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巣立っていく子どもに

あと1年で東京を離れる予定の息子。
それがわかっているので、彼が幸福な人生をクリエイトしていくために親としてできることは何か、を考え、毎日を送る。

一番大事だと思うのは、お金の話。
説教や興味のない話は見事にスルーするので、彼が興味を持ちそうなトピックを拾い、ラインで共有する。
そこに自分(親)の感じたこと(価値観ではなく感じたこと)を簡単に入れる。
数字が好きなら、数字的に興味を持ちそうな話を持ってくるし、テニスが好きな子ならテニスとお金が絡む話を持ってくる。
お金のリテラシーは、ないと人生詰む。
教わってないのに、自己責任。
これは残酷だけど、事実。
学校教育で教わっていないから、その弱い点を突くような、見えにくい手数料という形で吸い上げるビジネスは横行し、いい大人でもリボ払いで苦しんでいる人が社会問題的に多いし、今やリボなんてカード作ればデフォルトでリボ設定だから、身に覚えのない借金が勝手に作られている可能性も十分ある。
18歳成人が施行されれば、カードは18歳が1人で作れてしまう事と合わせて、今の若い人が食い物にされる可能性は非常に高い。

あとは、個として投資型のお金の使い方をしているか。
時間とお金を、大人から見た無駄、ではなく、本人にとっての無駄のない使い方をしているか。
時間はリソースだという自覚を持っているか。
今現在お金のあるなしかかわらず、お金を生むという発想ができているか。
お金に対して主体的だと、時間の使い方も主体的になるから、お金の話は、お金だけの話ではない。

そこさえできていれば、1日家でゲームしてゴロゴロしていても、心配ないと思う。
そりゃ貴重な若い時間だから、特にゲーム世代ではない我々から見れば、ゲームより他のことに夢中になった方がと思いがちだけど、何をやっているかではなく、どういう在り方でやっているかが大事で、それは、外からのぱっと見では絶対にわからない。
判断は、どういう視点、どういう価値基準を持っているかです。
見えていることではなく、その奥の心を見る。
息子はゲームをするし、部活もしていないからバイト以外は家でゴロゴロしているけれど、そこからすごい人脈作ってくるので、ほんとゲームするしないの問題ではないことがわかる。無理にゲームの世界を閉じなくても大丈夫だし、むしろ閉じるのはもったいないなと感じる。

息子の部屋はすっごく散らかっているし、いわゆる学力や内申だけの勉強もしないし、オンラインゲームもよくするし、食べるものにうるさいし、お弁当箱はなかなか出さないし、洗濯物もなかなか出さないし、私との約束も守らないこともあるけれど、全然腹が立たない。
それは、彼が物事に対して主体的であれば、彼の人生は絶対に大丈夫だと思えるから。
これら↑のことは、問題としてはあまりに小さすぎて、一切叱る必要がなくなるんだ。

お金については、学べるツールはたくさんあるけれど、それでもなかなか実践が難しいのは、よくわからなくて興味を持てないという人が多いから。
大事なのはわかるけれど、興味を持てなければ、絶対に続かないし実にならない。
それくらい、人は、好きではないことはできない生き物なのだと思う。

私もお金については興味がない方で、あとから学んだクチ。
そのうえ、「頑張る」が一切できないという性格。
だから発想を変えて「どんなお金なら興味を持てるか」という視点に立って考えた時に、一気に興味がわいてきたし、おもしろくなってきた。
そうすると、当たり前だけどお金とのつきあい方が上手になる。
子どもに、体感をもって伝えられる。結果、伝わる。
これは、息子が巣立つ前に、やってよかったと思うことの一つでした。

世の中のことは、お金と絡まないことは皆無なので、自分にとって興味を持てる「お金」からのアプローチの実践は非常におもしろいのではないかと思う。


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# by 4cubes | 2019-02-22 23:06 | その他

17歳

昨日、息子が17歳になりました。
甘いものが食べられないが、フルーツ大好きなので、高野フルーツパーラーでフルーツが盛りだくさんのゼリーを買ってきて二人で食べました。

