半なのではないかと思うのですが、
そもそも共感力って、なんだろう。

相手の感情を自分の事のように感じられる
というのを能力に例えるなら「共感能力」
と呼ぶことができると思いますが、
もちろんそれもそうなのでしょうが、
私は実はこれには疑問がありました。
最初は小さな違和感だったので、
それほど重要視していませんでしたが、
段々、例えば仕事などにおいて普通に
「がんばろうね!」って話になった時に
素直にそう思える時とそう思えない時、
「いいね」と思える時、思えない時、
自分の感じ方の違いなどがあり、
いろんな角度から考えてみました。

まず、共感していないにもかかわらず、
例えば職場で「今月売り上げノルマ達成
しよう!」と上司に言われた時に
「はい」と答えるとします。
何となく特に疑問も持たずに、
そう答える場合もあるかもしれないし、
あるいは、給料貰えればそれでいいよ、
ノルマとかプレッシャーだし、まあでも
達成すれば職場の雰囲気も良いし、
給料もUPするかもしれない」みたいな
漠然とした気持ちでの「はい」だったり
または、全然そうは思えないけど、
ここで反論しても
「は?何言ってるの?」
みたいな反応が返ってきてめんどくさい。
で「はい」って言っとけって
そういうのも、いくらもありそうですが。

結構、その短くて、ただ言うだけなら
何の問題もなさそうな「はい」が、
自分の本心と同じではない時、
心理的には大きくマイナスな影響があると、
私は考えています。

言葉って、どんなに短くてもアンカリング
つまり「私はそう決めました」
という意味です。だとすると、さっきの
「ノルマ達成」に対し、思ってもいないのに
その場の判断で「はい」と答えることは、
自分の感じていること(心)と
やっていること(行動や言葉)を
乖離させますよという意思表示になります。
心と体が離れていくことを決めました、
という意味になります。
そうするとその1回だけでなく、おおよそ
そういう反応の仕方が人生で当たり前に
なってくるわけですから、そのことによって、
心と行動、それに伴う現実の乖離は
どんどん進んでいきます。
具体例としては、望んでいるはずの事が
ことごとく叶わない、何をやっても
うまくいかない、満たされない、
などの事が起こりますし、終わらない。
幸福というのは、自己一致が重要なので、
そこ(乖離している事)に気がつかないで、
自分の意思とは違うアンカリングを
続ける限り、不幸感から抜けられません。
そんな大袈裟なと思うかもしれませんが、
小さな事のようで、毎日同じような
パターンの積み重ねを起こすとそれは、
蓄積されて大きな影響を及ぼします。

だから、いいねと思ってもいないものに
いいねを押すことって、案外怖い。
毎日少しずつ、自分に嘘をつき続けて
いるという事だから。

共感力って、気分や目の前の雰囲気で、
相手に合わせる事ではないのです。
つまり、主観的に捉えるものではない、
という事なんです。

例えば、身内を亡くした人がいて、
自分も同じ体験をしている時には
「わかる」と言って共感することが
できるように思いますが、
同じような経験があったとしても、
そこに感じるものはそれぞれ別なので
誰にも真の意味で、相手のことなど
本当にはわかりっこない、
主観的に感じる共感というものに、
共通認識を持つことはできないんです。

つまり共感力とは、
思ってもいないのに「わかる」と
相手に上手に合わせる事はもとより、
自分も同じ気持ちになって、
「わかる、わかるよ!」
って感じたり、またはそれを
私はわかってる!と思い込んで、
表現することでもないわけです。
(表現することが悪いのではなく
自分はわかっていない、を
念頭に置いていないという事が問題)

じゃあ共感って何なのさって話で。

「共感」というのは、考え方も解釈も
人によって色々あると思いますが、
私は、相手が感じることであり、
「共感してもらえている」と思える、
その感覚のことを表すと思う。

「共感力」というのは、
相手の人の「わかってほしい」を
ただ「理解」する事だと思う。
感情とか関係なく、自分の価値観を
入れない、客観的な「理解」です。
ただ認識する、という感じに近い。

カウンセラーが傾聴だと言われるのは
そもそもそういう事だと思う。

だから真に共感力を発揮できている時
言葉はとても少なくなって、ただただ、
「そうなんですね」というような
ものになっていくのだと思う。
相手に同調するエネルギーもなく、
ただ、理解、認識だけがある。
相手に何をするわけでもないけれど、
何もしないという事は、良い悪いを
決めないということでもあるから、
そこに許しが起こります。

「わかるー!旦那さんひどいよね。
別れた方が良いと思う」は共感ではなく
聞いている側の主観だと思います。

でも、人の感情がわかる、感じるという
カウンセラーさんはたくさんいて、
それが当たり前の世界ですから、
だいぶズレた事を言うかもしれませんが、
まあそれは、えっと、

思い込み?

