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当てに行く

これを言うのはある意味覚悟が必要ですが、私は数字を見れば、当てにいきます。
その人の性質を、正確に具体的に捉えて伝えようとします。
具体的に言うという事は、当たっている時は良い驚きがある半面、当たっていないと感じる時は不信に繋がりますから、はっきりさせることはある意味でリスキーです。誰にでも当てはまるよう無責任に「愛です、悦びです」を使う方が楽です。けれども、リスクはあっても、誰にでも当てはまるような言葉は使わず、その人だけに向けた言葉を使います。

なぜ「当てにいく」事を必要としているかというと、人生に迷ったり悩んだりしている人にとって「当たっていると感じること」は「理解してもらえている」に繋がるからです。
その信頼、あるいは信用がないと、次に進めません。
「あなたは愛の存在です、悦びです」と言われて、具体的に前に進める人はいるのでしょうか。
だからごまかさない言葉で伝えますが、そりゃ結果的に当たっていないと感じられる人も一定数いると思います。

もちろん、全力で集中しますが、結果的に「当たっている」と相談者様が感じるかどうかは全く別の話です。
それは、当たっている、あるいは当たっていないと感じることは、客観的でも普遍的でもなく、その時のその人の「主観」で判断される性質のものだからです。その時に、そんな気がするかしないかだけの話で、その時は「違う」と思っても、あとから「もしかしたらそうかも」になったり、人を信じられなくなっている心理状態、人にこう思われたいといった欲など、色んなものが加味されて、その時の判断をします。
疑り深くて「さあ当ててみろよ」というような心理状態であれば「当たっている」なんて感じることはできません。
昨日までゲラゲラ笑って観ていたお笑いも、今日もし誰かと喧嘩して気持ちが落ちているならば、同じものを観ても笑えない、そんな気分じゃないわけです。「おもしろく見よう」という意思がある時に、お笑いは面白く感じるわけです。
また、自分の性質について「自覚できない」という数字を持っている人もいます。

それでも、その人が「当たっている」と感じられることが非常に大事だと思っています。
結果ではなくあくまでプロセスにフォーカスしていますが、結果がどうでも良いとは思いません。

という事は、その場で細かく擦り合わせができるオンラインコンサルが一番精度が高くなります。
文字の解釈って本当に人それぞれですから、受け取り方にばらつきはあります。
会話だと、非言語でも伝わるという強みがあります。
表現する言葉が違うな、と思えば、その場で修正できます。
P6ですから、その場その場は相当集中しますが、今あるメニューで儲けようなんて考えはみじんもなく、自分でも残念になるほど、売ろうと考えていない。というか考えられない。なんせLL8。
(もちろん8=お金、という単純なものではないですが、8のあるなしは大きい)

ちょっと戻りますが私は「愛です、悦びです」と言う人を駄目だとも変だとも思いません。
そういった言葉の方が伝わる人がいるのも確かですし、そういう言葉を使う方が合う人もいます。要は選ぶ言葉の種類ではなく、大切なのは「伝える人が、少なくとも自分の内側で確信を持っている言葉である事」です。
そういうふわっとした言葉を使っているけれど、私から見て「この人は信頼できる」と思える人も、います。
ただ現実的には、言語化する作業を怠ったり、自分の言葉に自信を持てなかったり、あるいは自分を否定されることを怖がって「愛、悦び」という言葉選びになっている人がダントツに多く、それはもう論外と言えます。
私は、どうしたって「だから何」という性質の数字でできているので、地味で身もふたもない言語にしてしまいますが。
見た目がP6な分、会うとイメージ違うと言われます。
昔はよく「布団買わされるでしょ」と言われました。
喧嘩売られているのかと思いましたが、今ならなぜなのかわかります。



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メニューの内容を詳しく知りたい人は この記事 参照

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# by 4cubes | 2019-03-06 10:18 | その他 | Comments(0)

ビジネスコンサル始動

「思考は現実化する」というのは個人的に「考えている事で現実が決まる」という感覚の方が近い気がする。

昔読んだ、成功法則の本を読み返してみると、全部その通りのことが書いてある。
その通りやれば成功するのは間違いないけれど、なんでそれをたいていの人ができないかというと、書いてあることの本質がわからないから。
わかったところでやらないから。