折しも昨日は満月、それもスーパームーンなので「今日願い事したら叶うんじゃない?」と軽口を叩くと「願い事って意味あるの?」と返してくる。

「願うんじゃなくて宣言するんでしょ」

欲しいものは、願って待っているだけでは叶わない事を彼は知っている。
こうすると決めて、そこに自分の行動が伴ってこそのエントリーであり、その上で、叶うかもしれないだけの事。そして、その意識を持つことで結果的にどんどん叶う。
彼の中に「願う」という概念はないらしいです。願うはないが意図はある。
よくわかっているなと思う。

そこから、普段から同じように考える友達と行動している事。
人を選ぶのではなくて、自分の時間をどこにどれだけ使うかを決めると、同じ価値観の子はそういないから、自ずとつき合う友達が決まってくる事、他にも彼女の話や将来の話など、昨日は2人で何時間も話した。

そんな彼だけど、しょうもない嘘をつく時期も、ゲーム課金などやらかして私にぶっ飛ばされる日もあったのだ。
やらかした時にはこっちも盛大にムカついて、ムカつくわー!と言い放ったけれど「それはダメな事だ」とは言わなかったことは本当に良かったと思う。

人は誰でも、責められたり正されると思考停止する。
言わなければ、その分、自分で考え出す。
あれからだいたい2年経って「バイトをするようになってから、あの課金がどれだけやらかしたか、本当にわかった」事と「嘘をつく担任に当たった時に、それを見てつまらない嘘がどれだけカッコ悪いか感じた。二度と嘘はつかないと自分に誓った」事を話してくれた。

勝手に育つというのは、つまりはそういう事だ。

自立した子どもに育てるには、非常にシンプルな法則だけど、その法則を守ること。
人の心は複雑なようでいて、非常にシンプルに動いていて、養育として親が関わる領域と、自立のために子どもを自由にする部分をきちんと分ければ、必要なことは自分で考え、決められ、自分で行動できる大人に自動的になるのではと思う。再現性が高い。

先が見えない世の中だからこそ、昭和を生きてきた自分の考えなんて一番疑わしい。だから過去の、世間の価値観を捨てて息子と一緒に、わけのわからない未来を遊ぶほうを選んだ。
そうすると、おもしろい現実がやってきた。
決して破茶滅茶なおもしろさではなく、斜め上から想定を大きく超えてやってきたくせに、めちゃめちゃ自分好みになるところが興味深い。

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# by 4cubes | 2019-02-20 12:35 | その他

「好き」の正体

好きなことを仕事にする、という本当の意味は、

「決めた仕事の中に「好き」を見出す」です。

好きだと思ってやり始めても、その中に「好き」を見出せなければそれは苦痛となるし、やると決めたことの中にしか「好き」は存在しないのだから、まずは、やり始めないことには話にならない。

先に「好きの正体」を知ろうとするからいつまで立ってもやり出せないだけなのですが、だからまずやってみよう、となるし、そういうことを言う人は多いけれど。

その「やってみよう」はわかるし、やってみないとわからないってことも理解できるけれど、多くの人は、おそらくその「まずはやってみる」の中の「やれそうな複数の事」の中の、更にどれにするのか、その「あたりのつけ方」がわからないのだと思う。

共感できることが100あるなら、やってみようと言われても端から順番に100も潰していくのは現実的ではないのだから、それをどれか1つに絞る作業が、まず必要になる。で、そこを絞れない、絞るのが難しいって話。

なぜだろう。

それは、何だかんだ「自分は何が好きなんだろう〜」って呑気に考えている暇があるからだと、1つには言える。
それは、生命が脅かされるリスクが少なくなるという、社会が豊かになったこととセットで、何をするか悩むほどの選択肢が生まれ、何も選択しなくても何とか生きていける環境があり、いくらでもそこに甘えられるから。
甘えられる環境は、人間の弱いところを突いてくる。

かといって、そこに甘んじ切るような人間ではない、またはそう思いたくないというめんどくささも持つのが人間だから、ことは簡単ではなくなる。

私もその葛藤は経験がある。
いくら探しても「好き」なんて見つからなかった。
でも、好きかどうかもわからない段階でやり出した仕事の中に、好きを見つけた。
それは、考えていたものと大きく違った。
それと同時に、数秘に出会い、いくつかの「これじゃない」を経て、その先に見つけたパフォーマンスナンバーの意味と必要性を深く掘り下げていって、いまの時代、多くの人に必要なのはこのナンバーだなということも、心底思う。