と言っても、単純にそう感じるとかでは
なくて私なりの根拠を持っていて、
なぜなら人の感情がわかるなんてのは、
どこまでも客観的にならないでしょう?
人の感情がわかる、とか
相手の感情が自分と混じって、どっちの
感情かわからなくなる、という主観、
なんじゃないでしょうか。
「わかる」って感覚自体が主観だから。
で、そういう人が結構「無知の知」を
言うんだけど、それは成立しないのでは?

だからと言って、感情がわかるという
人を否定もしません。
私は人の感情を拾わないという自覚がある
ので、逆の人のことはわかりませんし、
私の自覚すら、ただの思い込みです。

真実はわからないけれど、
ただ、自分の言葉を記すだけです。


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by 4cubes | 2018-08-20 00:26 | 潜在意識 | Comments(0)
人はとかく、その人が何をしているか
何を語っているか、という事には
アンテナを張りますが、

どういう視点を持ってそれをするのか、
または何故そう言うのか、

については、見ようとしない気がします。
何てったって見えにくいんで。
でも「見ようとすれば」見えるので、
単に「見えないから見ない」という
潜在的受け身であることは間違いなくて

または、見えない事にしておいたほうが
都合が良いので

表面的なことを取り込みがちになります。

私は学力も高くないですし、
(高校の時は後ろから6番目でしたよ)
大卒でもないし、それでも見えます。
見ようとする、というのが正確ですが、
見ようとすれば見えてくる。

闇が。

でもその闇を見つめなくては、
光を選択することも難しいわけですから、
社会的に、闇が暴かれていくニュースが
多くなるのも全く偶然ではないし
それを助ける(拡散機能のある)SNSや
スマホのスクショで証拠を取りやすい等、
デジタルの進化の中にそういう使い方を
見出していくのも合わせて、
とても自然な流れだと思います。

で、そういう視点で世の中を見ていくと、
一見良いもののように見え、
しかもそれは実に巧妙で、騙されそうに
なるんだけど、よくよく考えると違くね?
といった情報や発信者に多数行き着きます。

これって、自分のアンテナの感度を
相当高くしておかないと、見誤ります。
この本いいかも、とか、
このバッグ良いかも、
これ食べたい、あの人に会いたい、
みたいな何気ない日常の選択ですら、
自分の深いところの重要な部分を決めて、
人生の質に影響を与えるのだと思うと
適当に流して日常を送ろうとは
もう思えなくなってきました。

そしてそういうことを啓蒙している
ブログにもいくつかいきあたりました。
具体的に、こういう人やこういう事には
注意してくださいと書いてあるし、
そこに、真摯に向き合った検証や、
裏を取るという丁寧な作業もある。
こういう発信もとても参考になりますし
その行動も素晴らしいと思います。
もちろんそういうブログからですら、
自分の世界に入れるのか入れないのか、
どの内容は入れて、どれは入れないのか
自分のフィルターにかけていくのですが。

私は、具体的に固有名詞を出して、
ここは危険です、とは書かないけれど。

私が物事を一元で見ていくのに
助けられたのは、数秘の存在もあります。
例えばセッションだとほとんどの人が
「片づけ苦手。断捨離したい」って
仰るのですが、それは、
「断捨離は部屋もスッキリ気持ちがよく、
脳の整理にもなって良い事尽くめだ」
という情報が元になっていると思いますが
まあもっと言えば、良いお母さんとしての
称号を受けるにも損はないですしね。

ただ、いわゆる断捨離が、誰にとっても
良いものだとは、数秘上にはなくて。
むしろ物が少ないとダメなんじゃない?
という人もいる。

でもその全員の幸福度を同じように上げる
としたら、部屋が片づいているかどうかを
基準にしてはいけないわけです。
断捨離したら幸福度が上がるのであれば、
断捨離に向いていない人は不利になる。
それは公平ではないと思うから。
全員に再現性がないと
それは法則ではなくなるから。

あくまでその情報が「自分に合っているか」
「自分に当てはめるならどうするか」です。

だから、数秘を通して、物事の表面だけを
見ても何も解決しないことを学びましたし
どの情報も、その人個人に照らし合わせて
考えていく必要がある、ということが
体に叩き込まれていきました。

例えばときめきで有名なお片づけの先生、
彼女は6を多く持つ人です。
片づけが人を助けるという信念があり、
そのように発信されるかもしれません。
けれども受け手は、彼女と同じ数字ではなく
(つまり基本的に同じ性質ではない)
だから「片づけが自分を助ける」と、
単純に捉えてはいけないというわけです。

