感謝しましょうと言われて、感謝すると幸運がやってきますよといわれても、そう都合よくできないのが感謝。
感謝はするものではなく生まれるもので、こちらでコントロールしようがない。
意図的に感謝できそうなことを脳内で洗い出し、それなりに高揚した気分を自分で作り、それなりに「ありがとう」と思うことはできても、それは、感謝のようではあるけれど、自然に湧いて出てきたものとは少し違う。
私はどんなにわがままでも、自然に湧いてきた感謝しかカウントできないし、数字的にも感情が盛り上がる性質ではなく、感謝「風」には敏感に警戒するようです。
1円のお金も持たず(←これは自分で決めて)息子を連れて離婚した時。
物理的に助けてくれたのは、東京都と三鷹市と私の母。
養育費をきちんと支払い、新しい家庭を持っても、息子と誠実に向き合う元夫。
離婚後も、息子と私にまったく変わりなく良くしてくれる、元義父母。
業績にかかわらず一緒に仕事をしてくれる仕事仲間。
生活に豊かさと潤いをもたらしてくれる、彼。
自由で幸福度の高い息子。
今、毎日生きているけれど、これらの助けがなければとうに私は死んでいたと思うから、ごく普通に、今私が生きていることは、なかなかの確率の低さなのだと思う。
高揚した感じではなく、冷静に奇跡だと思う。
独身の頃も、死んでもおかしくないような無茶なことをしたり、危ない場所を旅したりしていたのだから、生きている事だけでも奇跡、というか、生きていることの方がどこか不思議な気さえする。死んでいたはずのタイミングよりもずっと長く生きて、今ここにいるのだと考えると、さんまさんが言う「生きてるだけで丸もうけ」の「丸もうけ」の時間がそれこそふんだんに得られているということになる。
それは、子どもとの時間や、恋をすること、1人、色んなものを見て、いろんな本を読んで、考え、感じる時間。
それを得るために、お金の援助があった。
行政から。身内から。
自分でも働くけれど、行政の制度がなければ、それこそ子どもを置いていくつも仕事をかけ持ちしなくてはいけなかっただろうし、恋をする余裕なんてないだろうし、本を読む時間もなく、もちろん買わず、そもそも本の情報すら取りに行けず、感じる時間も考える時間もなかったに違いないと思う。
ありがたいと思う。静かに思う。
重要なのは、その気持ちがわいたのは、精神ではなく物理的な助けであったことなんだ。
(そこに人が絡んでいるのは大前提の上で)
だからお金たくさんほしい、と思うのも自然なことではあるのだけど、もう一つ考えなくてはいけないことがある。
お金は欲しいし、あったら人は優しくなれるのも本当だけど、お金があれば解決するというのは違う。
お金があって、だれの助けも借りなくて良い、という状態は、お金があっても幸せにはならなくて、
必要を感じた時に、お金があるという現実が、人を幸せにするという事なのです。
だから、無目的の貯金が、いくら心の安寧を図るものだったとしても意味をなさないのはそういうことであり、いくら貯めても「安心だ」と感じられないのは「必要」とセットになっていないからなのだと。
「必要」があり、そこに対して現実的な助けがあったときに、初めて感謝は勝手に生まれるものであり、その感謝の心が人を幸せにする。
だって、心底赤ちゃんがほしい人に100万円あげてもしょうがない。
ありがたいなと思う気持ちは「必要」の上に成り立ち、人の心をやわらかくする。
基本的には、今言語化するならそういう言葉になるのだと思う。
前から「なぜお金が必要なのか、が大事」と言ってはいたけれど、今思えば説明が不十分だったかもしれない。
そして更にここが重要で、なぜお金が必要なのかがわからなくても、今特に、これといってお金が必要ではないけれど安心したいからゆとりが欲しい、というような動機であっても、必要性があってお金が意味をなす、という深い認識さえあれば、お金は入るということ。
もうずっと、お金と心のつながりは、ずっとずっと考えて、自分で深めてきて、結局たどり着いたのは、具体的にお金がないことにはいかん、なのですよ。
私は、物欲はないけれど、生活するためのお金、というか、心を保つためのお金は必要だし、とここまではわかる。
更に大事なのは、そういうこと抜きに、お金があると、ただただほっとする。
ない経験をいっぱいしてきているから、ということもあるのかもしれないけれど、今やなくても生きられるし、なくても不安になることもないけれど、それでも心の底からの安寧をもたらしてくれる存在なのです。
そして、お金だけを引き寄せるという、成功体験というか、具体的に現実が動くという事象がないと、得られないことがあるのなら、その方法もまた、心の状態に関係なく再現する方法があるはずなのだと、ずっと考えてきていまして。
自分でも不思議なほど、お金に関するニュースは取りに行って。
そして、たいていのことは早めにシェアする私が、お金のことはずっと自分の胸の内に秘めて、霧散させずに温めて、というか燃やしてきた。
その上で、具現化してナンボだなと。
錬金してナンボだなと。
その錬金は精神に左右されない。素晴らしい。誰でもできる。
最近読んだ本に錬金術が出てきたけれど、魔法ではない解釈で、非常に面白かった。
お金は、私にとって現金でもなく、道具でもなく、これまで考えてきたどんなものとも違う解釈になってきた。
もちろん愛でもなく。
何だろうか。