人は本当は、自分だけの「好き」なんて、どうでも良いんだと思う。
自分にしかできない、やれる仕事を通して、人と繋がれたら、その仕事を絶対に好きになるに違いない。それが「好き」の正体。

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# by 4cubes | 2019-02-19 22:53 | その他

感謝というのは

感謝しましょうと言われて、感謝すると幸運がやってきますよといわれても、そう都合よくできないのが感謝。
感謝はするものではなく生まれるもので、こちらでコントロールしようがない。
意図的に感謝できそうなことを脳内で洗い出し、それなりに高揚した気分を自分で作り、それなりに「ありがとう」と思うことはできても、それは、感謝のようではあるけれど、自然に湧いて出てきたものとは少し違う。

私はどんなにわがままでも、自然に湧いてきた感謝しかカウントできないし、数字的にも感情が盛り上がる性質ではなく、感謝「風」には敏感に警戒するようです。

1円のお金も持たず(←これは自分で決めて)息子を連れて離婚した時。
物理的に助けてくれたのは、東京都と三鷹市と私の母。
養育費をきちんと支払い、新しい家庭を持っても、息子と誠実に向き合う元夫。
離婚後も、息子と私にまったく変わりなく良くしてくれる、元義父母。
業績にかかわらず一緒に仕事をしてくれる仕事仲間。
生活に豊かさと潤いをもたらしてくれる、彼。
自由で幸福度の高い息子。

今、毎日生きているけれど、これらの助けがなければとうに私は死んでいたと思うから、ごく普通に、今私が生きていることは、なかなかの確率の低さなのだと思う。
高揚した感じではなく、冷静に奇跡だと思う。
独身の頃も、死んでもおかしくないような無茶なことをしたり、危ない場所を旅したりしていたのだから、生きている事だけでも奇跡、というか、生きていることの方がどこか不思議な気さえする。死んでいたはずのタイミングよりもずっと長く生きて、今ここにいるのだと考えると、さんまさんが言う「生きてるだけで丸もうけ」の「丸もうけ」の時間がそれこそふんだんに得られているということになる。

それは、子どもとの時間や、恋をすること、1人、色んなものを見て、いろんな本を読んで、考え、感じる時間。

それを得るために、お金の援助があった。
行政から。身内から。
自分でも働くけれど、行政の制度がなければ、それこそ子どもを置いていくつも仕事をかけ持ちしなくてはいけなかっただろうし、恋をする余裕なんてないだろうし、本を読む時間もなく、もちろん買わず、そもそも本の情報すら取りに行けず、感じる時間も考える時間もなかったに違いないと思う。

ありがたいと思う。静かに思う。
重要なのは、その気持ちがわいたのは、精神ではなく物理的な助けであったことなんだ。
(そこに人が絡んでいるのは大前提の上で)

だからお金たくさんほしい、と思うのも自然なことではあるのだけど、もう一つ考えなくてはいけないことがある。

お金は欲しいし、あったら人は優しくなれるのも本当だけど、お金があれば解決するというのは違う。
お金があって、だれの助けも借りなくて良い、という状態は、お金があっても幸せにはならなくて、

必要を感じた時に、お金があるという現実が、人を幸せにするという事なのです。
だから、無目的の貯金が、いくら心の安寧を図るものだったとしても意味をなさないのはそういうことであり、いくら貯めても「安心だ」と感じられないのは「必要」とセットになっていないからなのだと。
「必要」があり、そこに対して現実的な助けがあったときに、初めて感謝は勝手に生まれるものであり、その感謝の心が人を幸せにする。
だって、心底赤ちゃんがほしい人に100万円あげてもしょうがない。
ありがたいなと思う気持ちは「必要」の上に成り立ち、人の心をやわらかくする。

基本的には、今言語化するならそういう言葉になるのだと思う。

前から「なぜお金が必要なのか、が大事」と言ってはいたけれど、今思えば説明が不十分だったかもしれない。

そして更にここが重要で、なぜお金が必要なのかがわからなくても、今特に、これといってお金が必要ではないけれど安心したいからゆとりが欲しい、というような動機であっても、必要性があってお金が意味をなす、という深い認識さえあれば、お金は入るということ。