どんなに良さそうな情報ですら、
自分に置き換えるとどうなのか。
この視点が必要になってくる。

だから、何をするかじゃなくて、
どういう意図を持ってするか、
どう感じて、どういう視点でするか、です。
物事の奥にある部分を読む必要がある。

これを、どの人も、その人なりの世界観で
やるわけですが、それが利己的であると、
いつまでも「私が!私が!」という主張を
繰り返すだけの世界を創造する事になり、
頑張っているのに
好きなことをしているはずなのに
どこか苦しかったりする。
観念的なものだけじゃなく、
病気を通してだとか、人間関係の悪化など
を通してそれが起こったりします。

利他的というのは、二元で考えると、
「人のことを考えるのが先、自分は後回し」
と感じてしまいやすいです。
利他的は辞書に「自分のことよりも他人の
事を考えること」とあるので、
自分は犠牲になると考えてしまうのですが、
自分の事よりも他人の事を「先に」
考える事、と理解するとわかりやすい。
先に人のことを考えると、同じだけ
自分にも返ってくる、ということで
それは一方的な犠牲とは違ってきます。

で、今の世の中、教育のこともあって、
なかなか人のことを先に考えられない人が
多いんです。考えているようで、その瞬間
見返りを求めていたりする。
他人どころか自分の子にさえ、
即戦力を求めている人が多くて、
何かができるから褒める、喜ぶ、という
条件つきの愛情で育てている人は多い。
自分(親自身)が過去、あるいは現在、
無条件で愛されていないと感じるから
子どもにもそうなるんだけど、

厳しいことを言うとそもそも、
自分が愛されているかどうか関係なく、
自分にどんな盛大なトラウマがあろうと
シンプルに

子どもをどう育てたいのか?

だけじゃないですか?
自分が愛されていないから、
子どもも巻き添えにしようなんて
思っている人は少ないと思うし、
みんな口では「私よりも子どもに」って
言うのに、それに反して、自分がされて
嫌なことを、無自覚に子どもにも
していることが多い気がします。
自分の弱さを客観的に見て、強くなれば
その連鎖を断ち切ることもできる。

それと、昨日の
「得たい結果を得るもう一つの方法」に
なってくるのですが、
こんな生き方を真にしたいと思うなら、
もう絶対これだけは人生でやろうと、
叶えようと決めたのであれば、
それ以外を捨てること。
が大事になってきます。
いっときね。
その生き方がナチュラルになるまでの、
結果的に一時期のことなのですが。

例えば、私は昔、騙されて300万円の借金を
背負ったことがあるのですが、その当時の
自分には人生を左右するような大金に思え、
どうやって返そうと途方に暮れました。

それで、法則とか何もわからないので、
全部無意識にやっていたことですが、

●騙した人を追いかけるのをやめた。
●結婚を諦めた。彼氏も作らない。
●副業をするために一切の残業をやめた
(社内は打ち合わせ午後7時からとか
普通で、残業デフォルトの職場)
●一切遊ばない
●自分に起こったことを隠さず、友達に
話して、稼ぐ手段を見つけにいった。

全ての行動を「お金を作る」を基準にして、
お金を増やす事に集中し、逆に、
その妨げになるものは全部排除しました。
その期間、(結果的に)半年です。

よく「決めると叶う」って言いますし、
その通りだと思いますが、
腹の底から決めると、上記のように、
「その為にこれはやる、これはやらない」
というのが見えてきます。
そしてその通りに行動します。

当時、社外の友人に相談した結果、
Windows3.4を購入することになり、
当時できる人が少なかった、
名簿のデータ化などの仕事をもらって
それを毎日やり、その流れでHTMLが
書けるようになり、人のHP制作を手伝い、
借金を約半年で完済しています。
その時に培った知識やスキルは、
その後のオンラインショップへの展開に
活かされていると思う。

本気になる時期、っていうのが、
人にはあると思うし、本気になった
瞬間瞬間の連続で人生ができていく。
し、実際それなりの人はそれなりに、
人生において本気で向き合っています。
そういう人こそ、それが当たり前すぎて、
自分はこうだこうだと言わないから
一見わからないし、
側から穿った目で見ると、
棚ぼたでうまくいっているように
見えるけれど、
ここぞという時には、しっかりと
自分を追い込んでいる人ばかりです。

世に出るニュースや情報の、
そういうところを読んでいきたい。


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by 4cubes | 2018-08-15 12:33 | 潜在意識 | Comments(0)

