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どちらかではなく、どちらも得られる

少し前「タクシーの運転手が行先へのルートを確認するのは無駄だ」
ということを堀江貴文氏がツイートしてて。
いろいろ書いてありつつ要は、

お客としては目的地にたどり着くのが目的なので、運転手の判断でルートも決めれば良い。
その確認の時間が無駄だ。変な気づかいしあうそのことがストレス。その時間、ほかのことに使えるのだから。

という言い分のようでした。

確かに人は、時間をどこにどのように使うかで人生が決まるのだから、非合理的な時間を可能な限り省いていくという意識については、個人的にも共感できます。

一方、運転手側の言い分。
「ルートを気にしたり、希望があるお客様もいる。それを無視できないし、意見を聞いてもらえなかった、あるいは、もっと安く行けたはずなのにということがクレームにつながるから最初に聞くし、それはマニュアルにもなっている」

クレームやマニュアルを引き合いに出して意識が受け身になっていることはさておき「お客様への配慮」ということが言いたいんだと思われます。
これもとてもよくわかります。お客様の満足度を考えてそうしているということです。
こういう考え方もごく自然なことだと思います。

議論?に参加している人は、堀江氏に同意する人も多いし、運転手の気持ちがわかるという人もいるし、「そんなに言うなら自分で運転手雇えば?」という、ちょっと的外れな反対意見もありでしたが。

おもしろいと思うのは、ここに参加する人のほとんどが「どちらが正しいか」という二元的視点で見ているということ。
無意識にどちらかに決着つけようとしている。
自分が考えている方が勝つように持っていく。
無自覚ですが、それが人間の快楽だから。

そもそも本人の中ではどんな感覚も正解です。
で、そこで「人それぞれだね」で終われば良いんですが終わらない。
「で、結局みんな、どうすればよいの?」となります。どこに合わせればよいの?と。
どう振舞うべきか、正解を、無意識に決めてほしいと思ってしまう。

「ルートどうします?」「任せる」「わかりました」みたいな短いやり取りにすればいんじゃね?という意見もあって、けれどそれに対して堀江氏も「その時間もめんどくさいんだよ」と返していました。

もしも本質的な解決を望むなら、そういう、細かいところで歩み寄るみたいな話でももちろんなくて。
そもそも、あらゆる可能性の、どんな意見も考え方も、人の数だけあるのが自然なのだから、そしてそれはそれぞれの価値観だから変えようがない。
つまり変えようがないものを否定したりコントロールしようとする時間が、実は一番無駄なんじゃないかと思うのです。
ツイッターで繰り広げられている議論が、全然合理的に思えない。
時間に厳しいはずの堀江氏が、どうして大切な時間をそこに使うのだろうか、という疑問が残ります。
「どうやったら状況が良くなるか」という方向に皆が向かっているならそこには生まれるものがあるけれど、どうもこういう場は、自分の主張を通して、ただ相手を批判するだけの不毛なやり取りに見えてしまう。
果たしてこれは、何を生むのだろうか?

堀江氏の言うことは、言葉は共感できることが多いです。
無駄な時間をどれだけ省くかが幸福度に直結するのは確かです。
ただ、その無駄を省くことは、人をコントロールしようとせずに自分の中でやることなのだと思う。
人をコントロールしようとすると、コントロールできない人間に対してコントロールしようとするという、それこそ不毛な時間が発生するんです。
じゃあそういう人を無視すればよい、ということではなく、人は誰もがコントロールできないということに気がつく必要があるということ。
誰に対しても、コントロールするのを、その意識をすることからやめること。
仕組みとして不可能なのだから。
もしも、タクシーで行先ルートの確認があることが「社会的な無駄」だと本気で思うなら、やることはツイッターでの文句ではなく、別のところに働きかけることで具体的に前に進みます。

賢い堀江氏が、その上であえて、非常に主観的(に捉えられそう)な意見をぶつけているのだとしたら、それはそれであっぱれですが、高度すぎて残念ながら皆に届いていないような気がする。

だから、多くの人は本当のところ、問題を解決したいわけではない、ということも見えてきます。
相手を責めたい(自分が優位に立ちたい)のならそれはマウンティングだし、マウンティングは快楽だから、もちろんそれも、人間の愚かさかもしれないけれど、選ぶのは自由だと思う。
ただそれに自覚的でない人が、自分はマウントしているのに「平和が一番」などと言っているところに自己矛盾があり、それが自分の首を、実質的に絞めているということに気がつくか気がつかないかで、幸福度は変わっていくのだと思う。

先ほどのタクシーの件で言うなら、その後の展開は見えませんでしたが、その場での決着は必要がなく。
毎日の基準を統一する必要などそもそもなくて
(これがつまり、よく言う「今ここを生きる」に繋がるわけですが)

運転手は乗車するお客さんごとに「この人が求めていることは何だろう」という視点でいて、ただただできることをすればよいだけなのだと思う。
うまく相手に伝わっていないような気がしたりしても、それは結果の話であり。
どの瞬間もベストを尽くすというそのプロセスが、必ず自分に返ってくる。
(物質が変化する時にエネルギー値が一番高くなるのは、プロセスの最中です。結果は、そのプロセスのクオリティがそのまま現象化しただけ)

余談ですが、タクシー運転手さんはPを活用しやすい職種だと思う。
Pは特に、初対面で効果を発揮しやすい一面を持ちます。
(その人に対する固定観念がまだないから)
自分がどう見られているかがわかれば、自分はどう振舞うか迷わなくなり、当然伝わりやすくなる。
お客さんがどんな人であれ、自分が自分のPの振る舞いをしていれば、印象と行動に違和感がなく、良い仕事ぶりに繋がり、業績も上がる気がする。

そういえば私の現在の父は個人タクシーの運転手でした。P9ですね。
ニーズに応えることに全力でした。

亡くなった生みの父はP7で納得。
ちなみに母もP7。
幼少期、威厳があって逆らえない父と母でした。
ただ、厳しいけれどとても愛情深くもありました。
母はD8で、かまいすぎるほどかまってくれ、父はD3で、遊びで人生やっているような人でした。


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by 4cubes | 2019-02-12 22:20 | 潜在意識 | Comments(0)

再開

ブログをやめて、どのくらいたったのかわかりませんが、
(なんて書き始めたけれど、まだやめて2か月しかたっていませんでした。
真面目に1年くらい経っている気がしていました。)
それはともかく、また書き始めることにしました。
別のツールを使おうかとも思ったのですが、エキサイトブログに慣れているもので。
ただ、以前とはおそらく違うものになるはずです。