例えばよくある「トイレ掃除をする」。
いくら成功者はトイレ掃除を率先してやっていたと書かれていても、トイレ掃除でなぜ成功するのかがわからないし基本的にはそれほど楽しい作業ではないから続かないので、人はそこで行動しなくなる。という王道の成功諦めパターン。
でも、できないじゃないですか、トイレ掃除。
(するけど毎日継続が難しいとか、あと手で掃除するとか書いてある本もありますよね)

じゃあなぜそのトイレ掃除をすると成功するのか、も、書いてある本には書いてあるのですが、それでも、理屈ではわかったような気がしても、やっぱり楽しくないから続かない。

じゃあ続いている人はなぜ、それが続いているのかを考える必要がある。
そして、トイレでないといけない理由。
トイレ掃除していなくても成功している人もいる。それは何が違うのか。

と、なんで?なんでと掘り下げていく事も大事なのですが、考えるよりトイレ掃除を好きになるために動いた方が早いと思う。
好きになってしまえば、自動的に続けられるから。
ちなみにトイレ掃除することそのものにはそれほど意味がなくて、要は人の嫌がることができるかどうかという事なんです。

でも、貴方が手に取った本に「トイレ掃除をしよう」と書いてあれば、それを見つけてしまったのなら、与えられたこととしてやる必要はあります。
そこで「人の嫌がる事であれば、トイレじゃなくて良いんでしょ」と思ってしまったら、自分がトイレ掃除を、ほかの人と同じように嫌だと思っているわけだから、人の嫌がることがやれていないという事になります。

これは、人がしないことをしないと埋没するだけだよ、というお話であり、人がしないことというのは大抵、人が嫌がる事だし、そこに選り好みをしていたら、結局は人と同じになってしまうので皆と同じような人生しか歩めない、と考えるとわかりやすいと思います。

役割を生きるというのもこれと似ています。
役割というのは向こうが振り分けてくるものなので、好き嫌いで判断するものではなく、そもそも選べません。
だとしたら、どう役割を生きれば楽しいのか、活かせるのかを考え、自分のものにしてしまうと楽です。
そのことを通して、あなたは恒常的な幸せという体験をすることになる。
もちろん役割なんて気にしないで、好き嫌いで生きていく事も選べます。でもそれは、先日も書いた、結局自分にしわ寄せがくる二元的な生き方になってしまう。

王道の成功本を読み返している理由は、ビジネスの相談を受けることが少しずつ増えてきたからです。
起業してみたいとか、お店をやってみたい。今やっている仕事があまりうまくいかない等。
それを数字で見て、その人がどんな事なら好きで続くのか、どんなツールなら活かせるのかを、たたき出します。
ビジネスの基本は続けていく事だから、頑張って続けるのではなく、自然に続けられることを知る必要がある。
そして使えるツールと組み合わせて、今すぐできる行動のアイデアを出す。
例えば「倒産」「SNS」「カップ麺の在庫」「メンバー2人」「HP」「船舶の免許」「計算得意」みたいなバラバラの、今ある物(倒産ですら資産です)を組み合わせて、更にその人の数字と組み合わせて、現実的に動かすビジネスをデザインする。
そういうのが得意なのは、LP4,D7,LL7だからだろうなと思う。

昔から、限られた条件の中でビジネスを作るのが好きでした。
やばい、これやりたい!となる。
でも自分が端から全部やっていくわけにはいかない。
だったらそれを必要な人に伝えれば良い。
でも、私のアイデアはあっても、その人に合っているのかとか、その人の性質を加味した現実的なアプローチにできるのか、となると、もう一つツールが必要でした。それがパフォーマンスナンバーです。

ビジネスは表現であり、良い形で続けていくには三方良しが条件なので、やはりそこでも、パフォーマンスナンバーが活きてきますし、複数人が一つの目的に向かうプロジェクトなのであれば、その全員に適切な役割を見ていく。
お金は自然についてきます。

現在相談に乗っているのは、割と身近な知り合いの個人事業主さんや、小さな、好きなことで食べていくような個人のお店などが多いです。
それは私の型紙屋も同じです。何度も波がきて、瀕死の状態もあって、だからこそ自分が何をしている時にどうなるのか、その法則が手に取るようにわかってきたんです。