細かく細かく

今日は、6ヶ月プログラムの、
ライトバージョンのようなもの、
をやってきました。
私の説明は、ものすごく細かくて、
えっそこも?と自分でも思うくらい、
イラっとするほどしつこい。
全てに機嫌取る事をやめたせいか、
更に遠慮なくやるようになってた。
となると、もともと
自分が繰り出す言葉のひとつひとつに
責任を持ち、どの角度からの問いにも
きちんとした説明ができること、
その内容に整合性があることが、
こういう仕事には必要不可欠ですが、
表現が更に細かくなると、当然
言葉もその意味もさらに細かくなる上、
その細かい全てに説明ができる必要が
出てくるわけです。

1ミリも、意味のない言葉を吐かず、
吐いた言葉の全てに、説明ができる
状態でいる事を求められる。
実際に求められたりはしなくても、
いつもその準備が必要だと思っています。

非常にめんどくさい話ではあるのですが、
私はこれが好きなんだなと思った。
そしてそれを、相手の数秘に合わせて、
どんな言葉を使えば届くのか、
瞬間瞬間、考えながら話すのが更に好きで。
例え話も、数字に合わせて変えています。

話しながら「あーこの人も幸せになって
いくのだなぁ、いいなぁ」って
そんな普通に羨ましい気持ちになってる。
そのとき自分にも同じだけの幸せを感じる。

会いにきてくれてありがとう。

ああ今日はほんと疲れてないや。
気持ち良い。

「ネガティブな事を感じてしまうけれど、
どうしたら良いですか?」という質問が
あったとして

「ネガティブなことから意識を外して、
楽しい気分になる事を考えれば良いです」
と答えるとします。

でも質問者は、
「ネガティブな時でも、楽しい気分に
なった方が良いなんてわかってる。
でもそれがなかなかなれないから
どうしたら良いか聞いてる」
と言いたい事も多いんだと思うんです。

この場合、
「なかなかなれない」という思考が、
「なかなかなれない」を「決めている」
事にもなりますが、
それよりもずっと重要で、かつ
気がつきにくい事として

そもそも「その質問をしている事」自体、
その質問をしている時間の分だけ、
「ネガティブな時に楽しい気分になる方法」
に、意識が向いている、つまり、
ネガティブ前提の意識でいるわけです。

質問者は「ただの質問」だと思っている
かもしれないけれどね。
実はそれが盲点で、その質問そのものが、
(一定の時間以上考え続ける事で)
ネガティブな現実を作っていたりします。
ということは、ということはですよ。

質問する事そのものに意味がない、
どころか、質問したら逆にマイナス?
となりますよね。

結論から言えばその通りです。

でも。質問しちゃうわけです。
わからないんだもの。
無論、それがダメなのではなくて、
まず段階としてそこを通る必要がある。
質問をたくさんすることで知ろうとし、
そこで「質問する事に意味がない」と
気がつく、じゃあどうやってこれを
解決したら良い?という思考になる。
自分の内側に答えを探し始める

なんです。
たくさん質問してそれに答えを貰っても
実は意味がないという事に気がつけば、
自ずと能動的な答えを出し始めます。
だってそれしか道はないのだから。
それを、一足飛びに得るのは難しく、
まずはプロセスでひとつずつ気づいていく
必要があります。

相手のやっている事を参考にするための
「あなたはどうされていますか?」の
質問は能動的だけれど、
どこかで正解を求める質問には、
思考を能動にしていく効果はなく、
質問ばかりが増えていく事になりますし、
答えてくれる人がいなくなった途端、
成り立たなくなります。
まずそこに気がつく必要がある。

私は潜在意識を学び始めた時に、
どこの講座に参加しても、
一番前に座って、多く質問してきたので、
この図式に割と早く気づきました。
意味ないじゃんと。
じゃあどう質問すれば良いわけ?
そして、質問そのものに意味がないと
いう事を知っていくわけです。
でもその質問をする事には意味があった。
「意味がないという事がわかる」
という、大事な意味があった。
自分が質問して自分が感じてわかった。

だから、よく言う「失敗なんてない」
というのはこのことを表すのであり、
失敗に見えるような事も、
必要な経験であるという事が明確です。
そこ飛ばしても次に行けないからです。

それは、もちろん後づけなんですが、
失敗に見えるような経験をして、更に
その後に得たものにより、
結果的に言える事だから、
終わってからでないとわからない。
逆を言うと、
失敗をする前に「失敗を避ける事」
なんて事が、そもそもできないんです。
物理的に不可能な事です。