特に営業目的ではなく、宣伝もしないが、人とつながる場所に言葉を置く。

数秘や潜在意識の話には違いないのですが、
もはや潜在意識という言葉も、私の中では使いにくい言葉になっています。
潜在意識は、単なる物理現象を、あえて抽象的に言い換えたものだという気がしていて。
つまり、今ならもっとわかりやすい(おもしろみのない、とも言えそうですが)
ごく普通の言葉で説明できる気がする。
加えて脳科学など、根拠のある話は世の中に多くあると思うのですが、自分が人に説明できないような言葉は一切使わない、自分の脳内に入れない。
「そういうものだ」という納得の仕方は一切しない。
スピリチュアルというカテゴリで話されている言葉のすべてを、どんなに時間がかかっても自分の言葉で表現できる「理解」に置き換えていく。
言葉で置き換えられないときは、信頼できるツールを使って深く深く理解していく。

そのアウトプットのため、ブログを再開します。

きっかけは、リボルビング払いについて調べていたことでした。
私自身は、特に何かのリボ払いをしているわけではないですし、分割払いもしていないし、ローンを含めて今、1円の借金もしていませんが、

幸せだと感じられないとか、物欲があるとか、人の愛情を欲する人、イライラしたり、不満が多かったりする人に共通するのは、お金とは限りませんが「借金のせいではないだろうか」という仮説を立ててみた。
そうして、果たしてその通りであるかという検証をしてみたのですが、やはりなるほど、その通りでした。
世の中の9割くらいは、心の借金をしていて、しかも多くの人はその返済を、リボ払いでしている。
だから、永遠に返し終えられないどころか、借金は雪だるま式に増えていく。
世の中のショッピングやキャッシングで今、リボ払いが当たり前になっているのは、社会全体の心がすでにそんな風になっているのだから、当たり前といえば当たり前の話で。

リボ払いは、購入(あるいは借り入れ)金額にかかわらず月々一定の返済額で返済できる仕組みですが、30万借りて毎月1万円の支払いだとすると、本当にざっくり書くと、最初の月は1万円支払ったうち、約半分が利息。
次の月は、返した元金5000円を差し引いた29万5000円に対して利息が発生するので、多少は元金が減りつつもその月の返済金1万円に対してやっぱり5000円近くが利息分。
1万円ずつ返しても元金は5000円ずつしか減らず、この場合完全返済まで53か月かかります。
クレジット会社が非常に儲かる仕組みなので(ここの規制が緩和されていることがもう異常なんですが)何とかみんなにリボ払いしてもらおうと、リボにしたらポイント何倍といった大盤振る舞い、購入したものを後からリボ払いに変更できたり、リボ専用カードなんてものまであるけれど、カジュアルに見せた、とてもきびしい支払い方法です。

借りるその時よりも返している時の方が苦しく、借りたものが返しにくくなる仕組みです。
(だからまた借りる羽目になって、スパイラルに陥りやすくなります)
貸す方は、最初のリボだけ取りつければ、あとは何もしなくても顧客がリボから抜け出せない体になってくれる(可能性が高い)わけです。

今、主婦などのごく普通の人で、リボ地獄とかキャッシングに苦しんでいる人が多くいると聞きます。
「普通に幸せでいたい」だけのごくごく平凡な人は本来、借金とは無縁のはずなんです。
そもそも経済的に苦しいのは景気のせいなんかじゃなく、個人の収入の低さでもなく(景気のせい、会社のせいにすることが一番簡単ですが)その人が、無駄なものにお金を使っているからです。
「そんなことないよ、節約してるよ」と聞こえてきそうだし、実際に節約している人も多いと思うけれど、皆が考えているのとは少し意味合いが違う「無駄使い」があって、シンプルに無駄使いしているからお金が足りない、これだけです。

心に関しても同じことが言えて、多くの人が、30万借りて毎月5000円ずつ返しているような生き方をしているので、毎日の返済額は少額なので一見苦しくはないけれど、知らない間に借金が膨れ上がって返済できる目処が断たれ、幸福度がどんどん低くなるという状態で一生を送る生き方になっていると表現すれば良いでしょうか。しかもそれに、気がつくことができにくい仕組みになっています。

お金そのものは借りていなくても、心の状態が「借金」であれば、物理的にお金を借りなくてはいけないような状態になるリスクが常にあるし、あるいは、幸せになるのは逆に考えればすごく簡単なことで、心の借金を負わない、借金があるなら返す、それだけでいっぺんに解決するはずなのに、そもそも借金の自覚がないから、現在地がわからず、何が問題なのか、どうしたら良いかということに永遠に気がつく事なく、不幸という自覚だけがある状態で生きていくことになるわけです。

どうしてこんな世の中を我々は作ってしまったのだろうか。

心屋仁之助氏もHAPPY氏も、心の借金をしている人たちでしょう。
私は実際に会ったことはないんですけれどね。

「自分を生きよう」は2種類ある。
借金の「自分を生きる」と、無借金の「自分を生きる」
お金の借金の話じゃないですよ。

心屋氏やHAPPY氏が言う「自分を生きよう」は、心の借金を負うやり方です。
真似するのは危険だと思っています。
お二人の負債(お金じゃないにしても)も相当あると思われます。

じゃあ「心の借金」って具体的には何のことを言うのだろうか。


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by 4cubes | 2019-02-01 23:36 | 潜在意識 | Comments(14)

ブログ終了

ブログを終了します。

追記(2018年11月9日)

ブログは終了しますが、
数秘と潜在意識の研究は継続しますし、
おもしろいお仕事の依頼は受け付けています。
お問い合わせよりお願いします。

ブログの存在もまだない20年ほど前、
Webで日記をつけ始めた時からずっと
何かしら書いているので、
まあまあ自分の体の一部にはなっているし、
書くのが好きで、書きたい事もまだまだある。
ありがたいことにネタも尽きません。

その上でこのブログはやめることにしました。
記事と、お問い合わせ、残しておきます。

オンラインサロンは、私が考えていたものと
少し違うようなので、近日中に消します。
登録してくださった方ありがとう。

もし何らかの発信がほしい人は、
インスタやっていますのでそちらで。

ここにきてくださった全ての方に。
どうもありがとう。


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こちら からお願いします。

by 4cubes | 2018-11-07 00:51 | 潜在意識 | Comments(6)

ざわつくことが大事

このブログは読者数も少ないですし、
普段メッセージが頻繁にくることもないのに
今日の息子の話のあと、4件も
要は「ざわつきました」といった
メッセージをいただきました。

子どもが自分で自由に未来を切り開けるように
なってほしい。でもなかなかうまくいかない。
なのに他人(私)はそれをすでにやっている。
もしもそういうことなのだとしたら、
そりゃざわつくでしょう。
心の底から願ってやまないものを、
すでに持っている人がいるのだから。
過去の私もそうでしたからよくわかります。