ビジネスコンサルは、これまでは個人メニューの中でやっておりましたが、やり方が違うため、今後は個別に時価にて承ります。
簡単なカウンセリングをして、そのメンバーや会社の方向性が同じベクトルに向いているかを確認、納得していただき、そうでない場合はお断りする場合もあります。役割は主体的であるという事が何より求められるからです。
その姿勢がないと、何をやっても無駄になるからです。
主体的でない場合は、コントロールの道具になってしまうため、取り扱いは慎重にいたします。

効く薬は、悪用もできてしまう事と似ています。

自分自身が役割で生きたい、必要なメッセージがほしい個人の方は、お申込みそのものが個人という主体なので、まったく問題ありません。
以下より、体験しやすい価格帯でご用意しています。
(4月よりメニュー3は50,000円に改定します。他のメニューは変更ありません。)


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# by 4cubes | 2019-03-05 17:15 | その他 | Comments(0)

セミナーの話

セミナーブームはピークを過ぎたかと思いきや、まだまだたくさんのセミナーが増えていますね。
不景気に、無形ビジネスは、確かに盛り上がる要素がたくさんある気はします。
心の時代とうまくかみ合わせたように、カウンセラーやセラピストもとても多いですね。
そういう方が増えるという事は、逆に、悩みを持つ方も増えているという事でもあるのですが。

昨日は顧客満足度98%という驚異の数字をたたき出しているという方の講座告知を見ていて。
私は、特に人をディスる趣味はないのですが、明らかにおかしいセミナーに行く人が本当に多いなと感じるし、更に認定講座を受けて誰かの認定を貰ってしまうという、強固な囲い込みに飛び込んでしまう事を含め、ずっとずっと搾取され続けていると、当然幸福度は上がらないのですが、

私も含めて、人はまず、最初は何かを求めて習いに行こうとします。
でも、自分に必要な情報を得ればさっさと離れるようにし、くれぐれも認定講座だけはやめておいた方が良いと思う。
試験を受けて認定じゃなくて、お金を払って講座を受けて認定なんて、向こうが儲かるただのビジネスです。
どんなに立派そうな認定講座でも、誰か個人が認定するようなものはそうです。
そして、認定されるという事は、縛りを受けるという事で、コントロールされているという事です。
マイルールで認定し、マイルールで、縛るんです。
どうして人がそんなことを、大きなお金を払ってされなくではいけないのでしょう。
教育であれば、自分が人に教えたことで人を縛る必要がないし、それをするのは講師そのものが拗れているかお金儲けにほかなりません。
ご本人に自覚があろうとなかろうとです。

認定講座の内容そのものというよりも、認定されるという事に問題があると思います。
私も数秘の知識を得るために認定講座を受けましたが、やっぱり違うなと思い、必要なものを得た時点で退会しました。
認定内では、教えられた教義から外れたことができないんです。
更新にお金がかかります。
私は、教えられたことだけでは辻褄が合わないと思ったから自分で好きに研究したかったし、囲い込まれることは趣味ではないので辞めました。
制限を受けず、自由に何でもできるというのは素晴らしいです。

受けに行く側で、囲い込みでも良いという人もいるけれど、本人は良しとしても、三方良しではないとは思います。
自分は良くても、誰か個人が認定するものは、どこまで行ってもに認定する人だけの価値観であり、真の平和を生まないからです。

個人的に「行っても意味がない」と思われるセミナーについて書いておきます。

●選ばれる3つの理由
●またとないチャンス

というように、自分で自分を褒めてしまっているのはNGですね。
もうこの時点で、9割のセミナーがアウトになります。
セミナーだけでなく保険会社とか、他のいろんな商品についても言えることで、もう当たり前の世の中だから、何がおかしいのかと思う方も多いかもしれません。
選ばれているのかもしれないけれど、自分で言ってしまっては残念ですし、チャンスと感じるかどうかは、受け手の方です。
日本には本来「謙虚」の美しさがあると思うのですが、自分で推し、更に理由までつけてしまっているのや、煽っているのはどうにも。
ベネフィットは大事なのですが、あくまで受け手にとっての事実だけを書く必要があると思います。
相手がどう感じるかを書く必要はない、というか大きなお世話です。
また、心理的に、煽って集客するというのは、事実以上に人を集めようとしているので、実力不足を言葉で補おうとしているところがあるかな。
誰かのためでなくお金のため、という事が透けて見えます。