失敗は良い事だ、とか、
失敗を恐れない、とか、じゃなくて、
もうそもそも、失敗を、それをやる前に
論じる事そのものが不可能だって事。

一見なんでもないような、
「何でもやってみなくてはわからない」
という言葉もあまり好きではないです。
どうも「やってみたら成功って事も
あるかもしれないじゃん」みたいな
希望的観測感が抜けない気がする。
でも本当の意味としては、

やってみたどのような結果からも、
その結果がどうあれ、そこから学ぶのか、
あるいは学ばないのか、だけだと思うし、
むしろ失敗と思えるような結果の時に
学べることは実質的に多いような
気さえする。
うまくいったら「あー良かった」と
そこで思考停止しやすいのに比べて
うまくいかなかった経験からは、
「次はどうしたらうまくいくだろう」
という視点になって次につながりやすい。

近代社会は「失敗しないためには」
という真逆の考え方ですし、
歴史も「失敗」は語らないですよね。
だから「失敗しないように」生きようと
して苦しくなる人はとても多い。

ほんとうは、全てのプロセスが、
等しく、何かを教えてくれていると思う。

私は、どんどんアホな質問をする事で、
そのプロセスをがっつり、でも時間的に
早く通過していけたから、
結果的に、体当たりにしては時間短縮で
色んなことを学べたと思っています。
だから、質問もどんどんした方が良いし、
恐れのあることもどんどん試すのは、
おすすめです。

結局、得たいものを
時間的にも早く得るためにできるのは
それ(どんどんやる事)と、あとはまた
更にストイックな面白みのない話なので、
そのうち書きます。


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by 4cubes | 2018-08-14 22:50 | 潜在意識 | Comments(0)

真夜中に

このブログを読んでいる人、もう
大分少なくなったんじゃないかと思う。
それくらいいまは、伝わらない話を
書いている気が自分でもする。

ここを商売に繋げようという気もなく
(結果的に起こる事はあるにしても)
誰かに読んで欲しいとか、
誰かに伝えたいというのもなくなって、

ただひたすら自分のために、
気づいた事をどんどん記録していく。
あらゆる人の機嫌を取ることをやめて、
とことんワガママになって、
自分の「知りたい」にどこまでも
付き合う事を決めてしまった。
無味乾燥な気がしないでもないけれど、
それをやろうと思ったんだから仕方ない。

お金とか承認欲求を満たすとかみたいな
中くらいの幸せは、私にとっては全然
程よい感じではなく、むしろ疑問を増やし、
ただひたすらなぜだろう?何だろう?と
考える日々を送るようになって、ついに
エイブラハムにまで疑問を呈す事は、
何となく、世の中のあらゆることに
否定的で、幸福度を下げているように
見えるかもしれないけれど、
探求は私にとって至福の時間で、
手を伸ばして、欲しい答えを手に取り、
泣きそうになるその時間が、
自分の幸せなのだからもう仕方がない。

普通に型紙屋をして、日常を送り、
見た目にはあまり変わらないようでいて、

ものすごく一人になっている気がする。

偏屈に見えるかもしれないけれど、
実はこれでも研究している事は
「人の幸せ」です。
全ての人の心が安寧、平安でいるために
どうあるべきか、子どもたちにとって
明るい未来を得るにはどうしたら良いか
実はそれだけを考えていて
ほとんどそのためだけに生きていて、
そこの精度を高めていくことに
エネルギーを使っていると、
そうすると、世の中のほとんどの
メソッドやキラキラした書籍やセミナー、
キラキラしてませんよって雰囲気の人も
もっともな事を言っているようで
実は破綻していますよね、って
そういうことが見えてきたって話です。

あらゆる事をごまかして、だから日本は
先進国の中で、精神性も学力も発言力も
なにもかも大きく遅れを取ってしまって、
今からでもできる事はあると思うのに、
このまま黙っていれば、
時間が解決すると思っている。
向き合っている国を横目で見てもなお。
私たちはもっと、自分の弱さを
知ったほうが良いと思う。

今読んでいる本は、精神世界などではなく
認知科学、寄生虫学、等、
ゴリゴリの現実的なジャンルです。
寄生虫関係ある?と思うかもしれないけど、
寄生虫は、寄生先の生き物の脳を操り、
マインドコントロールしますしね。
もともと昆虫、寄生虫好きですが、
ここにきて繋がってきました。

本当に、当たり前のところに答えがあり、
当たり前の言葉だけで説明ができると
思うと、それが心底楽しくて嬉しい。


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by 4cubes | 2018-08-12 01:45 | 潜在意識 | Comments(8)