でも、その感覚こそが人を、現実を変える。
だからとても大切なことで。
そして、一旦ざわついたら、それを越えるまで
ざわつきは続き、後戻りもできないんです。
でも気持ち悪いし、そこを見ないようにして、
なんとかやり過ごそうと思うのですが、
後戻りできないために、ずっと引きずります。
不安やざわつきは、現実を変えるために
物理的にも必ず必要なものなので、
必要だから、ある。
観念的に「それはあなたにとって必然」
みたいな言葉がありますが、それではなく、
不安定と変化は、セットであり、
切り離せないものだからです。

特に子育ては期限付きですから、
取り返しがつかないものの1つだと思う。

私も、ざわざわしたところは怖くとも見た。
意味がわからないし、霧の中にいるように、
すっきりとしたものは何も見えず、
ほんと手探りでした。手応えも感じられず、
整合性は取れず、どこをどうして良いか見えず、
それでも。
なんだか分からないけれど目だけは逸らさず
ざわざわする人こそ会いに行く、そこから学ぶ、
嫌な気持ちにも何度もなってきて。
絶望もして、でもその絶望すらまだ甘くて、
もっと先があって、いつになったら終わるの?
そういう事を通して、得たことで、
これは違う、あれは違う、どんなに有名な人の
話でも全部自分の気持ちに従って、
違和感があるところは全部潰してきたし、
その全てに説明ができるようにしてきた。

それをまとめたものを講座にしています。

私の講座は、
人によってはムカつくことも多いと思います。
私ははっきり言うからです。
でもムカついた方が、望みの成果に
繋がりやすいことは確かです。
だから、1mmも好かれようと思わないし、
講座中は、友達になろうとも思っていない。
だから私にとって講座開催っていうのは、
決してワクワクではないのですけれども。

ま、それはともかく、どうして長期講座を
やってきたかというと、一言で言うと

子育てしている主婦が、今の世の中で
残念ながら、一番の情報弱者だからです。

学歴もあり、スマホなどの情報機器も使い、
新しい情報に疎いわけではないのだから、
そうは思えない人が多いと思うけれども、
実際はそうなのです。
それはもう絶望的に。
だから、目の前の女性たちに少しずつ、
大事な事を伝えようと思ったんじゃないか、
と今思えばそうなのですが、
でも、どうも、やっぱり時間が足りないし、
ここらでアプローチを変えていこうと思い
ひとまず最後の講座にしたわけです。

「普通の幸せでいい」って、昨日話題にも
上がった話で、みんなよくそれ言うけれど、
「普通の幸せ」なんてないから。
「普通」って意味がよく分からないのですが、
「普通でいい」って言っている時は、
その「普通の幸せ」は手に入らないです。
普通「で」の「で」がまず妥協点ですし、
妥協しているならそれは、そもそも幸せ?

日常会話の細かいところに自己矛盾はあり、
そういうのは、心の奥が言葉になって、
表に出ている現象です。
その言葉から自己矛盾を洗い出す事も
できるし、気が付いた時から変えていける。

言葉は魔法だと思う。

文字にも音にもならない、行間とか、
話さない、という表現からも言葉を感じて、
その人の心が何かを訴えているのがわかるし
ただ表面的な意思の疎通を図るための
それは道具などではなく、
その人の持つ人生を豊かに表現する手段だ。

非常に強い怒りで満ちているときでさえ、
私は、自分が発する言葉のひとつひとつを、
もう1人の私が聞いてさらに音読していて、
いわゆるそれも「俯瞰」なのかも
しれないですけれど、
さらに自分の話す一文字一文字、
脈ではなく、文字のひとつひとつですら、
相手へどう伝わるかを自分で捉えながら
話している自分がいる。例えばそこに、
微細なコントロールが入っていると思えば
それをすぐさま自分でキャッチして、
自分を整え、すぐにまた別の言葉で補い、
相手との関係性をナチュラルに戻すことも
できる。
テクニックといえばそうかもしれないけれど
ひとつひとつの言葉や意味をなさない文字も、
発する時にはそこに自己矛盾がないか、
自分で精査しながら外に出しています。

そうやって紡ぎ出していく過程は、
自分の内側ではアートになっていて、
外に出していく時には、デザインされた
言葉になっているのかもしれないです。



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by 4cubes | 2018-11-06 08:05 | 潜在意識 | Comments(0)

ワークアズライフ

ワークライフバランス(仕事、睡眠、生活を
分けて生きる生き方)ではなく、
これからは「ワークアズライフ」という
(睡眠以外の時間全てが仕事であり趣味である)
生き方の時代になる、というのは
落合陽一の言葉なのですが。

つまり、仕事の時間、プライベートの時間、と
分けないで、全てが仕事に繋がりつつ、
どれもが楽しく、好きなことである暮らし方。
私もこれは大事だと思う。
楽しい旅行が仕事のストレス発散になったり、
旅行があるから仕事を頑張れるというのは、
自然ではなく、仕事も旅行と同じくらい、
楽しくすることの方が大事だと思っているし
恒常的な幸福感というのは、そういう環境も
含めてのことだと思うから。

それで、よく見ると、
息子がワークアズライフの生き方をしていて。
高校生ですが、卒業したら通いたい学校があり、
距離的に通えず、一人暮らしになるので
その資金を貯めるために、

メルカリで物を売ったり、
時間制のバイトをするのは想像しやすいですが、
自分の得意を活かしてそれをお金にしたり、
人脈を生かして生活コストを下げる。
人脈は好きなことで繋がって広げていく。
その中で、自分のファンを作り、恋もして、
交流のために新幹線で出かけて行って、
好きなことにお金もドンと使うけれど、
不要なところには一切使わず、残していく。

週末のイベント1日のためだけに髪を染め、
週明けの登校に間に合うように黒に戻してた。
でもそれを「もったいない」とは思わずに
好きなことにぶっこんでいく。

大胆に遊びつつ、メルカリでは、
いわゆるメルカリ術も自然に使いつつ、
聞いたこともないようなテクニックを使って、
少しでも高く売れるように細かいこともやり、
自分でできないところは友達の手も借りる。
そこでまたコミュニケーションが生まれていく。

時間を有効に使うために、
学校の勉強は授業で覚えてくるようになるし、
不要な寄り道をしないで帰ってくるし、
むしろ生活リズムは整っている気がする。

恋をすることも、
イベントも、
学校も、
試験も、
バイトも、
やっている事が違ってもそこに垣根はなく、
彼の生活は流れるように自然に見える。

これが今の子か!と思わずにいられない。
本当に学ぶところが多くあります。

自由にやっているし、好きなこと存分にして、
学校のことも結果的に疎かにならず、
進学先につながる科目をがっつり選択して、
(あんなに苦手な英語までしっかり取り)
進学したら習い始める事も、
今からすでに少しずつプロに教わっています。
その人脈も、好きな事を通して作っています。
学校に入ってから専門を学ぶ、ですらない。
高校生でありながら体感ですでに学びつつ、
その延長線上に、次の学校がある。
習熟度も違ってくるんじゃないかと思う。