以前も書いたけれど、キャンセル料を取るセミナーもアウトです。
キャンセルされるのが怖い、あるいは嫌だから(要は自分が拒否されるのが嫌なのだと思います)あたかも「自分で申し込んだんでしょ」と、正当性を装ったマイルールな自己責任論を押しつけ、罰で縛っているだけだと思われます。
「良い子にしていないと買ってあげないよ」というのと同じ仕組みです。
商品の性質によりますが、開催日までに物理的な損失が出ない種類の商品にキャンセルする自由を与えないのは、完全に主催側の都合や弱さだと感じます。

もしこれを三方良しにするなら、直前までキャンセルできるシステムに。
主催側に損金が発生しない限りでそうすれば「ぎりぎりで何かあってもお金は返ってくる」と、お客様に安心感が生まれるからです。
直前に何かあって行けなくなっても、お金が返ってくる事もですし、そういうシステムを採用している主催に対して、気持ちが違うというものです。

●これだけの特典がついています!

セミナーというと、特典がたくさんついてくるものも多いです。

お得感を出すために(お得ではなくお得「感」)特典が目立つセミナーが多いですが、それは必ずしもお得ではないという事を書きます。
というかそもそも、自分が得たいもののために参加する商品に、特典の必要はないです。

その講師が自分にとってピンとこない人だとします。
だとしたら、そんな人が作る特典に、何のメリットもないことはすぐわかります。
その講師が自分にとってピンとくる人だったとします。
それなら、お金を払って受けるその講義は、貴方が得たいものをきちんと伝えてくれる内容になっているはずですから、特典は必要がないんです。特典はサービスとしてあっても無駄ではないですが、そこに時間を使うなら、受けた講義をすぐ自分なりに実践に移す方が、貴方にとって成長と結果が早くなります。

だから、特典は、どっちにしても必要がないものだというのが私の考えです。
私もいろいろ行きましたが、特典は、記憶している限り、受け取ったことないと思います。
動画などが自動的についていても、ほぼ観たことないです。

特典が多いから、どう転んでも損することはないだろうなんてどこかで考えている人は、盛ってある講座ほど価値を感じてお金を投資してしまう危険性があります。カモネギまっしぐらです。

あとこれ、よくある

●お金のブロック外したい方におすすめ

についても、私もブロックについては長く調べてきたりしたのですが。
Pを生きている時、普通にブロック外れていますよ。

という事が言えるのと、ブロックは、あってもなくてもどっちでも結果は同じです。
確認しようがないからです。
もしも仮に、ブロックというものが存在したとします。
でも、仮にあっても気にしないで目の前のことに集中していれば、そのうちブロックという単語すら忘れていきます。
その時、ブロックは、すでに外れています。
仮になかったとしても、気にしないで目の前のことに集中していれば、そのうちブロックという単語すら忘れていきます。
その時、ブロックは、すでに外れています。
同じことです。

どっちみちセミナーで外れるというような類のものではないんです。
「ブロックが外れる」と謳っているセミナーだと「外すの前提」つまり「ブロックはある」というストーリーで話が進みます。
だから受け手も「ある」と認識してしまうので、本当は良くないと思う。
そもそも、そんなの証明できる人いない、とすると「ない」を採用した方が面倒がないのに、わざわざ「ある」を作らなくても良い話なのでは、と思います。
私も過去、ブロックというものがあると思っていましたが、どう考えても違うだろこれ、となって。

で、例えば特殊能力でお告げができるなどというような凄い講師がいたとしても。(その存在については特に否定しません)
ただ、受ける側として、お告げを貰って背中を押してもらったのでは、お告げがないと生きていけない体になるわけです。
凄い講師とやらの嘘ホントより、お告げが必要な体になってしまう事の方が大問題です。
凄い人のところに行くという事は、自分との落差を大きく感じるわけで、落差が大きければ大きいほど当然、受け手側は受け身にならざるを得なくなります。