もうずっと、お金と心のつながりは、ずっとずっと考えて、自分で深めてきて、結局たどり着いたのは、具体的にお金がないことにはいかん、なのですよ。
私は、物欲はないけれど、生活するためのお金、というか、心を保つためのお金は必要だし、とここまではわかる。
更に大事なのは、そういうこと抜きに、お金があると、ただただほっとする。
ない経験をいっぱいしてきているから、ということもあるのかもしれないけれど、今やなくても生きられるし、なくても不安になることもないけれど、それでも心の底からの安寧をもたらしてくれる存在なのです。
そして、お金だけを引き寄せるという、成功体験というか、具体的に現実が動くという事象がないと、得られないことがあるのなら、その方法もまた、心の状態に関係なく再現する方法があるはずなのだと、ずっと考えてきていまして。

自分でも不思議なほど、お金に関するニュースは取りに行って。
そして、たいていのことは早めにシェアする私が、お金のことはずっと自分の胸の内に秘めて、霧散させずに温めて、というか燃やしてきた。

その上で、具現化してナンボだなと。
錬金してナンボだなと。
その錬金は精神に左右されない。素晴らしい。誰でもできる。
最近読んだ本に錬金術が出てきたけれど、魔法ではない解釈で、非常に面白かった。

お金は、私にとって現金でもなく、道具でもなく、これまで考えてきたどんなものとも違う解釈になってきた。
もちろん愛でもなく。

何だろうか。


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# by 4cubes | 2019-02-19 10:06 | その他

他人をのぞき見している時間


1日のうち、他人をのぞき見している時間はどれくらいあるだろう。

SNSを見る時間。
ママ友の愚痴を言う時間。
子どもが言うことを聞かないとか、旦那が●●してくれないと思う時間。
旦那が帰ってこない、何をしているのだろうと疑念を持つ時間。
ライバルや、嫌いな人の動向を探る時間。
【ちょっと良い話】コンビニの店員が思わずほっこりしたわけは?みたいな記事。
話題のイヌやネコの、くすっと笑える動画。

ちょっと良い気分になったり、嫌いな人のことをちょっとだけ考えるみたいな時間、それもたとえ最後に「私には関係ないけどね」とか「気にしないでおこう」などと思ったとしても、すでにそれまでの時間、他人のことを考えることに使っていた時間は確実にカウントされているし、未来に作用している。
ちょっとほろっとするような話だって、自分の話じゃない。

アマゾンや楽天のレビューの多さで買い物の選択をしていると、自分の感覚で人生の選択ができなくなる。
買い物と人生は別? ほんとうにそうだろうか。
人間の感情は繋がっていて、器用に切り離すことはできない。
だから、人の悪口を言っていると、悪口を言われることから逃れられない。
「人の嫌がることをしてはいけない」というのは、ちょうど半分、自分のためでもある。
「自分に返ってくる」というのは、そういうこと。
心理学でいう「投影」はなぜ起こるのかというと、自分に起こっていることと、目の前で起こっている事に対して、自分の感情を分けられないからなのです。
起こっていることそのものは別なのに、本質的には同じだよというのは、そこの感情が単に同じだからです。同じ感情でどちらもとらえているから、なのです。

いつもスマホを手放さずSNSを見ている、人の記事にすかさず好意的なコメントをしている(ちょっとだけ知っている)人がいて、特に悪いことをしているわけではないけれど、媚びているようにも映るその人のその心理を説明するとしたら、そうか、他人をのぞき見しているのだ、ということに思い当たる。
その時間、明らかにその人は自分の時間を生きていない。
余計なお世話だけど、無駄に辛そうだ。

そんな時間が全くないのが良いのではなく、インプットは大事であり、それがもちろんSNSでも、残酷な映画でも、意味のなさそうな遊びでも、悲しみでも、人はそこから何かを生むことができる。
ただ、どうせ見るなら、どうせ感じるなら、そこから何かを得ようと意図することで、得るものはあるし、無駄な時間ではなくなる。
何をしていても、それが受け身では、人生は受け身になるし、その逆もしかり。
受け身の自分はそのまま家族に投影していく。

もう受け身では生きられない時代になっているのに。


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# by 4cubes | 2019-02-18 14:22 | その他

一元視点で物を見つめ、物理化学の視点での引き寄せ、人の性質の分析解析を得意としています。、現在個別対応のみ承っています。


by のりこ