おもしろいのは、誰にでもできるという事。
好きな事を好きなだけやったら、
形こそ違えど、こうなっていくのがわかる。
だって、そのために必要なツールはもう
この世にあるからです。

そのためにまず、親は本当に制限なく、
子どもを自由にしていくことからだと思う。

私も最初は「そうはいっても少しは勉強を」
とか「そんなとこ行って大丈夫???」とか
長時間のゲームにモヤッたりもしました。
でもこれって、誤解を恐れず言うと、
10人並みのごく普通のお母さんでしょ?
なんなら昭和の価値観のお母さんでしょ?
その影響を受ける子どもは、
未来の可能性をいっぱい秘めているのに、
古い価値観を植えつけられて、制限されて、
物凄く中途半端な感じに、
なんの個性も才能も感じられない、
そんな状態の1人になってしまう気がする。
そんな人生、当然、迷走するでしょう。
そのもう1つの怖さの方が長い目で見ると
とても大きく、私には恐怖だったから、
どうありたいか、に愚直に寄せてった。

幸福度の高い人生を自分でクリエイション
していける子になってほしい。

それをやろうと思ったら、口うるさい
昭和のお母さんじゃダメなんですよね。
でもそれさえやめたら、叶うのだから凄い。
リスクくらい取るよ。

天才とかがいるのではなくて、
本当に誰もが天才性を備えていて、
いかにそれを自由にオープンにして、
自然な形で発揮できるか、にかかってると
私は本気で思う。

もう1つ重要なことは、自由に生きるのは
もちろん、それが一元的である必要がある。
二元的な「自分を生きる」人や現実は、
いっとき、もてはやされてもいたのですが、
実際に今、終焉を迎えています。
つまり自由に生きる事が単なるワガママだ
と認識される場合があり、それは社会との
調和がとれていないので起こるのですが、
一元であればそれがないからです。

ーーーーーーーー

最後の6ヶ月プログラム、やります。
東京で月1集合、半年間ラインでサポート。
限定3名様。

●物理学的引き寄せ理論
●一元の生き方
●社会的役割で自分を使い倒す
●言語パターン心理、完全理解
●子どもを完全に自由に、幸福度高く
●世の中の仕組みとこれからを理解。
●不安からの解放
(不安というものの完全理解からの解放)
●能動的な生き方の完全理解

◎人間関係の不安を解消する
◎好きなことを仕事にする、続ける
◎自分を深く知って、人生に活かす

曖昧な言葉は全く使わず、普通の言葉、
当たり前の言葉だけを使います。
世の中のあらゆるスピリチュアルの話の、
真理はごく当たり前の話だからです。

今の世界は何が起こっているのか、
奥まで正しく理解し、どう自分の人生に、
家族の人生に活かしていくのか、その
深い理解の先にある幸福度を目指します。
トラウマも、不安も、悩みも、
深い理解が解決します。

かなりがっつりやると思いますので、
忙しい日常生活の中でも、学び、理解し、
実践していこう、取りにいこうという
能動的な気持ちのある方に向いています。

お一人様 30万円

お2人以上の申し込みで開催します。
2018年12月〜2019年5月。
基本的に第2火曜日。
11時〜16時。


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by 4cubes | 2018-11-05 08:54 | 潜在意識 | Comments(0)

時間を無駄にしない。

例えば、人は、素晴らしい本を読んだ時に
「凄いなあこの本、書いた人は凄い!」
なんてことを思う、それは、
決して悪いことではないし、むしろ良い事で。
ツイッターに書いて拡散させたり、
人に勧めたりする事で、誰かの役に立ったり
それは非常に良いことだと思います。
気づきを得るのも非常に大事。

ただし、それとは別に、
それが「凄い!」って言っているその時間、
気づきだ、感想だ、自分も明日からやろう!
などとツイッターに書いているその時間は、
書いた人への賞賛のために、あるいは
自分の決心や気づきを得たぞ!という表明の
ために使われていて、
細かいかもしれませんが、実際の自分の
「未来」のためには使われていないんです。
仮に数分と言えども、
やっている人はこの数分だって無駄にしない。

いやそれも大事なんだけど、いつも気づきと
「俺もやる!」表明だけでは何も変わらない。
それはどんなに素晴しかろうと、
終わった結果なんで。

自分の未来のために時間やエネルギーを
使っているようで実は使っていない、
そういう罠があるということを、
人はもっと自覚した方が良いと思っています。

ホリエモンがファンの人に、
「本読みました、素晴らしいです、なんて
別に言われたくない」って言っていますが
そういう賞賛は、悪いことではないにしても、
そこからは何も生まれないから必要がない、
人への賞賛に費やせるほど、
個々の人生には時間が多くあるわけではない、
その時間すら、自分のことに使おうよ、
という事を彼は言っているのだと、
私は解釈しています。厳しい態度ですけれど、
人の時間を奪わないという愛情だと思います。

人には承認欲求がもともとありますが、
私もあまりない方だと思うので(昔はあった)
凄いですとか言われるのは、
本当にどうでも良くて、
ありがたいけれど、そのありがたみを
期待通りには感じられないので、
反応が薄くてすみませんという感じです。
その時間、自分に使ってくださいって、
やっぱりそう私も思いますよ。

私は、案件に対しての賞賛なら
めっちゃ嬉しいですし、素直に喜びます。
自分に対してはどうでも良いです。

こっちが良い、ならそっちは悪い、じゃなく
どっちも良いんだけど、人間は1つにしか
意識を向けられないんだから、
どっちかを選ばないといけない、そのそれを
決心や気づきや表明、人への賞賛に使っても、
本人に何も起こらないんです。
すでに終わってる事だからです。
感じて気分良くなることくらいしか、
そこから得られるものがないからです。

私たちは、人生あらゆる選択をしながら
生きているわけですが、その時その時は、
1つしか選べないんですよね。
つまり人は意識を1つにしか向けられない、
というのと同義になりますが、
その細かい時間ひとつひとつを、
純粋に自分のために使う、という事が
自分を生きるということの本質なのだと
私は考えています。

そういう意味では、雑では全然ダメで、
とても細かくストイックな話です。
でも意識をどこに向けるか、向けた時間と
向けた先が、そのまま現実となるんです。
他人にばかり向けていたら、幸福度は
上がらないんですよ、残念ながら。
忠実に、向けた時間と向けた先に比例して
幸福度に反映されています。
これは物理的な現象として。

思い出に浸ることも全然悪くないし、
むしろ良い気分であることは確かです。
でもそこに向けている時間が長いとしたら、
その分相対的に意識は未来に向いていない。
結果的に、未来より過去の方が良い!
と思えるような結果がついてきます。