お金を使うことの本質

毎月本を数万円は買います。
今は行きたい講座などはほとんど
なくなりましたが、自己投資はします。

この自己投資。
今は色んな情報が無料で手に入るから、
それで学ぶことって簡単にできる。
英語を学ぶにしても、昔とは
比べ物にならないくらい安く学べる。

この外側の情報が無料か有料か、ではなく
その情報の質がどうか、でもなく
情報の種類なんかでもなく、

そもそもとして、
自己投資(と自分が思えるもの)に、
お金をかける事とかけない事について、
何が違うんだろうとずっと思ってきて。
つまり1円も出さずに勉強するのと、
自分に経済的負荷をかけて勉強するのと
何が違うんだろうと。

お金を出さずに学べたら、賢い、
(ニュアンスとしてはやりくり上手的な)
みたいな考え方もあるわけですが。

どんなにお金があったとしても、
10万円のセミナーがあるとすれば、
そこにどんな価値があるか、
10万円出せば何が得られるのか、
「考える」わけです。
考えたところで正解はないけれど、
考えて、もしかしたら無駄に
なるかもしれないけれどそれに掛ける。
これがリスクを取るという事ですが。

無料にはこのリスクがない。
リスクは辞書で調べると「危険」と
書いてあるので、なければない方が
良いと考えがちなんですが、

実はこの「リスク」他の言い方だと
「ストレス」「負荷」「不安定」ですが
これがないと

実は何も得られないんです。
(表面上得たように見えても)
人間にとって、リスクを取るという事は
これまでと違う事をやるという意味です。
(やったことがある事をなぞるだけなら
基本、危険な事はないわけですから)
氷だって、熱を加えないと水になりません。
何か、安定している状態を動かすための
アクションが必要になります。

それが人間にとって、不安とか負荷とか、
一見ネガティブに感じる事にあたります。
(感じ方は人それぞれですが)
リスクは自分から取ることができるので、
自ら変化を起こす時に、有効なんです。

億万長者だって自分に負荷をかけて、
わざわざ自己投資します。
むしろ、自己投資しているからますます
お金持ちになるんじゃないのかな。
負荷をかけないと、それ以上には絶対に
ならないから。

それと、なぜお金なのかというと、
自己投資するお金を出す時、人は
「客観的視点」になるからです。
(自己投資ってあくまで自分への投資
なので、お金出すからなんとかしてくれ
とか、出したらなんとかなるだろう的な、
外側に答えを求める視点でいる限りは
全く客観的でないけれど)

いくら頑張って自分のものにしようと
思ったとしても、それを「無料ですます」
ならそれは主観的にしか物事を見ていない。
自分に都合よく使おうとしているだけ。

無料でも良い情報がある、なんていうのは
後づけなんで。
そういう事を考えている事そのものが
「無料で済ます」視点なので。
有料でもゴミみたいなのも山ほどあり、
なかなか区別つかないところはあるにせよ

自分が何に、どれだけ投資していくのか、
真面目に考える事は、人生の質を
大きく上げていくことになると思うし、
ここが大きいのだけれども、
自分に投資していると、

賢くなって見極めがつくようになり、
お金の使いどころを間違わなくなる。

ーーーーーーーー

わっかりやすくいうと、
リスクを取らないと人生は好転しないし、
そのために自己投資は必要だけれども、
無料で済ますと、リスクを取ってないので
何かを得たように思えても得られていない。

かといって、お金を出しても、
その出し方が客観的視点でない限り、
全て主観的な観点でしか得られないので、
これまたなにも変わりません。

ここを真面目に取り組めば自分の糧となり
人生見誤りにくくなっていきます。
そしてそれを子どもは学びますってこと。

ーーーーーーーー

子どもは、学校で教わらない事は
基本的に親を見て学びます。
自己投資の考え方、お金のこと、働き方。
片づけ方(物の整理収納だけでなく、脳の
整理、あと、人生においての片のつけ方)
学校で習わないけど人生において大事な事を、
その本質を、全部親から学びます。

その辺りも我が子にしてやれることとして、
自分が真剣になる理由ですが。

安全と危険、両方をまっすぐ見ないと
真の安全は、選べない。
情報をきちんと見られてない、イコール
選択するための条件が揃っていない。
それが人生を見誤る原因になるのだから、
だから全部見るよね、怖くても。
実際は考えているほど怖くもないし、
その先に得るものはとても大きいと思います。


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by 4cubes | 2018-08-11 16:38 | 潜在意識 | Comments(4)