大事なのは、それぞれが自分自身で幸せを恒常的に再現できるようになることですから、受け身精神を増殖していたのでは幸福から遠ざかるばかり。あの人は凄い!みたいなコピーに釣られて参加してお金を落とすのは、自立までの道のりを自ら長くしているようなものなんです。

凄い人に何とかしてもらうのではなく、やはり等しく享受することのできる根本的な仕組みを知って、自分で再現性を高めていく、そのために学ぶことが大事なのではないかと私は思います。
結果的に仕組みを理解した方が、私の場合は早かったです。

そういう意味で、メンターも必要ないと思います。
貴方にとって必要な情報と、理解する心だけあれば充分かと思います。


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# by 4cubes | 2019-03-04 01:31 | その他 | Comments(0)

私の頭の中

好きに生きよう、自分を生きようとしたとして。

ツイッターで言えば、好きな人とは繋がり、嫌いな人は見たくないならブロックすれば良い、となるのですが、嫌いな人が出現するたびにブロックしていくうちに、目の前からは嫌いな人が消えたように見えるけれど、この世界にはあなたにとっての「嫌い」が増えていっているということを忘れている人は多い。
ブロックしただけ、ブロックした人数は増えているわけです。
嫌いだという意思表示をすると、嫌いだと思う人の人口が地球上に増えているという事です。

「ブロックする」というボタンがなくても、配偶者を疎ましく思う事や、あの人嫌い、と心の中で思う事も同じです。
嫌いって、言わなくても伝わりますから。
配偶者はブロックできなくても、一緒の家にいると息が詰まるとか何とかで自分が外に出てストレス発散したり、好きなことに興じるのは、相手を見ないようにしている行為なので、本質的にはブロックと同じことです。

心や形だけは排除して、自分に見えないようにしたとしても、だからと言って「いない」のではなく、実質増殖しています。
で、多少の人数を排除したからと言って、現実的に自分にどう影響するの?影響しないでしょ?と思うし、根本の仕組みがわからないから、人は簡単に人を嫌いになり、排除もするのですが(SNSで人を叩くことも含めて)

かんたんに言えば、敵を増やしているわけです。
直接的に攻撃してくる敵ではないですが、貴方の心の中で敵が増えています。
例えば貴方がAさんだとして、Bさんをブロックしたとします。
Bさんは「Aさんにブロックされた」とCさんに話します。Cさんがどう感じるかはCさん次第ですがもしかしたら「Aさんって、人を簡単にブロックするような人なんだー」と解釈するかもしれません。(Bさんも自分に都合の悪いことは言わないでしょうから)
Aさんが(いくら自分には正当な理由があっても)ブロックしたことに対して、快く思う人はいないわけですから、自ら敵にしたBさんだけでなく、直接関係ないCさんまで敵になっているかもしれないし、予想しないところでもっと広がる可能性もあるという事です。
1人だけ敵にしたはずなのに、知らないところで増えているのかもしれないという事になっているわけです。

それを、普段頭の中で考えていないとしても、この社会に生きてきて、そういう事もありうるというのは、私たちは体のどこかで知っています。だからほんの数人ブロックしているだけのつもりなのに、自分に近づくたいていの人を信じられなくなるという事が起こります。
人間はそもそも「人は自分と大体似たようなもんだろう」と思って生きているので、自分が人を信じられない(だからブロックする)なら、自分も人に信じてもらえないだろう、本心は言えない、この世は騙し合いだ、という発想になっていくんです。
上っ面だけの人間になっていく、というか、自分を守るために、そうならざるを得なくなります。

じゃあ嫌いでもブロックしなければ良いじゃんとか、嫌いな人も好きになろうよ!とか、そういう話ではまったくなくて。
今、現在進行中で嫌いな配偶者を好きになれと言われても、無理ですよね。
そういう事じゃ全然ない。

そもそも、そもそもですよ。
要は、好き嫌いで判断しているという事に疑問を持つ必要があります。

「好きに生きて良い」からといって、好き嫌いで判断すると、結果的に苦しくなります。
自分の「好き」を(高尚な言い方で、自分の本質とか、コアとかと呼ばれることもありますが)大事にしましょうと言いますが、自分の「好き」は、どこかに(循環して最後には自分に)しわ寄せがくるという性質を持ちます。