もはや足し算引き算の話です。
現実は、実はものすごくわかりやすい。

嫌いな人のことを考える時間が長ければ、
嫌いな人が多い人生になる。
非常に当たり前の話ですが、実は意識って
そういうものでできているわけです。
思いを向ける時間の長さ、これだけです。

そして人間、誰にとっても1日は24時間で、
お金があっても増やすこともできないし、
逆に誰かに奪われることもない、
非常に公平で平等な資本です。

人生の質は、この「時間」をどう使うかに
かかっています。

「お金ほしい」と言いながら、無駄にSNS
見ているのは、お金を捨てているのと同じ。
インプットも大事ですが、
インプットにも「時間」というリスクが
かかっています。
アウトプットにも「時間」を使うのだから、
最小で最大のメリットになるような
ポイントを探る必要性がある。

お金は生む事ができるけれど、
時間は生む事ができないのだから、
時間の浪費の方がリスクは高いと思います。
一般的にはお金より時間の無駄使いに対して、
非常に鈍感な人が多いと思います。

ビジネスだけの話じゃなくて。

普段の「別に急ぐ事じゃないし」と、
後回しにしている些細な案件が、
実は、お金がなくて貯金できない、という
現実を生んでいることに気がついている人は
案外少ないのではないかと思っています。


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by 4cubes | 2018-10-31 10:43 | 潜在意識 | Comments(2)

フリーマーケットに見る社会

フリーマーケット出店してきました。
ただの不用品を売るだけなら、
費用対効果を考えると、
今の私は出店しない選択をしますが、
今回は別。

戦前から、上質な物に触れ続けている
とあるお家の、
はじめてとも言える断捨離があり、
ザクザクと、お宝を全部放出する企画。
それもすべて500円。
季節ごとの贈答品などの新品はもちろん、
普段使いにしていたセンスの良いもの、
昭和レトロな道具類、機械類。
見た目は最近の流行りではないけれど、
普遍的な価値のある、質の良いものなど、
見る人が見ればわかるものずらり。

わからない人は、箱入りの美しい5枚の
お皿も、500円という情報だけを見て
「1枚100円ってことね」と
暗に「100均と同じなのね」と、
がっかりされます。
同じ金額で、上質な生活用品が手に入る、
という事を見ずに、金額だけで判断します。
あるいはもう、心が喜ぶ豊かな生活は、
自分の中に想定していないのかもしれない。
100均やブックオフより安く感じたら買う
と判断する人が多かったです。

そういう人に買ってもらわなくても良いので
言われると値引きしちゃう自分への戒めもあり
(別に値引きしても良いんですが、あとから
自分がモヤモヤするのでwww)
「オール500円で値引きなし」を最初に決め、
それを守ることができたのですが、
モノの良さがわかる人が喜んで買ってくれて、
おかげさまで、本当によく売れました。

日常的に良いものを大切に使う、ということが、
今の世の中から失われてしまっている現状を、
非常に実感しました。
別にそれが悪いわけじゃないですが、
個人的にそういう発見があったということ。

今すぐ使える消耗品か、
ブランド名などがあって、名前だけで価値が
判断できる(あるいはできそうな)ものは、
当たり前に売れていきますが、
そういう風にしか、モノの価値を判断しにくい
世の中になった、という事も
言えるのかなと思います。

私も「自分が買いたい!」と思うものばかり
売っていたので、売れて嬉しいのと複雑なのと
色々あったけれど、そういうものを売ることに
意味があるのだから大満足です。

モノの値段は、多くの方は、
お子さんの衣類などを、最初から50円や100円
といった金額でつけていて。
そこからさらに値引きするので、場所代や食事
駐車場代を考えたらどう見ても赤字。
1日という時間の資源も浪費です。そこに、
「自分が楽しかったから」とか
「少しでも人の役に立てて」とか
そういう風に理由をつけやすいのですが、

実はそれがブラック企業を生んでいるんですよね。

経費をきちんと乗せて、ペイできる金額で売る、
という事を通して、買う側にも
「物を買うというのはこれだけのお金がかかる」
という認識ができます。
一般的には職人さんへの技術などもそうですし、
目に見えないものに対してお金がかかるんだという
「支払われるべきところに支払われる仕組み」
があるはずなのですが、

これが崩れると、ブラック企業のように、
「人」にお金が支払われない、あるいは、
不当に扱うようになる構図ができて、
そこから抜け出せなくなってくるんです。

フリマだと「安くしないと売れない」となり、
安い分、誰かが疲弊していることになります。
実は私たちが、無自覚にやっている事にも、
社会に対してちょっとずつ責任があって
その責任をそれぞれ怠った結果のひとつが
ブラック企業の社会問題化なんです。

そこへ子どもを送り出していくことになるなんて
私には耐えがたいですから、
その連鎖を断ち切るために、自分のできること、
毎日の少しずつでも妥協しないと決めています。

そのために、物には正当な値段をつける。
(お安く提供しても利益がでるように設計する)
くそまじめだなと思うんですけれど、
大真面目です。

豊かにお金が回らないと幸福度も上がりません。
個人的に安く手に入るのが良い、みたいな、
視野の狭すぎる考えは、
その一瞬その人だけの「幸福のようなもの」
にしかならないんですよ。
恒常的な幸福とは、かけ離れています。

子どもに「半額でーす!」「お安いですよ!」
って叫ばせている親御さんもいるけれど、
あれもほんと良くないと個人的に思う。
「安ければ売れる」を学習してしまうんですよ。
あるいは「売るために安くしなければ」を。
目的が「売る」になってしまうのと、
売るために「安い」以外の手段を持たない、
という思考停止の状態に入ります。

これからの子どもたちが生きていく社会は、
それだと絶対に成立しないですから、
今それを学ぶと非常にまずい気がします。

さて、現実的に今、
フリマで買う人の満足度を上げるには、
安くするよりも

●きっちりお化粧して似合うものを着ていく。
(買う側は、どういう人から買ったか重要)
数秘P(パフォーマンスナンバー)に合った
洋服でお店をやると、お客様の満足度も
高くなります。お金をかけずにエネルギーを
あげられます。

●見やすい工夫。
(手に取りたくなるものは手前に。
一見して何かわからないものは解説をつける。
洋服もハンガーラックにずらっと並べず、
正面向けて1枚出す。売れたら次も出す。
買う側が、ガサガサ掘り出さない工夫)

フリマのお客様は、また戻ってくるので、
(フリマのお客様はもともと「買う」意識で
来るので、何度も「欲しいものがないか」と
往復してくれます)
戻ってきたときに商品が増えているのが
嬉しいと思うので、多めに持ってきておいて、
一気にごちゃごちゃ出さずに、
売れたら次を補充、1日楽しめるようにする。