ちなみに

私がこんなに偉そうに、一元的視点の話を
していますが、私自身が完全に一元的視点
というわけではないです。

そもそもそんな人間はいないと思う。
かのマザーテレサでも、二元的視点で、
苦しみを生んでいた話もあるほど。

じゃあなぜこんな話をするかというと、
苦しい時「自分が二元的視点になっている
んだな」と自覚するだけで、その苦しみは
とても軽くなったり消えたりするからです。
一元的視点というものがあるということ、
人間の心の仕組みがそうなっているという
知識の先の

一元的視点そのものではなく、
「自分が今、二元的視点になっているから
苦しいんだな」という自分の状態への認識、
そして理解が、心を解放していくから。

だから私も日々、すっごく小さな事で
ムカついたりもしているわけです。
私は、自分が安く見られることに敏感で、
そういう扱いをされたと思う時、
他のことの100倍くらい、大人気なく
怒りますが、でもそれも、
なぜ起こるかがわかるし、
それをどうにかしようとも思わない。
怒ってても不快ではないから。
苦しみではなく、ただの純粋な怒りです。
喜怒哀楽を楽しむ、という視点。

一元的視点を完全に持つことが不可能なのは

例えば、テレビのニュースで、小さな子が
不慮の事故で亡くなったなんて話があった時
「この子はこういう宿命だったんだね」って
仮に思えても、同じ事が自分の子に起きたら
絶対にそうは思えないじゃないですか。
「よその子はいいけどうちはダメ」
ってことになるのだから。
それはやはり二元的視点なのです。
でも人って、そんなもんじゃないですか。

だから仮に同じことが起こった場合、当然
悲しいだけでなくて苦しみを伴うわけですが、
そういう二元を一元にしろって言われても
それは人間の機能としてなかなか難しいし、
その矛盾があるからこそ人間でもあるわけで。

だから、一元的視点というものへの理解は
必要だけど、完全ではなくて、
そのプロセスこそが大事だということです。
プロセスにこそ意識を向けろと思います。

子どもが言うことを聞いてくれない時、
そもそもどうして言うことを聞かないのか、
聞かないという選択をした背景は何?
その背景を作ることになった元々はどこ?
と、遡った先にある元の部分を変えると、
言うことを聞くとか聞かないではなく

言うことを聞く聞かないといった、
そんな場面すら生まれなくなります。

個人はこれでやめようかと思っていましたが
今、リクエストが来ていて、東京では
6ヶ月プログラムを組むことを検討中です。


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by 4cubes | 2018-08-09 16:00 | 潜在意識 | Comments(0)

誰かとの関係性がうまくいかない時、
お金や時間などの事で、生活がうまく
回らないと感じている時、
子どもが言うことを聞かない時、

「どうしてそうなるのか」

が深いところで根本的にわかれば、
どうしたら状況が変わるのか、
も自ずとわかるので、
悩みの中に留まったままになることは
なくなります。
幸せになる方法おわり。
本当にこれだけです。

私にとって、周りは好きな人ばかりで
幸せでいるのは、その「どうして」を
突き詰めてきたからです。

「どうしてそうなるのか」は、
100%仕組みの話です。
こうなってこうなってこうなるからこうなる
という、曖昧なところのない話です。
一言で書けないくらいは複雑だけれども、
それでも全部説明できる。

だから、仕組みを理解せずに生きる人は、
その言語パターン、行動パターンから、
表面上はどんなに幸せそうでも、
実は違うのだろうな、ということは
見たくなくても見えてきます。

それはそれでその人のことだから良い、
とも言えるけれど、それはそれで良いと
真に思えるのは、
人は一切のコントロールができないと、
これもまた、深く理解したから。
ある意味、絶望したわけです。
自分が誰かにできることは何もない、
これっぽっちもないということ。
自分の子どもにすら。

尊敬するカウンセラーがいたのですが、
今は違うなと思って離れています。
その2人に共通することがある。
1人はメソッドを伝えている人ですが、
その人自身は結果を出しているけれど
メソッドを受けた人は結果を出せていない。
これはどういうことかというと、
そこに依存関係があるからです。
講師は結果を出す方法だけを、
つまり知識だけを教えているうちは、
講師はすごい人で生徒は教わる人という、
分離の意識になっていると言えて、
「講師は結果を出せる人」という見方、
生徒は出せない、という二元視点になる。
そうすると自ずと結果は出ない。
講師が結果を出す人を育てたいならば、
メソッドはただのツールなのだと理解し、
生徒が自分で考え結果を出せるように、
自立した視点を持つよう促していく事が
必要なんだと思う。
教えるのはむしろそこだと思う。
講師が自分のメソッドに酔っているうちは、
メソッドが素晴らしいと思っているうちは
どうしたって進歩しないと思います。
もう1人は、個人セッションしている人で、
本人は幸せを体現している(ように見える)
けれども、来る人は幸せになっていない。
来る人の個人的問題であるとも言えて、
どうしてもそこでごまかせてしまうけれど、
本当は違う気がする。
その人は、やっぱり根底で二元的視点で、
心のことをよく研究して、自分自身を使い、
向き合い方も半端なく、そこは凄いけれど、
それでもそれでも、どこか受動的で、
何気に世の中を非難しながら生きている。