「好きに生きる」の「好き」は、個の「好き」と、もう一つ、普遍的な人間の根源的な「好き」の2種類があり、そのどちらも同時に満たす必要があるんですが、皆が一般的に解釈している「好き」は「個の好き」オンリーだと思っているところに、苦しさを生む原因があります。

好きに生きれば幸せになる、というのは

個を尊重することと、
人間(という生き物)を尊重することの両方を満たすのが条件です。

これをかんたんに言うと、私がよく言う「三方良し」になります。
全員が幸せになる絵を描く、という事です。

そして、好きに生きるためにブロックするんじゃなきゃどうすればよいのとなりますが、何をやるか、や、その結果に正解があるわけではなくて「自分と相手が最高に気持ちの良い棲み分けをするにはどうしたら良いか」を「考える」ことが正解です。
つまりプロセスが大事だという事です。
そのプロセスが、幸福を作り上げるからです。
そのプロセスは「自分と相手が幸せになる」ベースで考えられているので、どんな結論が出ても、自分と相手が幸せになる内容になっているはずです。結果がブロックだったとしても。
結果が、同じように見えても、その中味が180度違う。

例えば、人は必ず死にます。
大切な人が、手術の末に亡くなったとしても、お医者様が全力で誠心誠意を尽くしてくれた結果なのだとしたら、すぐにではなくても結果的には受け入れられるかもしれないけれど、適当に手術されたと感じた結果だったら、いつまでも引きずってしまうと思います。
死ぬという結果が同じでも、気持ちが全く違う。
そして、その前段階として、自分が適当に自分や他人をごまかしながら生きていると、大切な人を手術してくれるはずの目の前のお医者さんに対しても「この人も適当なことやるんじゃないか」という目で見てしまうわけです。
そうすると、どんなに手厚い手術が施されたとしても、それを信じることができないから、大切な人の死が、心残りの多いものになる。
それはそもそも、普段自分がどういう風に生きているか、の結果である。
そして、取り返しがつかない種類のものです。

これが、思考は現実化する、の本質です。


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「好き」を生きようとして苦しい、わからなくなった方には良きメニューです。
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# by 4cubes | 2019-03-02 19:00 | その他 | Comments(0)

テレビを役割で観る

昨日、息子とテレビを観ていて、ドッキリ企画のようなものをやっていました。
私はドッキリ大嫌いなんです。びっくりするのが嫌い。
かくれんぼもホラー映画も心臓に悪くて好きじゃない。
観るだけでもどちらかというと不快で全然楽しくない。

息子は楽しそうです。
「驚かされるの楽しい?」と聞くと「んーどうかな。でもみんな喜んでて
自分もお金貰えるし!」と言います。

え、テレビを役割の視点で観ている!?

私は単に自分が好きじゃないしお金もらってもやりたくないわーと思いながら観ていました。だから不快。
でも、役割で見たらどうなるかなとやってみました。
P6の視点で、P6ならどうするかという視点で。
意識のスイッチを切りかえる。
すると、不快感がなくなる!
ほんとだ、喜んでもらってお金貰える嬉しい!になる。

本来の自分というのは、無意識にナチュラルに出てくるわけです。
特にプライベートの時はそれこそ自分。
でも息子は役割の方がナチュラルに先にくるらしいし、私は家でリラックスしていると本来の自分の方が自動的に出るんだとわかりました。この辺は数字にもよりますね。
(ほとんどの人は基本自分が先に出ると思いますが、というかそんな事を考えたこともないかもしれませんが)
別になんでもかんでも役割に結びつけなくて良いのですが、役割デフォルトで生きられたらかなり凄い気がする。

今日映画館で映画を観たのですが、出演者のPが気になって仕方なかったー。「あの日のオルガン」という映画です。
女性どころか男性も結構泣いていました。
私はお化粧が全部取れて、一大事でした。


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# by 4cubes | 2019-02-28 12:17 | その他 | Comments(0)

一元視点で物を見つめ、物理化学の視点での引き寄せ、人の性質の分析解析を得意としています。、現在個別対応のみ承っています。


by のりこ
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