●全部売り切ろうと思わない。
お客様って、最後の1個を安く買うよりも、
(数ある商品の中からこれというものを)
「選んだ」というところに満足が生まれます。
だから、売れ残るのは、必要悪というか、
残して丁度良いんですね。
20個持ってきて全部売るよりも、
50個持ってきて、30個売る方が、
買う側の満足度が高くなり、
売る側の利益も高くなります。
どっちの満足も最大限高めるのがビジネス。

●子どもが上手に参加できる方法
工夫で売るように大人がリードする。
値段を安くして売るんじゃなくて、
「こういう組み合わせはどうですか?」とか
「これはこういうところがポイントです」と
価値をプレゼンして売るということを考えて、
そのアイデアを、親と一緒に考えるんです。
「僕はこれで遊んで、ここが面白かった」と
体感を伝えるのも、買う側にとって
参考になるので有効だと思う。
いずれもお金をかけたりしないでできる。
お金を「生む」という発想になります。
工夫や、クリエイションのできる大人に
育っていきます。

●洋服は組み合わせで売れる
買う側にとっては、
どんどん手間が不要になっている世の中。
ボタン1つで購入できたり、面倒なことが
少なくなっています。
それをフリマに応用するには、
コーディネイトしてセットで売る。
買う側が自分でコーディネイトしなくて良い
という利便性を価格に乗せて売るんです。
あるいは同じ価格でも、価値をのせる。
手に取らなくてもサイズがわかる工夫。
試着しないと買いにくいものは、
思い切ってフリマで売らない。
買うときの気分のリズムを断たないように。

●値段は口には出さない。
(どれでも500円って買いてあるんだけど、
見てない人も多いんですよ。基本やり取りの
手間が好きではない人向けの表記です。
でも、その表記を見ない人も多くて、
そういうのは値段とは別の情報が欲しい人)
お得だとか安いとかって、相手が感じることで
こっちが言うことじゃないんですよね。
だから、そういうマイ情報は伝える必要ないし、
用途とか使い勝手とか、
相手が欲しい情報を提供するのが先であり、
最後に値段、です。
その値段が折り合えば結果として売れる。
それだけのことだと思う。

良いお店だなと思ってもらえたら
不当に安くしなくても、満足度高くなるので、
自然とお買い物してもらえます。
会話はたくさん楽しみましたが、
私「いらっしゃいませー」とか
1回も言いませんでした。
それでも「あなたは根っからの商売人ですね」
って言われました。
褒められたのか逆なのかは不明ですが。


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by 4cubes | 2018-10-29 09:06 | 潜在意識 | Comments(2)

心理的メルカリ術

今、大がかりな断捨離中で、
(関係ないけど、昔は「断捨離」って
一発変換できなかったのに今はできる。
見えないところで気がつけば快適になってる)
メルカリもかなり利用しているのですが、

見ていると「プロフィール必読!」の方が多く
そして読むと、すごい長文。
マイルールがたくさん書いてあります。

「子どもがいるので細かい対応できません」
「コメントなしの購入はブロックします」
「自宅保管にご理解ください」
「神経質な方はご遠慮ください」
「メルカリの取引件数が少ない方お断り」
「こちらのコメントには返信してください」

で、だいたい、セットのように
「気持ちよくお取引するために」とか
「気持ち良いお取引をしたいです」って
書いてあるけれど、これ読んだ時点で
もう気持ちよくないんですけどーって、
購入側としては、なるわけです。

こないだは
「揉め事はプライベートだけで十分です!」
って書いてあって、吹きました。
いえ、バカにしているわけではないです。
なぜなら、どうしてこのような心理になるかも
わかるからです。

まず購入側からすると、こういうマイルールが
ズラズラあると「めんどくさい人だな」と
思うわけです。
だからできれば避けますよね。
買ったとしても、言葉に気を使ったり、
相手の出方を見たりで疲れます。
(ちなみにそういう事をさせる側は、相手の
エネルギーを奪っている状態ですね)

で、そういう人から自然に買える人は、基本
自身も同じように細かくてめんどくさくて、
こういうマイルールに違和感がない人です。
違和感がない、調和してるから自然に買える。
「神経質な人お断り」って書いてあるけど
そういう人は、自分が普通だと思っているし、
神経質だという自覚がないので、
自分のこととは気がつかないまま、
気にせず買います。
(だから書いても意味なし)
で、細かいもん同士、揉めやすくなります。
マイルールって「自分だけに適応する」
ルールですからね。そりゃあ人の数だけ
マイルールがあるし、押しつけると揉めるのは
自然な事でございます。

揉めたくないのに、揉めるを引き寄せるのは
スピリチュアルでもなんでもなくて、
普通に当たり前に起こることです。

だから、マイルールについて書きたい気持ちは
嫌という程わかるんですが、書かない方が
寛大な人に買ってもらいやすくなります。
「細かいこと言わない良い人だなー」という
印象の人に対しては、買う側も優しくなるのが
人の常です。

で。
マイルール満載の人からも、私は気にせず
買うのですが、それはなぜかというと、
実際のところ、蓋を開ければ良い人だった
ってパターンが非常に多い。
っていうか、人はそもそも相手に応じて、
態度を変えるものだからです。
警戒することで、わざわざ出品者自ら
めんどくさい人を引き寄せる事もできるし
そうなるとバトルですが、
めんどくさくない人が引き寄った場合は、
それに応じて、優しくなるのも人の常。
マイルールガジガジの人に飛び込んでも、
特にトラブルになることはないどころかむしろ、
非常に生真面目で、親切丁寧な人だったりして
行動ひとつで誤解されやすくなるねって、
相手の方に思うことが多々あります。

言い換えると、その丁寧さ、真面目さが、
転じて不安になり、マイルールを作る行動に
なっているんだとも思います。
あれだけの長文、書くのも考えるのも、
すごく大変だもの。基本的に丁寧マメですよ。
あらゆるトラブルを想定して書くわけだし、
頭も良いのだと思います。

で、これだけではなくて。

でね、買う側から見るとそうなるのですが、
今度は自分が売る側になった時に、
要は全く同じはずなのに、
急に不安になって、あれこれ書きたくなる
というパラドックスが生まれます。

売るってストレスなんですよ。
それは決して悪いストレスじゃないんだけど、
(負荷がないとなにも生まれませんから)
相手の満足度とか自分の評価など、
相手ありきのことになるので、
わけが違う、となりやすいんですね。
急に慎重になってしまう。

だから、揉めないようにという配慮から、
最初に理解してもらおうと思って、
色々書いてしまうんですね。
揉めないために、めんどくさい人になる、
という矛盾した事を無自覚にやり出します。
ある意味相手のことを考えすぎなんですが。