私も自分でも長らく気づきませんでしたが、
(人の粗探しばっかりしているようで、
性格悪いと自分でも思っていたくらいです)
ようやくここまできたって感じです。
その人がどうとか優劣とかではなくて、
ただ二元的である、その現れを見ただけ。

私の数秘読みも正確だと思うけど、
そしてそれはリーディングだと言われて、
(ニュアンスとしては感覚的なもの)
自分もそうかと思っていたですし、
そういう風に見えるのだと思いますが、
よく考えたら、どうしてそう言えるのかを
100%説明できるから、やはり理論だと、
言えると思います。
純粋にどこまでも数字だけを読んでいます。
細かく細かく、愚直に読んでいます。

だから、しばらくセッションしなくても、
廃れないんです。
カンが鈍る、みたいな事もない。
とはいえ好きでたまらんものですから、
よく分析や解析もしています。

ただ、ますます一人になっています。
D7ですからね。
ある意味、LP7よりずっと7っぽいD7。
容赦なく一人になります。
でも気分は最高。
旅にでも行ってこようかな。


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by 4cubes | 2018-08-09 12:08 | 潜在意識 | Comments(0)

京都

昨日は6ヶ月プログラム3回目で京都へ。
昨日は、少し気温が下がって過ごしやすく、
早朝、東京を出る時は寒いくらいでしたが

京都に降り立つと、ああこれが夏だなと
感じました。
その瞬間、私は大阪生まれで大阪育ち、
京都には住んだことがないですし、
居住年数で言えば東京が一番長いけれども
私のアイデンティティは京都にあるのかも
と、初めて感じました。

私の両親は京都出身で、私自身、
大阪よりも京都に縁があった。
忘れていたけれど、確かにそうだったと
思い出した昨日の京都でした。

プログラム開催地は大阪ですが、
昨日はたまたま京都に集合することに。
一元的視点と二元的視点について、
深く掘り下げて、現実への落とし込みを
していきました。

一元的視点、真理に近づけば近づくほど
そもそも真理そのものが、とても地味で、
面白みのないものです。けれど、常々人は
キラキラした真理を求めがちです。
でもほんとうは、真理そのものが
キラキラした存在なのではなく、
無機質で色のないその真理に、
色を、光を、見出すクリエイションが、
人の有り様なのではないかと
私は思っています。

そこに至るまでのプロセスが大切で、
そこを見つめなくては、
現実的な悩みは何一つ解決しないし、
心の平安を得ることは不可能だとも思う。

今年に入って多少なりとも物理化学の世界を
知ることになったのは必然だと思うのですが
とにかく精神的なものを知れば知るほど
それは非常に現実的で、曖昧さがない。

私の彼は、私から見ると、
精神性がとても高い人ですが、非常に現実的。

この、相反するように感じられる
精神性の高さと現実の一致。

神様の声が聞こえたり、
今日は何やらライオンゲートがなんたら
という日のようですが、そういう
「そうらしい」という情報や、
人の感情を拾いやすい、といった主観は、
突き詰めると実は受動的で
どこまでいっても外側の世界でしかない。
その、あらゆる受動を超えたその先の

現実に向かう。
私たちが、感情を持ちつつも
ただの物質であるということに向かう。
そこに現実的な幸福もある。
言い換えると、スピリチュアルだけでは
私たちがなぜ生きるのかみたいな
根源的なところが説明できないという
ことでもあって。

もっと言えば、現実的な幸せを得るには、
現実的視点は不可欠だという事です。
(かといって我慢して働くとか、嫌な事も
受け入れるとか、そういうことでは
まったくありません。現実を、客観的に
俯瞰的に見つめるという視点という意味)

私の尊敬する人や、真理を生きていると
思える人は皆、
スピリチュアルなことを一切言わず、
現実的に物を売るとか、
非常に学術的であるとか、
ということを通して表現をしている。
本物は隠れている、ということの一部を
説明している気がする。

有形と無形についてまた
書きたいと思うのだけれども、
私が個人的に本物だと思える人は、
有形を扱う人が多いです。


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by 4cubes | 2018-08-08 14:38 | 潜在意識 | Comments(0)

数秘と心の仕組みで、ほんとうの自分を生きるお手伝いをしています。


by のりこ