終わり良ければすべて良しって言葉が
あると思いますが、あれ、ホントそうで。
人って「最後が一番印象に残る」んですね。
だから、夏休み、子どもをせっせと海外に
連れてっても、宿題の夏休み新聞には、
書く直前に行ったイトーヨーカドーの事を
書いちゃうわけですねwww
(我が家の話ではないけど実話)

だから取引でも自分基準でやる事やったら、
途中何かあっても、丁寧に対応していけば
最後は収まるんで、大丈夫なんですよ。
良い評価になります。
ならなくっても大した事じゃない。
先に全部完璧にやろうと身構えると、
力が入ってめんどくさい人になり、
めんどくさい人を引き寄せるだけなんで。

まあそんな事をメルカリに思う次第です。

で、私はそのマイルール族の中の、
トップレベルで超絶濃いマイルールの人から、
同じものが他にもあるのに、あえてその人から
買ったことがあるのですが。
ほんと良い人でした。
不安がいっぱいあるだけなんだよね。

メルカリについては息子が売るのが上手で、
いつも教えてもらっています。
受け取る相手が欲しいのは、商品じゃなくて
それを手にしたときの感情だってわかってる。
そして、相手の満足度を満たした上で、
こちらも納得できる値段のつけ方がうまい。

例えばポケモンカードを売る時は、
ただ売るのではなくて「強い組み合わせ」を
作ってセット売りをする。
ポケモンカードが欲しい多くの人の望みは、
カードそのものよりも、バトルでの強さだから。
その価値を乗せて売る。
そこをデザインするわけです。
ただ不用品を売る、というのでは、
成り行き任せの出たとこ勝負になるし、
他の人たちと横並びになってしまい、
価格の安さでしか価値を提供できないから。

受け取る人の気持ちをデザインできたら、
メルカリでもクリーマでもミンネでも売れる。
組織でも有利に働ける。
お金が発生してもしなくても同じ。
社会での、全ての基本だと思います。


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by 4cubes | 2018-10-24 13:52 | 潜在意識 | Comments(0)

お金持ちはお金を必要としていない

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お金持ちといっても、お金を持っているか
持っていないか、のお金持ちではなく、
純粋なビジネスや、投資などで、
お金を生み出している人の話です。

10,000円相当の、物やサービスがある。
それを、よくありがちなのが、安く売れば、
お客様のためになるという考え方。
あるいは、安くすれば買ってもらえる、
という考え方。

本当は違ってて、お客様は「納得したら、
そこにお金を支払って満足を得ている」
のですが、額面の金額の高い安いではなく、
相対的に自分はその商品に価値があると
思えるか、という点において、
その金額に納得すれば買うし、
納得しなければ買わない。
つまり、人によって、高いと感じるか、
安いと感じるかはそれぞれですし、
10,000円の値段をつけて売っても、
7,000円にしても、実際に買う段階での
お客様の満足度は変わらないわけです。
だってその値段に納得したから買う、
という成立の仕方は、数字が違っても、
同じですから。

7,000円にしたら喜んで買ってくれるだろう、
というのは、売り手の想像です。
あるいは視野の狭い、循環のない考え方です。
「安くしないと買ってくれない」
というのも幻想ですよね。
こういう発想は、受身的です。

「この商品に、これだけの値段を出す価値が、
【自分にとって】あるかどうか」
で人は物を買うのだから、
つけた金額に見合う価値をつければ売れる、
というのがシンプルな構図なのに、
そこに自信がないから、親切だというていで、
価格を安くすることで正当化しようとする。
不景気だから、とかね。
そういうことじゃないですし

値段を安くすると何が起きるかというと、
売って、お金を得て、それで終わります。

ゆとりの部分がないので資金が次に回らない。
だから良い仕入れができない、良い材料が
手に入らない、結果、お客様に満足してもらう
ための価値をつけられない。
となっていきます。

10,000円で売っても、7,000円で売っても
お客様の満足度は同じなんです。
そこにどれだけの価値が乗っているかだけ。
だから、提供しているもの(本質)は同じ。
違うのは差額の3000円を、商売する側は
次に投資してるということであり、
それがビジネスであり循環。
つまりその3000円を、
「自分のお金としていない」んです。
それはイメージするような「儲け」
その人の私利私欲ではないって事です。
(私利私欲でビジネスする人も、
今の世の中、とても多いですけれど。
それは本質ではないのでどっかで破綻します)
だから、ビジネスをすると、どんどん
「自分のお金」という感覚はなくなっていく。
循環するお金の中から、自分に必要なものを
買ったりするだけで、利益として得たお金は、
別に自分のものじゃない。
って本気で思っていますし、
そういう感覚でないと長く続けられないです。

満足度をキープしたまま、未来へ投資する為、
良い品質のものを
【無理なく高い方に寄った適正価格で売る】
ということが、広い視点で考えると、
全員が幸せになる絵を描く図となります。
(この時代においての合理性となる)

価値と値段をしっかりと見極める、という
プロセスを省いてしまっているから、
あるいはそこに自信が持てない人だと、
売れないということが不安になるので、
無駄に安くしたりしたり、上っ面の価値で
値段をつけようとしていて、自分で自分の、
もっといえば社会の首を絞めているんです。

稼いでも、独り占めしないというのは、
道徳的なものではなくて社会の合理性です。

家庭の場合も同じことだと思います。

得たお金を貯め込むのはエゴです。
溜め込んだらそこで終了するからです。
エゴでも良いけれど、エゴだという自覚が
ない人が多いのではないかと思います。
それを、自分への投資として、
価値の高いと思えるところに使う事で、
良き消費者が育ちますし、お金を回すという
社会的な役割を全うするので、
自分だけのことじゃないんですね、お金って。
使うから回るし、使うからまた自分のところに
入ってくるんです。

今の節約術、やりくり、家庭むけの情報は
主に、非常に視野の狭い、
「我が家が豊かになる方法」が多く、それは
「社会が良くなる情報」からの、
自分を含めた全員が豊かになる情報、
ではないんですよね。
だから無自覚に「自分だけが良ければ良い」
を作り出してしまう。そう、無自覚にです。
親がそうだと、子どももそうなる。
そう見せていないと思っていても、
自分だけが良ければ良いという、
うっすらでもそういう価値観の中で育てば、
自然とそうなりますし(環境ってだから怖い)
端的に言えば、表面的には標準、
それより少し上の意識高い系の水準、
に、形だけは見えるけれども、中身は
小利口、小狡い、小賢しい人間に育ちます。
もちろんそれでも自分が選択した人生であれば
他人がとやかくいう筋合いは
もちろんないのですが、無自覚ですから

それだと幸福にならないし、
幸福を感じられないって、それだけです。
無自覚だけに、気づかない限り延々と続きます。

私は、数秘の8を持たないので、
もともとその循環の概念があるわけではなく、
どっちかっていうと、どんづまる方で、
循環の概念は、トライアンドエラーで
人との関わりの中で実践してきました。
(自分にない数字は、他者との関わりで、
学ぶという仕組みになっています)

だから、だからこそ、心の底からわかる。
どうしたら循環するのかも、どうして循環
しないのかも。お金についての本質も、
わからない人の気持ちもとてもわかるし、
そこから抜け出せない人の気持ちも、
なぜそうなるかも手に取るように。

ビジネスを15年やってわかった事も多く、
何を売るかじゃなくて、もちろん
「どういう意識で」ではあるのですが、
それも、考えていたよりもずっとずっと
抽象的ではなく、具体的な仕組みの話で、
実はとてもシンプルにできている。
型紙という、広いとも思えない市場で、
ファストファッションでいくらでも
作らなくても安く買える選択ができる時代、
(作ったとしても安くならないし)
あえてのその商品は、それほどニーズが
あるわけではないんですよね。
でも、結果的に長く続くのがなぜなのか、
傷だらけになりながらもわかってきました。

逆も然り。
世の中の、お金を得るハウツー情報が、
本当に曖昧で、信頼できないものだという
それがわかったのも面白かった。

近道なんてないのですが、
遠回りのように思える、長く続くその道は、
実は苦しみではなく、とても楽しいもので。
歩いてみると全然遠くなかった。
もちろん人は常に、プロセスの中にいて、
死ぬまでどこかに向かう
その途中でしかないのですが。
だからまだ歩きます。

私はD7(ナチュラルに考え続ける)という
行動パターンを持つのですが、
LL7(7がない)という事実も持ちます。

これは、数秘の複雑な解釈になりますが、
「考えても考えても考えている自覚がない」
んですね。
いつも深く深く掘り続けているのに、
自分では掘れている感じがまるでなくて、
感覚でいうと、10㎝くらいは掘ったかな、
大げさではなくそんな感じです。
だから普通にどんどん掘ります。
だってねえ、10㎝じゃねえ。
でも実際、人から見るとかなり掘っている
らしいです。
要は、そのDとLLに同じ数字がくると、
その数字を「やり過ぎる」傾向がある。

D8のLL8の人は、稼いでも稼いでも
稼いでる気がしない、からもっとやって、
結果的にかなり稼ぐ、とか
(数字には、キーワードも色々あるので、
8だと他には、やってもやっても
やれた気がせずもっとやる、とか
各数字において、それぞれ多種あります)
D5のLL5の人は、行動しても行動しても、
そんなに動いている気がしないので、
体に支障きたすまで動いてしまうことがある
とか(側から見ると、ありえないぐらいの
行動力に見えているにもかかわらず、本人は
まるで自覚がない)

そんな感じで今日も掘り続けます。


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by 4cubes | 2018-10-24 08:14 | 潜在意識 | Comments(4)

近況

ここ10日のうちにメールをくださった方へ。
私のところまで届いていないようでした。
大変申し訳ありませんが、
もう一度送っていただけないでしょうか?
よろしくお願いいたします。

ーーーーーーーーーーー

ここしばらく静かでした。
歩きすぎたのか、モートン病という
足の裏の神経が変形するという診断をいただき、
ややおとなしく過ごしていた次第です。
メンタルで治せると思うので、
あまり心配はしていません。

ここのところ「私を生きる」という名目のもと、
自由に振る舞い、エイブラハムの言う
「良い気分でいる」を実践して生きている、
その先端にいた人たち(ハッピーさん、心屋さん
子宮委員長さんあたりでしょうか)の
化けの皮が剥がれてきた、みたいな騒ぎに
なっているようです。
エイブラハムの教えは、ある意味では
間違いではないし、それをハッピーさん達が
間違えて解釈しているということでもない。
ただ、これにもニ元(利己的)と
一元(利他的)があり、彼女達は
前者だというだけのことなんだと思います。

利己で動いた先に、人のためにもなっている、
だからまず自分を満たそう、という
彼女達の言う教義は、自分を満たして、
そのまま生きていけばオッケーとしているので、
考え方としては、近代の終わりで
止まってしまった感じです。
その先があるのに。

言っていることとやっている事が違ったり、
教義に矛盾が生じていたりしていて、
ほころび始めているのは確かだと思いますし、
皆さんが「ただのワガママだ」と
おっしゃるのもわかります。
でも、それをまた「悪い!」と、
声高に叫ぶ事も、二元なんだと思う。

その、自分勝手に振る舞っているように
見える人たちも含めての多様性だから。

できることは、そういう教義を必要としない
世の中を作ることである。
カウンセラーやセラピストのいらない世の中を
作ることである。
彼女たちが必要でないということではなく、
心の病そのものが消滅すれば、カウンセラーも
セラピストも精神科医も、医者や病院すら
必要でなくなるのだと思う。

エイブラハムの翻訳本は現在、個を幸福にする、
二元的な解釈でしか書いてないから、
これからは「エイブラハム2.0」が必要かも。
これからの時代に向けた、新しい視点での
翻訳本です。

仕事2.0とか、
お金2.0とか、
色んなところで言われている「2.0」は、
わかりやすく言うと「1.0」が近代で、
「2.0」がこれからの時代、でしょうか。
私は「1.0」が二元で「2.0」が一元だと思う。

人は一元で生きなくては、苦しくなっていく
というのは確かなんじゃないかなと思ってて。
つまり、いくら好きにできたとしても、
利己的に生きる以上、苦しみから逃れられず、
利他的に生きた先に得られる幸福度によって、
結果的に個人の幸福度につながるという生き方。
その生き方なら、破綻しない。

だから与えるのが先。
出すのが先。

そして、人口が少なくなっていくのだから、
「あの人信頼できないからこっちでもいいや」は
数の問題でも通用しなくなってくる。
良い話も悪い話もすぐに拡散されるから、
目の前の人を大切にしたら、それが広まるし、
大切にしなかったら、それもまた広まっていく。
広まるっていうのは、情報を皆とシェアする
ということ。それがあなたの居場所を作る。

だから自分がどう目の前のことに取り組むかが、
そのままどんな気持ちで生きるか、に
直結していくし、だから当たり前だけど、
目の前のことだけに集中する必要がある。

今ここっていうのは、そういうこと。

今、目の前の人を大切にしたら、
その人は自分のことも大切にしてくれるし、
それが信頼となって、
関係性が良くなったり、何かの時には
協力してもらえたりする。そうされたら
自分も嬉しいから、その人に何かしたくなるし、
会っていて楽しいから、何かの時には、
すぐその人を思い出したりもする。

人の縁はこうやってできている。

明日は、お金持ちはお金が必要ないって
話にしよう。


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by 4cubes | 2018-10-22 01:10 | 潜在意識 | Comments(0)

一元視点で物を見つめ、物理化学の視点での引き寄せ、人の性質の分析解析を得意としています。、現在個別対応のみ承っています。


by のりこ
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